1-4で敗戦。
なんというか・・・適当な、しかるべき感情表現がみつかりませんでした。
どうして、こんなことになってしまうのか。わけがわからない。
これまでの対戦成績において、極めて相性の悪い相手である秋田。しかし、それだけに勝利を挙げられたなら、ただの1勝以上の価値があったはずの対戦。
それでなくとも、昨季は4失点無得点という大敗を喫した相手。必ずやリベンジを果たす!という強い覚悟というものが、いつにも増して必要な試合であったことは明らかでした。
ここまで既に5敗を現状を打破する上でも、難敵撃破は最重要課題。折しも先週はリーグ戦が無く、敗戦から立ち直るだけの時間も用意されていました。
これまでの弱いカターレと決別し、逆襲の一歩を踏み出さねばならない、そんな試合でした。
・・・にもかかわらず。
どうして、こんなことになってしまうのか。
リーグワースト級の失点という汚点をかき消すべく無失点で抑えねばならなかったはずが、前半の早い段階であえなく失点。早々にゲームプランが崩れました。
それも、相手のプレッシャーに負けて自ら招いたかたちの失点。これまで、幾度もあったケース。
そりゃ、相手の秋田も手ごわかったです。けれども、それ以前の問題。じぶんたちのかたちに、まったく持っていけていない。
果敢に挑みかかってくる秋田の勢いに押され、弱気な、逃げのサッカー。
連動性が小気味よかった秋田とは真逆に・・・連動以前の問題というか。ボールを保持した時点で、ようやく「さて、どうしようか?」なんてもので。先を先を見越してのプレーとは程遠く、相手にチェックに来られて、結局は無難なほうに無難なほうにパスせざるを得ない。
その受け手も受け手で、自ら呼び込む動きが出来ず。自信なさげにボールが来るのを待っているような隙を、相手が見逃してくれるはずもなく。
たまに個人技で突破を試みても、そのフォローが無く。結局は個人技止まりで有効な攻撃につながらず。
そんななかで、懲りもせずに「後方から上げるから前線の選手でなんとかして」という無責任なサッカー。
守備も守備で、退場者が出て足りないわけでもないのに、まるで人数が少ないかのようなディフェンス。相手からかけられるプレッシャーを恐れている様子が手に取るようにわかるありさま。
・・・なんというか。
びっくりした。
悪い流れは継続してしまう一方で、良い流れは継続できない―――これまでも何度も書いてきたことですが、そのまんま。
びっくりするくらい、改善が見られない。
びっくりするくらい、これまでの悪い状態のまんま。
それでなくとも、相性の悪い難敵を相手に苦戦が予想されていたはず。それを跳ね除けての勝利を目指さねばならなかったはず。いつにも増して気合を入れなければならなかったはず。
なのに、なぜ。
なぜ、2週あったのに、悪い部分が微塵も改善されていないのか。
そんななかで、あれよあれよという間に連続失点。それも、明らかにこちらの至らなさが原因という点の獲られかたで。前半のうちにハットトリックを含む4失点。
これまでの自分たちを変えるために、必勝を期して臨まねばならないはずの今節ではなかったのか。
それが、びっくりするくらいに、悪い意味で全然変わっていない。
なぜ、そんなことが出来てしまえるのか、まったく理解できません。
互いの力と力がぶつかり合うような、拮抗した良ゲームにおいては、前半45分が、体感時間で15分から20分くらいでは?なんて感じることがあります。
それとは真逆。まるで、1試合が終わったかのような徒労感がのしかかったのは、言うまでもありません。
ゴール裏は、後半の応援をボイコットすることに。
その行動に、秋田側から「それでもサポーターか!」という非難もあったとか。いかに絶望的な状況といえど、いや、苦しい状況だからこそ、チームを信じて鼓舞するのがサポーターのあるべき姿ではないのか!ということでしょう。なるほど正論です。
しかし。
ひとつだけ言わせてもらいたいです。
「サポーターだって、それぞれに意志のある、感情のある人間だよ」と。
ただ単に声援を、歌をスタンドからピッチへと届けるだけなら、案山子にスピーカーでもくっつけたものを並べておけばいい。採算を無視すれば、AI制御かなんかで戦況に応じた応援、歓声を試合展開とシンクロさせるなんてことも、技術的には可能でしょう。
ただし、それはサポーターの応援じゃない。単なる音声、音、空気の振動でしかない。愛するクラブにかける熱というものが伴っていないならば。
