穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

地味な話を引っ張っていく実力

2022-04-10 08:59:44 | 書評

 スリラーと言うものは、大体が最初に死体が転がりでてきたが犯人が分からない、そこで警察や探偵のお出ましとなる。そして、死体の転がり方が不自然にわざとらしいのがいいらしい。占星術殺人事件なんてのは、その教科書通りにやっていた。
それに比べてこの小説は極めて地味である。アルツハイマーの妻を扼殺した警察幹部が自首して警察の調書も検察の求刑も簡単に終わるはずなんだが、ここで作者はひねりを入れた。犯人は犯行後すぐに自首しなかった。二日後に自首した。この二日間に何をしていたか。そんなことは問題にならないはずなのだ、訴追プロセスでは。

 ところが、この二日間に犯人は死亡した妻を家にほったらかして新宿の歌舞伎町かどこかに行っていたらしい、と話を作るのである。ただでさえ、警察幹部が殺人を犯したというのは警察の信用を落とす。そして犯行後遊興していたと報道されれば、テメエの出世に影響すると、警察庁から地方の警察に腰掛で来ている県警のキャリア幹部は真っ青になる。そこでこの犯行後の二日間を無難にでっち上げることが至上命令になる。たとえば、死に場所を求めて県内を彷徨していたとか、できるだけ無難な話をでっち上げたい。
 そして、この種の物語のお決まりだが、下っ端の捜査官たちが上部に反発するのである。ま、この話を最後まで引っ張っていくのは大変な技であり、筆力である。そして実際に犯人は歌舞伎町に行っていたのである。だが、とここでまた一ひねりある。