チャンドラーのマーロウものの一貫した特徴でほかのハードボイルド作家と決定的に異なるのは(もちろん一部例外はある)、エンディングでの犯人の処理である。警察の処理をご遠慮願っているのである。警察は検視官を派遣するくらいしか出来ない。日本で言えば「被疑者死亡のまま書類送検」するか「被疑者不詳のまま書類送検」するくらいのものである。あるいは全然情報がなくてなにもしないかである。
前回も書いたがハメットの「マルタの鷹」では犯人を恭しく警察に差し出す。ハメットは確かコンチネンタル社という大手探偵会社の出身で、探偵社が勝手に犯人を処理したら探偵社を警察につぶされてしまう。作家になってもその観念が染みついていたのだろう。
チャンドラーの場合を作品ごとにみると、
大いなる眠り:
犯人は未成年の女で癲癇の持病がある精神異常者である。マーロウは警察に引き渡さず、姉に精神病院に隔離収容するように指示する。警察には一切事情を報告しない。また死体遺棄にやくざがかかわっているが、このことも警察に報告しない。もっとも、小説上都合のいいことに調査の過程でマーロウはこの男を射殺している。
さらば愛しい人:
本人たちに知らせず大鹿マロイと彼を密告した元愛人のヴェルマを落ち合わせてヴェルマがマロイを射殺、ウェルマは逃亡するが警察に追い詰められて自殺
高い窓:
依頼人の息子が母の脅迫者を殺害、彼が事故だというのをそのまま放置、警察には連絡しない。
水底の女:
犯人の女性は彼女と腐れ縁のあった悪徳警官に殺させる(注)。その悪徳警官を村の駐在さんのいるところに誘い出し、マーロウが真相を暴き出す。デルガモ(悪徳警官)が拳銃を抜こうとすると村の駐在さんが阻止、逃亡させるがデルガモは逃走の途中がけ下に落ちて死亡
注;マーロウが仕組むというのではない。流れがそうなるように小説を書くわけだ。
リトル・シスター:
話が入り組んでいるうえにドンデン、ドンデン、ドンデン、とクリ返しが続く。もっとだったかな、分かりにくいが根っこにいた大根女優と麻薬医者は最後に心中する。
ロンググッドバイ:
夢の女アイリーンが二件の殺人事件の犯人であることを出版社社長同席の場であばく。社長は警察に通報すべきだというが、マーロウは「明日、明日でいい」といって引き揚げてしまう。アイリーンはその夜睡眠薬自殺をする。
プレイバック:
弁護士から電話でいきなり依頼された尾行対象の女は地元で殺人の有罪判決を受けた後、評決がひっくり返り無罪となるが、被害者の父親に執拗に追跡される。たどり着いた地方都市で彼女の過去を知る脅迫者を(はずみで)バルコニーから突き落として殺す。その話を地元の顔役から聞いたマーロウはなにもせずにロサンジェルスに帰ってしまう。
これだけマーロウの処理の仕方が一貫しているとこれはマーロウ(チャンドラー)の行動規範によるものと考えざるを得ない。村上春樹氏はロンググッドバイのあとがきで「純粋仮設」と言っているが、いわばチャンドラーの
Unwritten RuleというかPI Code(注)というべきであろう。あるいはマーロウの行動の美学というべきか。
注:Private Eye(私立探偵)のCode(行動規範)
村上春樹氏が同じ後書きで紹介している女流作家ジョイス・キャロル・オーツ(彼女もたしかノーベル文学賞候補になったことがある?)のUnselfconscious Eloquence
というチャンドラーについての評言も示唆に富み興味深い。