穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

ドイツ観念論のアルゴリズム

2015-03-16 08:18:53 | ハイデッガー

プログラム作成で定数として、いや変数としてか、「古代ギリシャ文明への鑽仰」を入れなければなるまい。もっともパラメーターが大きいのはヘルダーリン、ニーチェやハイデッガーであろうか。ヘーゲルもかなりのものがあるが、ギリシャいのちという思い入れまではいかない。これを変数Gとしよう。 

一般に変数Gは19世紀初頭に大きい訳であるが、これは一種の時代の流行であるのか、あるいはイギリス、フランス等の先進国を範とすることへの抵抗感があるのかもしれない。ドイツの政治情勢は中世的残滓がおおく、第一国家統一を成し遂げたのは明治維新とさして年代はかわらない(オーストリア・ハンガリー帝国は別である)。

また、ニーチェは学究生活の出だしが文献学者で、自分の畑を耕したということだろう。ハイデッガーはそういう意味では珍種だろうか。

かれの存在論の大部分は古代ギリシャ語の語源を探り、そこに根拠を求める。この手法が他の方法よりすぐれているかどうか、ハイデッガーを読んだだけでは説明はない。

普通は根拠とするもの正当性をまず説明するものだが、それがない。語源学に頼る場合には多くの問題がある。言葉というものは起源をたどれば辿るほど、一つの言葉に様々な語釈がある。時にはまったく関係がないような語釈がおなじ言葉にある。これは現代語の辞書でも重要な基幹語によく見られる特徴である。

ハイデッガーはその中の自分の説に都合のいい語釈を取る訳である。ということは語源学から全く正反対の哲学をつくることも可能であろう。

もう一つ、古代言語の語源学は、考古学と同じ様に時代が進めば研究は進歩するだろう。現時点での語釈で決定的なことを言って良いのか。それに何故古代ギリシャ語なのか、という問題を正当化する必要がある。言語は多数ある。歴史的に埋もれた言語を含めると無数にあるといってもいい。そのなかから、一つをピックアップするなら「根拠」を開示しなければならない。