PCに古い原稿が残っているのを見つけた。
三年前、社内紙みたいなものに掲載するため書いたものだった。
改めて読んでみて、この時の心境がそのまま一年後の農業への転身につながったように思えるので、少し長いが紹介してみたい。
「人間性を高めるために」
最近ある人に薦められて「稲盛和夫の哲学~人は何のために生きるのか」(PHP文庫)を読み大変感銘を受けた。
著者は、現役を既に引退しているが、仏門に帰依しながら京都の若手経営者を育成するなど現在も精力的に活躍している。
本書の中で感銘を受けた幾つかを紹介してみたい。
『人間は自由だから欲望をいくらでも追求していける。しかし、足るを知って、欲望の肥大化を抑えるべきである。これが叡智である。過剰な自己愛は自らの破滅を招く。』
「過剰な自己愛は自らの破滅を招く」については武富士会長の盗聴事件の例を挙げるまでもなく枚挙にいとまが無い。また、自分の生活を見ても、手段たるお金がいつの間にか目的になったり、趣味が高じて趣味に振り回されたり、酒を呑むつもりで酒に呑まれたりと、限りない欲望にいつも翻弄され、自己嫌悪に陥る毎日である。
今の私に必要なのは「欲望を満たすこと」ではなく「欲望の肥大化を抑える叡智」なのだ。
『自分が自由を謳歌すると他人が不自由になる。自分が自由を謳歌すると影として「悪」が生じる。』
「自分の自由は他人の不自由」 短い言葉でこれほど自由の本質を鋭く突いた言葉を私は知らない。過度の自由の強調が戦後教育の欠陥とも言われるが、その教育をまともに受けた私の自由の謳歌で、どれだけ周囲に迷惑をかけて来ただろうか。 特に、最も身近な「他人」である妻には数えきれない「悪」の限りをつくして来たに違いない。残された人生でその借りをどこまで返せるかが大きな課題である。
『死によって肉体は滅びるが意識体は存在し続ける。現世での実績や財産は何も意味をなさない。価値として残るのは、現世で作り上げた人格、人間性、魂、意識体である。人間性を高めるために我々は現世で生きている。』
『人間性を高めるためには、自分よりも相手に良かれという「利他の心」を持って生きること。また、働くことの目的は生きる糧を得ることに止まらない。働くことを通じて人格を磨くことが大切。
死ぬまでにどれだけ人格、品性を高めたか、それが人生の勲章であり、誰でも目指せる目標である。』
人生の節目を迎え、何を目標に生きるのか漠然としていた私にとって、まさに目から鱗が落ちる思いがした。これで結果を気にせずに何事にも挑戦できる。たとえその挑戦が失敗に終わっても若しくは志し半ばで挫折したとしても全く構わない。大切なのはそのプロセスなのだ。
また「働くことは生きる糧を得ることに止まらない」も有難い言葉で、店で一本数百円で買える長芋を、畑で大汗をかきながら半日がかりで掘り起こすことの意義もこれで見出せた気がする。
「利他の心を持って生きる」これは多分一番難しいことだろうと思われる。頭では理解しても体が思うように動かず、直ぐに大きな壁にぶつかりそうだ。自分中心の行動パターンが完全に染み付いてしまっているのだ。
でもご安心あれ、稲盛さんでさえもエゴに走る自分を戒めるため、仏教の本をいつも携え、日に三回は見るようにしているとのこと。私のような器の小さい人間が即実行に移せるはずがないのである。
読み終えた今「エゴを無くし利他の心を持ち人間性を高める」という大きな目標に向かって歩き始めようする素直な気持ちの自分が居た。
ところで、この本を貸してくれたのは他ならぬH社長である。日頃の私のお粗末な人間性を見て、この本を通じてそっとアドバイスしてくれたものと心から感謝している。
「美味しい蕪ができた」とオバサンは喜んでいた。
ところが「道の駅」では全く売れなかった。
大根が豊富に出回っている時期と重なったのが災いしたのかもしれない。
この原稿、職場の仲間から好評だったので得意になってオバサンにも見せた。
ところが、「口では何とでも言える。これからの行動を見てから判断しましょう」と冷たく言い放ってポイと捨てられしまった。
その後のオジサンの「行動」をオバサンがどう評価をしているかは、恐くて確認できないでいる。
