先日の上山温泉からの早朝の帰り道、山刀伐(なたぎり)峠の県道沿いにある小さな駐車場で一休みした。
静かな山中にあり休憩するには絶好のスポット。
山形に単身赴任していた時代に毎週往復した馴れ親しんだ道で、ほぼ中間地点となるためここで一息入れることが多かった。
仙台から作並経由で山形に抜ける道沿いの厚く濃い緑も素晴らしかったが、尾花沢から山刀伐戸峠を通って赤倉温泉までの雨に濡れた山々の景色も、いつも眺めている景色とはひと味もふた味も違うように感じられた。
芭蕉が松島~平泉~尿前の関の後に越えたのがこの山刀伐峠。
今はトンネルができ車で二分程度で通り過ぎる距離だが、芭蕉の時代は屈強な案内役が必要な難所だったという。
「奥の細道」では「大山越」として紹介されている。
「高山森々(しんしん)として一鳥声きかず、木の下闇茂りあひて、夜行くがごとし。雲端につちふる心地して、篠(しの)の中踏分々々(ふみわけふみわけ)、水をわたり、岩に躓(つまずい)て、肌につめたき汗を流して、最上(もがみ)の庄に出づ。」
写真は、難所を越えて一安心した時に芭蕉が最初に目にしたであろう出羽の国の景色。
ここから「奥の細道」の舞台は日本海側に移り、「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」 「五月雨を 集めて早し 最上川」 等の名句が生まれる。
静かな山中にあり休憩するには絶好のスポット。
山形に単身赴任していた時代に毎週往復した馴れ親しんだ道で、ほぼ中間地点となるためここで一息入れることが多かった。
仙台から作並経由で山形に抜ける道沿いの厚く濃い緑も素晴らしかったが、尾花沢から山刀伐戸峠を通って赤倉温泉までの雨に濡れた山々の景色も、いつも眺めている景色とはひと味もふた味も違うように感じられた。
芭蕉が松島~平泉~尿前の関の後に越えたのがこの山刀伐峠。
今はトンネルができ車で二分程度で通り過ぎる距離だが、芭蕉の時代は屈強な案内役が必要な難所だったという。
「奥の細道」では「大山越」として紹介されている。
「高山森々(しんしん)として一鳥声きかず、木の下闇茂りあひて、夜行くがごとし。雲端につちふる心地して、篠(しの)の中踏分々々(ふみわけふみわけ)、水をわたり、岩に躓(つまずい)て、肌につめたき汗を流して、最上(もがみ)の庄に出づ。」
写真は、難所を越えて一安心した時に芭蕉が最初に目にしたであろう出羽の国の景色。
ここから「奥の細道」の舞台は日本海側に移り、「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」 「五月雨を 集めて早し 最上川」 等の名句が生まれる。