霜後桃源記  

安心、安全と美味しさへのこだわり
そんな「こだわりの農業ブログ」を毎日更新
主役の妻は生産部長、夫は営業部長兼雑用係

最後のクラス会 その四 寡黙な数学教師  その一

2017-08-18 21:01:57 | 仲間

恩師に代わり数学の授業の先生役を務めたのはS君。
千葉で高校の数学教師、岩手にUターン後は中学で、そして退職直前の二期は地元の花泉で小学校の校長を
歴任している。

高校時代から寡黙で、そのスタンスは今でも維持していて自ら進んで発言することは殆ど無かった。
文字通り「沈黙は金」を実践してた。
しかし、口数は少ないものの「簡にして要を得た」発言をする信頼性抜群の仲間で、授業の先生役を依頼し
た際も、即「快諾」だった。


(スピーチの時間が超過し、授業は30分余りの時間しか確保出来なかったが、事前の準備にかなり時間を
 かけて来たことがうかがえた)

授業の内容は「数列」で、等差数列や等比数列の法則性をa、d、r等の記号を使って式に現すものだった。
プロセスは異なるものの、確かに50年前に習った記憶が有り、懐かしく思い出された。
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最後のクラス会 その三 3~5分間スピーチ 

2017-08-18 19:02:25 | 仲間

母校の教室を借りた目的は「50年振りのHRと数学の授業」だった。
M幹事は「私の50年、今、そして、これからの夢」を各自が述べるよう事前に案内していた。

皆が遠慮気味だったので司会進行役の私が先陣を切った。

「私の50年を一言で現すとしたら、惚れて惚れて惚れぬいた女性と結婚し、一緒に暮らせたのだから
サイコーに幸せな50年だった。」


(愛妻は、夜の宴会場で「悲しみ本線日本海」を長年親交のあるHチャンと歌った)

ウケ狙いもあったこのコメントは場をシラケさせる可能性もあったので、念のため、そのフォロー策
も用意していた。
しかし、予想以上の大歓声が上がったので少し舞い上がってしまい、座右銘としているウルマンの詩
「青春とは人生の一時期をいうのではない。心の持ち方をいうのだ」で締めるのを忘れてしまった。
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最後のクラス会 その二 校長先生

2017-08-18 07:04:50 | 仲間

母校の教室を借りたHR開始前、対応してくれた先生に母校の現状等について説明を
お願いしたところ、「今日は校長が在室しているので校長が行います」という事にな
った。

慌てて、校長室に赴き50年前の母校の概要等について簡単に説明させて貰った。
ナント校長先生の机の背後には歴代卒業生のアルパムや文集等がズラリと並べられていて
校長先生は直ぐに我々の卒業アルパムを取り出して見せてくれた。


(ネットから借用)

そして説明する際にはアルバムや文集等に付箋紙を付けて持参し、一部を紹介しながら
「母校の現在」について簡潔に興味深くお話し頂いた。
そのサービス精神旺盛な説明が今回のクラス会の冒頭を大いに盛り上げてくれたことは
言うまでもない。

更に、校長先生は、予定時間より大幅に遅れて「HRと授業」を終えた私達を、担当の先生共々
玄関先で見送ってくれた。
借用した教室の会場設営や案内板の表示等にも各段の配慮を頂戴し、まるで「50年振りに
里帰り」したような雰囲気となり、恐縮しつつも嬉しい気持ちで一杯だった。
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最後のクラス会  その一 「N対N」の対話

2017-08-16 06:52:39 | 仲間

小、中、高と各種同級会に参加して感じることは「全体で情報を共有する時間が少ない」ことだった。
御馳走を前に参加者一人ひとりにスピーチさせたのでは興ざめだし、食べながら呑みながらでは「誰も
聞いていない」状態となり勝ちとなる。

かといって個々人のスピーチを省略してしまうと折角みんなが集まった意味が半減してしまい仲間の
「人生いろいろ」を知るチャンスを逸してしまう。

そんな経験から前回の高校のクラス会から、宴会の前にミーティングの場を設け「全体で情報の共有化」
を図ることにした。
それがワンウェイの近況報告に限らず双方向の意見交換の場ともなって極めて有効で、宴会の場の
「話題作り」にもなった。


(母校の同窓会HPから借用)

本日、卒業50年の節目に最後の高校のクラス会を予定している。
午後に母校に集まって教室で半世紀振りのHRを開催し、併せて数学教師だった亡き恩師に代わり校長経験者の
S君に「数学の授業」をお願いしている。

その後は「いつくし園」に場を移し、呑んで騒いでの宴会となる。
母校では「N対N」、宴会では「1対1」の貴重な情報交換の場になるものと期待している。
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送り火

2017-08-15 21:01:29 | 家族

「送り火」は15日の夕方が恒例となっている。
未だ明るい内に送るつもりだったが、仕事が遅れ、やや暗くなりかけた時間帯になって
しまった。
そのため、今では貴重な存在なった麦藁を使った「送り火」を写すことが出来なかった。

数年前まではジイチャン、バアチャンも含め四人で行っていた先祖供養の行事も今は二人。
燃え上がる炎を見つめながら「私達が死んだら誰が送り火を焚いてくれるのかしら」と
妻が寂しそうに呟いた。



東京は30年振りに「15日連続して雨を記録」と報道されていたが、そんな忌まわしい
記録に当地も肩を並べ今日も雨。
雨に濡れた門口のサルスベリの花から滴り落ちる雫は「百姓の涙」でもある。
コメント (2)
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