まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

現を抜かす

2017-04-12 | 暮らし

現を抜かすという言葉がある。

最近は、山のことばかりで、現を抜かすという状態である。と、なると、うつつというのは何かという事になる。仕事がううつか?弓道がうつつか?現というのは楽しくない事なのか?

楽しいことは、夢であってうつつではないのかという事になる。分からなくなってきた。、生きているこの「瞬間、瞬間」が現で、過ぎてしまった時は夢のように思える。

先の心配をするのはとりこし苦労というもの。過ぎてしまった日々を後悔するのも鬱々となる。

将来の備えは大切だし、今を一生懸命も大切だと思う。

わたしは、いつからか何かを抜かす日々を送っている気がする。

何を抜かしてしまったのだろう。諦めと寂しさを忘れるために、やっぱり現を抜かす毎日が必要な気もする。

忙しく働くことも現を抜かすという事になる?一体、現って何だろう。


富士写ケ岳 登頂

2017-04-10 | 山歩き

前から予定していた富士写ケ岳を登った。今回は、雪も残っているし、不案内なので山に詳しい友達と行った。

我谷登山口の朱色の吊り橋で、すでにテンションがあがるのである。

我谷ダムを右に見て渡る。ここは五彩湖というのだそうだ。山中温泉九谷で、九谷焼の五彩から名前をつけたと思われる。

橋を渡って右へ行き、すぐに山寄りに細い道を登っていく。いきなり急坂で黙々と登り鉄塔で一息つく。

急坂と穏やかな登りと、ロープのある急な所を登る。高度があがると雪が残っているところにさしかかる。

林を抜けるが、登山道はどこなのか分からない。雪で埋もれた木の枝が、雪が解けて跳ね上がる時がある。また、雪がざらざらで、ぼこっとゴボるときがある。

枯淵からの登山道と合流するとすぐ頂上だ。

鞍掛山は477.7mだが、さすがに941.9mの富士写ケ岳はきつくなってくる。

頑張って頂上に立つと「深田久弥」の方位盤が待っている。

白山が見えるが雲の色と同化している。それにしても、天気が良くて良かった。

12時40分に昼ご飯を食べる。ゆっくり下山し帰ってから、孫を迎えに行き、母と父を見舞いに行った。

病院の階段がなぜか辛かった。山では上がる足が、ここでは上がらないのである。

「自然の中ではニュートラルになる。」と、先日オイコノミアで言っていたけど、本当にそうだなあと思えた。

 


野蒜(のびる)と、蓬(よもぎ)

2017-04-08 | 料理

 

川沿いの桜の周りには食べられるものがある。

kouは、小さい時からノビルを見つけて採るのが上手だ。そして、食べるのも好きなのである。

しかし、弟はお菓子は好きだが、ノビルを酢味噌をつけて食べるなどは好かない様子。

根のところのふくらみが、こりこり美味しいのだけれど、確かに大人の味かもしれない。さて、この雑草のような草の中から、ノビルをどのように見分けるか。

水で綺麗に洗って、さっと茹でて酢味噌あえにする。 

kenは、ヨモギを採ったので、ヨモギ餅を作ることにした。こちらは、きな粉にまぶすので、kenの好きなお菓子である。

ヨモギは地面を這っている若いものが良い。重曹を入れて茹でた後、包丁でよくたたく。

kenが、momoに見本を見せていた。その間に、もち米を洗って炊く。みんなで潰して米粒が残るくらいを「半殺し」っていうのだというと、momoは怖がっていた。

もち米を潰しながら、ヨモギを混ぜ合わせる。

その後、きな粉をまぶして食べたら美味しくて、うかつにも写真を撮るのを忘れた。

「つくしも食べられるね。」と、言っていたが、無視した。つくしまで世話をしたら、夜になりそうだ。手をかける割に美味しくないと思う。婆さんに言わせれば、「砂糖を使えば、木っ端でも旨い。」のだそうだが。

 


春爛漫

2017-04-08 | 暮らし

家から見える水道の桜が一挙に咲いた。燕はまた我が家の小屋にやってきた。

孫たちが遊びに来て、みんなで川べりの桜の所でノビルとヨモギを摘む。

子どもたちの向こうに富士写ケ岳が見える。だいぶ雪も解けてきた様子だ。

2年前、桜が咲いただけでぽろぽろ泣けた。少しは歩けるなあと思うのと、山へ行くのがだぶってきた。

今度は、あそこに登りたい。鞍掛山のようなわけにはいかないだろうけれど。


入学式

2017-04-07 | 暮らし

4月6日、momoの入学式。ランドセルを担いでいるが大きいようだ。そして、まだ身体に馴染んでいない。

いつもの年は桜が咲いているのに、今年はまだつぼみだ。

花桃の前で記念撮影。爺さんの遺影に報告。

生き生きと春はやってくるのに、止まったままの時間がそこにある。

さあまた元気で歩こうか。

 


謎解き登山 その2

2017-04-04 | 山歩き

初めての登山での道迷い体験は不可解でもあった。戒めとして、いつまでも思い出し、「いつかきちんと登ろうね。リベンジ鞍掛山」と、言っていたわたし達であった。

あの時は、塔尾新道から登った。塔尾新道は、滝ケ原の駐車場の賑わいと比べると静かである。きっと、滝ケ原を熟知し、少しずつ経験を積んだ後で挑戦するのだと思う。なぜなら、昔からある登山道は、初心者に相応しく、新道と名が付くという事は、いろいろ経験した後に変化に富んだ道を開拓してできたような気がする。