その熱、情熱というものも、どこかから勝手に湧いて出ているものじゃない。供給源から補給し、それをエネルギーに変換しています。
すなわち、それは選手たちのプレーであり、勝利を目指すひたむきさであり。クラブの誇りであり。
それらを受け取り、応援、声援として還元。それを選手たちがまた受け取って力に変えていくというサイクル。
それが、真にクラブがひとつになる、ということ。スローガンにも掲げられている、「心ひとつに」ということでもあります。
そのサイクルが、崩れてしまった。
あまりにあんまりなプレーぶりに、情熱をエネルギーに変換できないところまで追い込まれてしまった。
べつに、4点獲られたことがどうこう、ではありません。3点なら我慢できた、ということではないのだから。
これが仮に5点獲られた試合であっても、同じようにしたとは思いません。絶望的な状況でも果敢にプレーする選手たちの情熱が感じられたなら。
それが、今回はどうか。
これまで浮き彫りにされてきた課題・・・昨日今日からの問題ではないのです。まずい守備の隙を突かれての失点にしろ、逆転を期待できない攻撃にしろ。
そんな状況にもかかわらず、なにひとつ改善が見られないプレーをされたなら。
サポーターだって、人間です。
どんな苦しい状況でもチームを励まし続けるのがサポーター?
どんな大敗を喫したとしても、ネガティブになってもしょうがないから「いいよいいよ、次こそ頑張れ!」と言い続ける?
・・・それは、ほんとうに健全なサポーター像なのでしょうか?
それは、甘やかしというものでは?あるいは、理想というものに自らの意志を塗りつぶされてはいませんか?と。クラブを愛すること、大切に思うことの本質を、はき違えてはいませんか?と。
試合後、社長と黒部部長をゴール裏に呼んで意見を交わす、というシーンがありました。
監督交代ということを現実的に視野に入れねばならないのでは?というサポーター側からの意見に、「手段のひとつとして、当然考慮はしなければならない」と。
ただ、と続いて。
まだ優勝の可能性は失われてはいないなかでもあり、それを目指してしっかりやっていく、とのこと。
そうじゃないのにな、と、残念に思えてなりませんでした。
我々サポーターも、さすがに「監督を代えさえすれば、今までの状況がすっかりリセットされて万事うまくいく!」なんて妄信するほどお花畑思考ではありません。
手遅れになってからでは遅い、ということを知っているから。
仮に新監督を迎えたところで、いきなり成果が出るとは思いません。いや、だからこそ。順応期間を含めて、さらに優勝を目指すことを諦めないのであれば。逆算していけば、時間が足りないことは、明らか。だから、いま言うのであって。それを、可能性がまだまだ残されているうちから判断できない、なんて言われても。
手遅れになってからでは遅いのです。
なにか、選手のプレーぶりにも重なるところがあるように思えるのですが。
たとえ先制点を奪われたとしても、その時点で負けが確定するわけじゃない。点を獲り返して逆転勝ちすればいいこと。
なのに、その勝利への道筋が立てられない。
ゴールを決めねば勝てない。それはわかり切っているはずなのに、そのために有効な攻撃が構築できない。
勝つためには何が何でも得点せねばならないというのに、それに消極的ですらあるように見えてしまう。石にかじりついてでも得点してやる!というような執念が、希薄に思えてならない。
手遅れになってからでは遅いことが、プレーで体現できていない。
「まだ間に合ううちに」という思いが、どうにもすれ違っているような気が。それは、由々しき問題であろうと思います。
もちろん、応援ボイコットなど、本来あってはならないことだと思います。とてもほめられたことではなく、非難を受けることも甘受せねばならないかと。
けれども。
愛想が尽きたから、どうでもいいから投げ出した、放棄した―――そんなわけでは、決してない。それだけは、絶対に譲れないです。
手段に問題があったとも思います。けれども、どう考えても問題があるプレーぶりであった選手たちを、作り笑いで拍手するようなことが正しいとは、到底思えない。
ボイコットを正当化はしません。
しかし。
カターレを思う気持ちに嘘はない。本気で応援している。その信念を貫く覚悟に、変わりはない。
そのことは強く言っておきたいところです。
