承前;私も片言隻句などとあまり聞かない言葉を気取って使ってみたが、勿論最近の私小説書きの言葉ほど偏差値外れではない。
車谷長吉氏のヒョウ風(つむじかぜのことらしい)を拾い読む。赤目四十八瀧を読んだ時にも感じたが、個人がこんなに突飛凝縮した体験を連続してするかな、と疑問に思った。創作ならいいが、私小説と看板をはると???となる。
このヒョウフウにはオームに狙撃された国松長官が運び込まれた病室の近くに入院していたそうだ。廊下で私服の警官が抜き身で拳銃を構えていたというが、ほんとかいな。
もっとも、かって家に強盗が入った時には警官がブローニングの小型拳銃を構えて家に入ってきたが。
その警官が便所で誤って拳銃を暴発させて負傷したという。まさに、私小説書きの素質十分だ。ネタは向こうから転がりこんでくる。
葬式のことをソウレンといったり、類語辞典を愛用しているらしい。非常にキザ、不自然に感じる。こういう風にあからさまに書くところを見ると私も私小説書きになったらしい。(ヒョウフウ内、指参照)
& おっと最初に書こうと思っていたことを忘れた。ヒョウ風の「低迷運」に「根津権現の樹木の鬱蒼と繁った森」とあるが、あれが鬱蒼と繁った森なのかね。この辺の感覚はいただけない。芥川賞はいただけない。直木賞はいいらしいが。
この辺の奇矯さは西村氏にも共通するところはあるが、西村氏のほうがシグマは小さいと言える。まさに車谷氏は「随伴を拒絶する」