さて、山頂から後山へ向かうには、避難小屋のところから「後山・三童子山」と、いう標識通りに向かう。

さて、問題はここからである。「加賀とのお新道」の標識通りに下ると、当然「とのお新道」に、行くのだと思う。

わたし達は獅子岩で眺望を楽しんだ。あの日もそうだった。下を覗くと足がすくみそうな岩の先端へでる。Iさんがkenのリックをつかんでいてくれたが、わたしは遠慮。

その後、「加賀とのお新道」の道しるべに従って行く。

さて、この標識が新しい。「8年前にはこの標識はありましたか?」と、訊くと「最近つけたんや。迷う人がいて、電話がかかってきたりすることもあった・・。」と、いうことだった。鞍掛山は山頂でも電話は通じる。さらに、矢印があるのを見落としてはいけない。

ここで二股に分かれていて、右の方は木に紐がぶら下がっている。左へいくと塔尾で、右の方が滝ケ原に続くのである。しかし、その前に「加賀とのお新道」の標識を見て下りてきているので、うっかり見落とすと道迷いになる。何で鉄塔の所に出て滝ケ原に下りてしまうのか・・と。

ここから滝ケ原へ行ってしまうとは、これは厄介な非公式の登山道である。

今日は、滝ケ原へ下りるべく右の道をいく。尾根を歩いて鉄塔にとりつき下っていく。最後にひとりだったら下りないだろう急坂を下りる。お兄ちゃんは慎重だが、弟は急な坂を走り出し止まらずにひっくり返っていた。「走らない!!」と、注意したが、つつっと足が出てしまうらしい。

わたし達家族がおとぼけ家族で、いつまでもプチ遭難を恥ずかしいと思っていたが、この謎が解けて改めて山を安易に登ってはいけないのだと思った。

ただ、完全に謎が解けたわけではない。あの時、尾根伝いに歩いた道は、なだらかだったはずだ。鉄塔を横切って見晴らしのよい尾根を歩いていたように思う。今日の道も、ひとりで行ったら同じところへ行けるだろうか。

 

 


謎解き登山

2017-04-04 | 山歩き

春休みの孫を誘って鞍掛山へ登る。二人とも楽しみにしていたようで、学童へ迎えに行くと、先生に「明日、ばぁばと鞍掛山に登るんや。」と言っていた。先生方は驚いていた。わたしと山がつながらないらしい。

さて、ふざける二人をひとりで登らせるには自信がない。知り合いの山に詳しいIさんにお願いして、一緒に登ってもらった。70才は過ぎているIさんは、ニュージーランドやヒマラヤの経験がある山好きな人で、鞍掛山の塔尾登山道を2年かけて作った人だ。孫たちには「山の先生だから、ちゃんという事を聞くように。」と紹介すると「お願いします!」と、礼儀正しく挨拶をしたので少しほっとする。

今日のコースは、孫たちが両親と行ったという「中ノ谷行者岩コース」から登って、殿と登った時の「塔尾新道迷い探索コース」から下山する。そんなコースはないが、長年の謎で、いつかこのコースを辿ってみたいという気持ちが、何度も鞍掛山に向かわせるのかもしれない。以前、道に迷って塔尾から滝ケ原に下りた話をしたら、間違える人が多いそうで、教えてくれることになった。

中ノ谷行者岩コースの林道を登るが、一人の時はだらだらと長く感じたのに、孫と炭焼きかま跡や、山の木を眺めながら行くと早く感じた。9時半に駐車場を出発して、10時15分に行者岩についた。その後はジグザグに登っていく。行者岩の上までくると子供たちは大はしゃぎ。

またひたすらジグザグに登る。避難小屋を経由して頂上へ。避難小屋は後山と鞍掛山の頂上の鞍部となる。

避難小屋の横には観音様があって「後山」の標識がある。

さて、今日の子供たちのメインイベント「山頂でおにぎりを食べる。」と、いうもの。kenは以前に両親と登ったことを思い出して「おにぎりがチョーうまいし。」と、言うので、おにぎりとゆで卵と漬物を持っていく。

山頂で景色を満喫していると、山頂から少し下った木陰でIさんが湯を沸かし始めて、ラーメンの準備を始めた。これには子供たちが大喜び。一緒に麺を入れ、仕上げにスープを入れる。わたしは、ゆで卵を4個用意していたので丁度良かった。ダイナミックに丸ごと入れた。

旨すぎる。「ウメ――。ちょうどいい味噌加減や。」と、二人が言うので笑えた。

さて、本日はここまで。謎解きは次回。

 

 

 


表情

2017-04-02 | 暮らし

加賀では4月3日までお雛様を飾る。今日は久しぶりに日曜日に休めたので、ひな人形を片付けることにした。天気も良いので気持ち良かった。

母が選んでくれた。歯のあるお雛様は高価なのだと言い、表情がどのお雛様より上品だからと孫の為に買ってくれたのである。だから、わたしの雛人形ではない。娘たちのものであるが、二人とも段飾りの人形を我が家に置いたままでお嫁に行ったので、いつしかわたしの人形のようになってきた。

この人形は、わたしがいなくなったら陽の目を見ることが出来るだろうか。見るたびに綺麗な顔立ちにため息が出る。両親の思い入れがあるからなおさらだ。

顔を眺めると、見る方向によって表情が違うことに面白くなり、箱にしまう前にしばし遊んだ。

 

動かない人形でもこれだけ表情が変わるのだ。人間の顔の表情は百面相とも言えるかも。

さて、最後にふたりのお茶の時間を作りましょう。来年また逢いましょう。