ハイデッガー自身の序言によると、「ニーチェ講義」は1936年から1940年にかけてフライブルグ大学で行われた講義と1940年から1946年に成立したいくつかの論文からなる。
木田元氏の絶賛にもかかわらず私の印象では冴えがない。もっともまだ第一巻の二百ページほど読んだだけである。まだしも1935年の講義録「形而上学入門」のほうがいい。
この時期のハイデッガーの活動をみてみた。1930年代の初めからハイデッガーはナチスなどの民族主義者との活動(講演等)を行う様になる。そして1933年にフライブルグ大学の総長になる。同年ナチスに入党。ヒットラーの教師になって教育しようとも考えていたという。まるでアリストテレスが後のアレクサンドロス大王の家庭教師であった故事にならおうとしていたように。しかしヒットラーは子供ではない。ナチス党首で首相である。うまくいかなかったようだ。
志した大学改革が収拾のつかない混乱をもたらし、彼は1934年総長を辞任する。彼の学生であったユダヤ人女性ハンナ・アーレントと不倫の関係を持つ。彼女はナチスが政権をとるとフランスに亡命した。
ハイデッガーはナチスの党籍は離れなかったようであるが、如上のような種々の事情から党内の内紛に破れ、1936年頃からはナチス情報部の監視下に置かれていたらしい。
当時ニーチェ哲学はナチスの公認哲学ともいうべき位置にあった。ニーチェ研究は無難なテーマであったのである。いわばハイデッガーのアリバイ作りのような意味があったのではないか。たしかに膨大な労作であるが、いまいち迫力がないのはこのような事情の元で行われたからではないか。
付記:平凡社ライブラリーの『形而上学入門』にはシュピーゲル誌との対話が載っている。そこでナチスとの関係のインタビューがある。ハイデッガーによると、戦争末期には国民総動員令で飛行場か何処かの穴掘りかなにかの土木工事の作業員にかり出されたという。ナチスから特別扱いされていなかったということを強調したかったものと思われる。
今回はいささか下種の勘繰りめいたが、かなり当たっているのではないかと思うので書いた訳である。