竹の丸は、掛川城の郭〈くるわ)でした。1590年頃、当時の城主山内一豊が掛川城の北の守りとして造成されたと言われます。天守閣や本丸に近づく重要な地として、家老や重臣の屋敷地として割り当てられた地と言われています。
そして、登録文化財は建物の「竹の丸」の方です。この建物が今月、復元改修され現在市民に公開中で、見学したその様子です。
今日は、竹の丸の建物を囲む外側画像をご紹介します。〈建物とその言われは次回にご案内します)
小画像は、きれいに整備された入口付近の外塀と当時の番所です。〈拡大してご覧下さい)
門を入ると母屋です。左側が玄関。 庭園。水はなく、丸い石が敷き詰められています。
竹の丸には離れがあります。この2階は後に増築のようです。左が南面。右が北東面で、ガラス張りのテラスが特徴で、その右の白い部分は土蔵です。
そして、登録文化財は建物の「竹の丸」の方です。この建物が今月、復元改修され現在市民に公開中で、見学したその様子です。
今日は、竹の丸の建物を囲む外側画像をご紹介します。〈建物とその言われは次回にご案内します)
小画像は、きれいに整備された入口付近の外塀と当時の番所です。〈拡大してご覧下さい)
門を入ると母屋です。左側が玄関。 庭園。水はなく、丸い石が敷き詰められています。
竹の丸には離れがあります。この2階は後に増築のようです。左が南面。右が北東面で、ガラス張りのテラスが特徴で、その右の白い部分は土蔵です。