三年前、社内紙みたいなものに掲載するため書いたものだった。
改めて読んでみて、この時の心境がそのまま一年後の農業への転身につながったように思えるので、少し長いが紹介してみたい。
「人間性を高めるために」
最近ある人に薦められて「稲盛和夫の哲学~人は何のために生きるのか」(PHP文庫)を読み大変感銘を受けた。
著者は、現役を既に引退しているが、仏門に帰依しながら京都の若手経営者を育成するなど現在も精力的に活躍している。
本書の中で感銘を受けた幾つかを紹介してみたい。
『人間は自由だから欲望をいくらでも追求していける。しかし、足るを知って、欲望の肥大化を抑えるべきである。これが叡智である。過剰な自己愛は自らの破滅を招く。』
「過剰な自己愛は自らの破滅を招く」については武富士会長の盗聴事件の例を挙げるまでもなく枚挙にいとまが無い。また、自分の生活を見ても、手段たるお金がいつの間にか目的になったり、趣味が高じて趣味に振り回されたり、酒を呑むつもりで酒に呑まれたりと、限りない欲望にいつも翻弄され、自己嫌悪に陥る毎日である。
今の私に必要なのは「欲望を満たすこと」ではなく「欲望の肥大化を抑える叡智」なのだ。
『自分が自由を謳歌すると他人が不自由になる。自分が自由を謳歌すると影として「悪」が生じる。』
「自分の自由は他人の不自由」 短い言葉でこれほど自由の本質を鋭く突いた言葉を私は知らない。過度の自由の強調が戦後教育の欠陥とも言われるが、その教育をまともに受けた私の自由の謳歌で、どれだけ周囲に迷惑をかけて来ただろうか。 特に、最も身近な「他人」である妻には数えきれない「悪」の限りをつくして来たに違いない。残された人生でその借りをどこまで返せるかが大きな課題である。
『死によって肉体は滅びるが意識体は存在し続ける。現世での実績や財産は何も意味をなさない。価値として残るのは、現世で作り上げた人格、人間性、魂、意識体である。人間性を高めるために我々は現世で生きている。』
『人間性を高めるためには、自分よりも相手に良かれという「利他の心」を持って生きること。また、働くことの目的は生きる糧を得ることに止まらない。働くことを通じて人格を磨くことが大切。
死ぬまでにどれだけ人格、品性を高めたか、それが人生の勲章であり、誰でも目指せる目標である。』
人生の節目を迎え、何を目標に生きるのか漠然としていた私にとって、まさに目から鱗が落ちる思いがした。これで結果を気にせずに何事にも挑戦できる。たとえその挑戦が失敗に終わっても若しくは志し半ばで挫折したとしても全く構わない。大切なのはそのプロセスなのだ。
また「働くことは生きる糧を得ることに止まらない」も有難い言葉で、店で一本数百円で買える長芋を、畑で大汗をかきながら半日がかりで掘り起こすことの意義もこれで見出せた気がする。
「利他の心を持って生きる」これは多分一番難しいことだろうと思われる。頭では理解しても体が思うように動かず、直ぐに大きな壁にぶつかりそうだ。自分中心の行動パターンが完全に染み付いてしまっているのだ。
でもご安心あれ、稲盛さんでさえもエゴに走る自分を戒めるため、仏教の本をいつも携え、日に三回は見るようにしているとのこと。私のような器の小さい人間が即実行に移せるはずがないのである。
読み終えた今「エゴを無くし利他の心を持ち人間性を高める」という大きな目標に向かって歩き始めようする素直な気持ちの自分が居た。
ところで、この本を貸してくれたのは他ならぬH社長である。日頃の私のお粗末な人間性を見て、この本を通じてそっとアドバイスしてくれたものと心から感謝している。
「美味しい蕪ができた」とオバサンは喜んでいた。
ところが「道の駅」では全く売れなかった。
大根が豊富に出回っている時期と重なったのが災いしたのかもしれない。
この原稿、職場の仲間から好評だったので得意になってオバサンにも見せた。
ところが、「口では何とでも言える。これからの行動を見てから判断しましょう」と冷たく言い放ってポイと捨てられしまった。
その後のオジサンの「行動」をオバサンがどう評価をしているかは、恐くて確認できないでいる。