穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

また電話の話で、、

2022-04-02 16:03:22 | 書評

 飛ばし読みで497ページまで来ましたぜ。また電話の話。在の、保谷だったかな、在と言っては怒られるかもしれないが、そこに画家から離縁された老婆がタバコ屋をしている。描写から察すると、よくある間口1メートルもない店でガラスの引き戸の向こうは三畳くらい部屋で老婆がちょこんと座って煙草を売っているという感じですが、ここに電話があることになっている。これは前回触れた刑事の家に電話があるというフィクションどころではない、ありえない話だと思います。
 もっとも私の認識が正しいかどうか確認しておいたほうがいいと思い、インターネットを調べましたが、まともな統計はないようです。総務省のホームページも調べましたが。あっ、NTT東は見ていなかった。
 もっとも、記事はあることはあるのだが、個人のアップのようで信用できるかどうか。それで今一つ信用できないのは人口当たりの電話所有率なんだな、出ているのがみんな。それだと2,3パーセントと言うのが多いようだ。ここで疑問なんだが、現在令和の御代ならしらず、昔は電話の普及率は所帯当たりでみるのが当然じゃないかな。一家に一台あれば御大尽だ。いまの携帯みたいに個電なんて時代じゃない。それで今一つインターネットの記事は信用しかねるのだ。


島田荘司氏の学歴

2022-04-02 07:43:55 | 書評

 「占星術殺人事件」は真ん中あたりから小説らしくなってきた。ハカがいきだした、読むのが。現在387ページ、読者への挑戦というのがボールドの活字で印刷してある。
 これは前半の四十年前の事件をノンフィクション本を見ながら説明するという制約から解放されたためだろう。作者の筆の立つところが見え出した。ところでこの小説の通奏低音は何だと思いますか。たいていの読者の答えは占星術と答えるだろうが、私は人形師だと判断する。人形作者と言ってもいいし、マネキン製作者といってもいい。アゾートという生体の人間の各部をつなぎ合わせて人形(マネキン)を作るなどと言うマッドサイエンティストもののホラー小説と言える。
 ここで昨日読んだ彼のウィキペディアを思い出した。彼は武蔵野美術大学の商業美術デザイン科の卒業だという。中盤の「推理旅行」と「アゾート追跡」の章はワトソン役が京都の人形作者(プロとアマチュア)をたずねてまわる話だ。殺された画家が生きているという想定の下に巡礼するわけだ。島田氏は馬鹿に力を入れて書いている。人形作り、マネキン作りといえば、彫刻のような純粋?芸術とちがい、いかにも商業美術の分野だ。島田氏が詳しいのも分かる。
 ウィキペディアによると彼は卒業後ライターやミュージシャンをしてから作家になっという。ミュージシャンは分かるがライターと言うのは何だろう。小説家と言う意味ではないから漫画でも書いていたのかな。
 ま、とにかくこの小説の主たる通奏低音は人形遣いであることが分かった。人形師というのかな、には変わり者が多いそうである。人形というのは元来気持ちの悪いものだ。特に写実的なものは。呪術では主役だしね。そんなこんなで段々この小説が理解できて来たようだ。
 この「読者への挑戦」にこんな言葉がある。『読者はすでに完璧以上の材料を得ている、、、、』。私はそうは思わない。それを証明するのが以降のアップとなるであろう。少なくとも作者は『フェアプレイ』を演じてはいない。