なんというか・・・適当な、しかるべき感情表現がみつかりませんでした。
どうして、こんなことになってしまうのか。わけがわからない。
これまでの対戦成績において、極めて相性の悪い相手である秋田。しかし、それだけに勝利を挙げられたなら、ただの1勝以上の価値があったはずの対戦。
それでなくとも、昨季は4失点無得点という大敗を喫した相手。必ずやリベンジを果たす!という強い覚悟というものが、いつにも増して必要な試合であったことは明らかでした。
ここまで既に5敗を現状を打破する上でも、難敵撃破は最重要課題。折しも先週はリーグ戦が無く、敗戦から立ち直るだけの時間も用意されていました。
これまでの弱いカターレと決別し、逆襲の一歩を踏み出さねばならない、そんな試合でした。
・・・にもかかわらず。
どうして、こんなことになってしまうのか。
リーグワースト級の失点という汚点をかき消すべく無失点で抑えねばならなかったはずが、前半の早い段階であえなく失点。早々にゲームプランが崩れました。
それも、相手のプレッシャーに負けて自ら招いたかたちの失点。これまで、幾度もあったケース。
そりゃ、相手の秋田も手ごわかったです。けれども、それ以前の問題。じぶんたちのかたちに、まったく持っていけていない。
果敢に挑みかかってくる秋田の勢いに押され、弱気な、逃げのサッカー。
連動性が小気味よかった秋田とは真逆に・・・連動以前の問題というか。ボールを保持した時点で、ようやく「さて、どうしようか?」なんてもので。先を先を見越してのプレーとは程遠く、相手にチェックに来られて、結局は無難なほうに無難なほうにパスせざるを得ない。
その受け手も受け手で、自ら呼び込む動きが出来ず。自信なさげにボールが来るのを待っているような隙を、相手が見逃してくれるはずもなく。
たまに個人技で突破を試みても、そのフォローが無く。結局は個人技止まりで有効な攻撃につながらず。
そんななかで、懲りもせずに「後方から上げるから前線の選手でなんとかして」という無責任なサッカー。
守備も守備で、退場者が出て足りないわけでもないのに、まるで人数が少ないかのようなディフェンス。相手からかけられるプレッシャーを恐れている様子が手に取るようにわかるありさま。
・・・なんというか。
びっくりした。
悪い流れは継続してしまう一方で、良い流れは継続できない―――これまでも何度も書いてきたことですが、そのまんま。
びっくりするくらい、改善が見られない。
びっくりするくらい、これまでの悪い状態のまんま。
それでなくとも、相性の悪い難敵を相手に苦戦が予想されていたはず。それを跳ね除けての勝利を目指さねばならなかったはず。いつにも増して気合を入れなければならなかったはず。
なのに、なぜ。
なぜ、2週あったのに、悪い部分が微塵も改善されていないのか。
そんななかで、あれよあれよという間に連続失点。それも、明らかにこちらの至らなさが原因という点の獲られかたで。前半のうちにハットトリックを含む4失点。
これまでの自分たちを変えるために、必勝を期して臨まねばならないはずの今節ではなかったのか。
それが、びっくりするくらいに、悪い意味で全然変わっていない。
なぜ、そんなことが出来てしまえるのか、まったく理解できません。
互いの力と力がぶつかり合うような、拮抗した良ゲームにおいては、前半45分が、体感時間で15分から20分くらいでは?なんて感じることがあります。
それとは真逆。まるで、1試合が終わったかのような徒労感がのしかかったのは、言うまでもありません。
ゴール裏は、後半の応援をボイコットすることに。
その行動に、秋田側から「それでもサポーターか!」という非難もあったとか。いかに絶望的な状況といえど、いや、苦しい状況だからこそ、チームを信じて鼓舞するのがサポーターのあるべき姿ではないのか!ということでしょう。なるほど正論です。
しかし。
ひとつだけ言わせてもらいたいです。
「サポーターだって、それぞれに意志のある、感情のある人間だよ」と。
ただ単に声援を、歌をスタンドからピッチへと届けるだけなら、案山子にスピーカーでもくっつけたものを並べておけばいい。採算を無視すれば、AI制御かなんかで戦況に応じた応援、歓声を試合展開とシンクロさせるなんてことも、技術的には可能でしょう。
ただし、それはサポーターの応援じゃない。単なる音声、音、空気の振動でしかない。愛するクラブにかける熱というものが伴っていないならば。
