穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

私は文壇特定ギルドの回し者ではありません

2022-04-05 02:12:13 | 書評

 講談社文庫版には他者による解説はない。そのかわり著者による「改訂完全版あとがき」というのがある。これを読んで誤解されてはいけないな、と思った。このあとがきの前半は改訂のことと言うより、このデビュー作が「巻き起こした業界の反発混乱がいかにすさまじかったか、それに最終的には打ち勝って島田氏が本格推理小説の旗手となり、日本はおろか、アジア、世界をリードしたか」、と自慢している。
 当時島田氏に襲い掛かったのは、一に松本清張を祖とする社会派スリラー派であり、その後の「警察小説」派だそうな。社会派は新本格なんていうのは社会的な視野もなくアクロバティックな推理を弄ぶと批判し、警察小説派は足で稼ぐリアリズムに対して遊戯的である、という批判をしたらしい。
 島田氏は自慢げに、どうだ今では新本格が勝っただろうというのである。この辺の事情は私には分からないが、彼の作品にかなり批判的だった私は、社会派推理小説派や警察リアリズム小説派の回し者と思われるかもしれない。しかし私は推理小説のいずれの分野でも門外漢であり、全くの初心者であり、既存推理小説「文壇」の回し者ではありません。第一私はほとんど彼らの作品を読んでいない。
 ま、誤解されたままにしておいてもいいのだが、一言断りを入れておく。文庫版900円分の批評権利行使の枠を超えたとは思っていない。
 それにしても、松本清張氏を論ずる氏が、ダーウィン、モ-パッサン、ゾラ、田山花袋、太宰治の延長線上で松本清張を引き合いに出していたのには驚いた。そんなに大げさな話なのか。