ここでも石原慎太郎氏の選評を引用しよう。作品の身体性がない、と彼は評する。このブログでも手法、テーマは見え見えだがそれを具現化、実体化する実力は中以下と書いた。作品の身体性とはほぼ同じことと理解する。
他の選者が異口同音に時間の処理のテクニックがうまいという。一致している。小説では手法、テーマがみえみえなのは欠点なのではありませんか。こんなところで選者の推薦の理由が一致するのは考えてみると気持ちが悪いね。
テクニックがみえみえでも、そんなことに関係なく迫力を持って訴えるならテクニック云々などは問題にはならないのだが、彼女の小説はどこかで異な匂いがするな、という程度。
描写にむらがあるというのも石原氏と同意見。もっとも、意識的にバリエイションをつけていると強弁されると処置なしなので黙っていましたが。
しかし、彼女の受賞は出版社の思惑が当たったのではありませんか。ポプラ社なみの効果は十分にありました。