その熱、情熱というものも、どこかから勝手に湧いて出ているものじゃない。供給源から補給し、それをエネルギーに変換しています。
すなわち、それは選手たちのプレーであり、勝利を目指すひたむきさであり。クラブの誇りであり。
それらを受け取り、応援、声援として還元。それを選手たちがまた受け取って力に変えていくというサイクル。
それが、真にクラブがひとつになる、ということ。スローガンにも掲げられている、「心ひとつに」ということでもあります。
そのサイクルが、崩れてしまった。
あまりにあんまりなプレーぶりに、情熱をエネルギーに変換できないところまで追い込まれてしまった。
べつに、4点獲られたことがどうこう、ではありません。3点なら我慢できた、ということではないのだから。
これが仮に5点獲られた試合であっても、同じようにしたとは思いません。絶望的な状況でも果敢にプレーする選手たちの情熱が感じられたなら。
それが、今回はどうか。
これまで浮き彫りにされてきた課題・・・昨日今日からの問題ではないのです。まずい守備の隙を突かれての失点にしろ、逆転を期待できない攻撃にしろ。
そんな状況にもかかわらず、なにひとつ改善が見られないプレーをされたなら。
サポーターだって、人間です。
どんな苦しい状況でもチームを励まし続けるのがサポーター?
どんな大敗を喫したとしても、ネガティブになってもしょうがないから「いいよいいよ、次こそ頑張れ!」と言い続ける?
・・・それは、ほんとうに健全なサポーター像なのでしょうか?
それは、甘やかしというものでは?あるいは、理想というものに自らの意志を塗りつぶされてはいませんか?と。クラブを愛すること、大切に思うことの本質を、はき違えてはいませんか?と。
試合後、社長と黒部部長をゴール裏に呼んで意見を交わす、というシーンがありました。
監督交代ということを現実的に視野に入れねばならないのでは?というサポーター側からの意見に、「手段のひとつとして、当然考慮はしなければならない」と。
ただ、と続いて。
まだ優勝の可能性は失われてはいないなかでもあり、それを目指してしっかりやっていく、とのこと。
そうじゃないのにな、と、残念に思えてなりませんでした。
我々サポーターも、さすがに「監督を代えさえすれば、今までの状況がすっかりリセットされて万事うまくいく!」なんて妄信するほどお花畑思考ではありません。
手遅れになってからでは遅い、ということを知っているから。
仮に新監督を迎えたところで、いきなり成果が出るとは思いません。いや、だからこそ。順応期間を含めて、さらに優勝を目指すことを諦めないのであれば。逆算していけば、時間が足りないことは、明らか。だから、いま言うのであって。それを、可能性がまだまだ残されているうちから判断できない、なんて言われても。
手遅れになってからでは遅いのです。
なにか、選手のプレーぶりにも重なるところがあるように思えるのですが。
たとえ先制点を奪われたとしても、その時点で負けが確定するわけじゃない。点を獲り返して逆転勝ちすればいいこと。
なのに、その勝利への道筋が立てられない。
ゴールを決めねば勝てない。それはわかり切っているはずなのに、そのために有効な攻撃が構築できない。
勝つためには何が何でも得点せねばならないというのに、それに消極的ですらあるように見えてしまう。石にかじりついてでも得点してやる!というような執念が、希薄に思えてならない。
手遅れになってからでは遅いことが、プレーで体現できていない。
「まだ間に合ううちに」という思いが、どうにもすれ違っているような気が。それは、由々しき問題であろうと思います。
もちろん、応援ボイコットなど、本来あってはならないことだと思います。とてもほめられたことではなく、非難を受けることも甘受せねばならないかと。
けれども。
愛想が尽きたから、どうでもいいから投げ出した、放棄した―――そんなわけでは、決してない。それだけは、絶対に譲れないです。
手段に問題があったとも思います。けれども、どう考えても問題があるプレーぶりであった選手たちを、作り笑いで拍手するようなことが正しいとは、到底思えない。
ボイコットを正当化はしません。
しかし。
カターレを思う気持ちに嘘はない。本気で応援している。その信念を貫く覚悟に、変わりはない。
そのことは強く言っておきたいところです。