教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

東京大空襲 65年、遺族「最後の節目の日になるかも…」

2010年03月10日 15時07分31秒 | 社会・経済

3月10日11時1分配信 毎日新聞

東京大空襲 65年、遺族「最後の節目の日になるかも…」
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東京大空襲から65年を迎え慰霊堂に向かって手を合わせる望月謙一郎さん=東京都墨田区の東京都慰霊堂で2010年3月10日午前9時37分、内藤絵美撮影
 東京大空襲から65年を迎えた10日、遺族らでつくる「東京空襲犠牲者遺族会」(星野弘会長、会員約800人)も結成から10年目の節目となった。会員の平均年齢は80歳を超えて高齢化が進む。一方で、空襲で失われた地域のつながりをようやく取り戻す人たちもいる。東京都墨田区の都慰霊堂で開かれた「春季慰霊大法要」(都慰霊協会主催)に出席した遺族会員の無職、望月謙一郎さん(82)=大田区=は「平和を続けてもらいたい」と花を手向けた。
【写真特集】東京大空襲 2時間余りの爆撃で、死者は10万人にのぼった

 望月さんの両親と当時14歳と3歳だった弟2人は空襲で死亡した。家族4人の遺骨は見つからず、無縁仏として慰霊堂に眠る。17歳だった望月さんは五反田の軍需工場にいて無事だったが、孤児として生きた戦後のひもじさが忘れられない。 5年ほど前の3月10日。慰霊堂で遺族会のビラを手にして入会。翌年の遺族会総会会場で、遺族が描く空襲画展に足を止めた。生まれ育った「石原町」(現墨田区)や、家族4人が避難した二葉小学校の惨状を描いた絵だった。吸い込まれるように絵に見入った。 作者の堀切正二郎さん(84)=埼玉県草加市=は「熱心に見ている人がいる」と思い、声をかけた。「糊(のり)屋のショウちゃんだよ。望月のケンちゃんかい?」。約60年ぶりの再会だった。 2人が子供時代育った自宅は、わずか30メートルしか離れていなかった。繊維業を営んでいた望月家は、糊販売業の堀切家で糊を毎日買っていた。2人は相撲やベーゴマでよく一緒に遊んでいたという。 その後も交流が続き、空襲画や講演で平和を訴え続ける堀切さんに背中を押され、望月さんは昨年8月に初めて空襲体験について講演した。それまで、家族を捜して焼け野原を歩いたあの日の記憶は誰にも語らずに封印していた。「ずっと重い荷を背負う思いだった」。堀切さんとの出会いがその荷を下ろしてくれた。「戦争反対とただ叫んでも意味がない。戦争経験者は体験を伝え、未経験者は聞くことで平和が続いてほしい」。今はそう思えるようになった。 望月さんは10日、法要の1時間前にグレーのスーツに茶色の帽子姿で会場に到着。慰霊堂の周りを1周し、「65年前とは様変わりしたなあと感じた。慰霊堂の脇の池で弟らとトンボを捕ったり、魚釣りをして遊んだことが目に浮かんだ」とかみしめるように語った。 遺族会は地区ごとの交流会を30回以上開いてきた。大空襲以来の再会を果たす遺族や、心にしまい込んできた体験談を語り始める人が増えている。星野会長は「遺族にとって残された時間は少なく、今日は最後の節目の日になるかもしれない。遺族の思いを今後も次世代に伝えていきたい」と話した。』毎日新聞

 ◇東京大空襲
 1945(昭和20)年3月10日午前0時過ぎ、東京の深川、本所、浅草など下町地域に、米軍機約300機が焼夷(しょうい)弾約33万発を投下した。被害地域は約30平方キロに及び、死者約10万人、負傷者約40万人、焼失家屋約27万戸に上った。この後、米軍の無差別爆撃は全国各地で本格化した。
昭和一桁のお生まれの有る国立大学経済学の教授に教えて貰いましたが、東京でも大阪でも下町、庶民の生活する町、人口密集地、目掛けて米軍機の爆撃機は、焼夷弾を落としたと言われました。日本の家屋は木造が多いので焼夷弾を落とし、ドイツなどは石造建築が多いので、落とす爆弾の種類を変えていたと言われています。大阪大空襲でも、大正15年生まれの亡き母から聞きましたが、油脂焼夷弾を落とされなかなか消せずに焼けどを負って亡くなった人も多いそうです。どんな理由か分かりませんが。戦後生まれの私には分かりません。
東京大空襲の遺族会員www.namboku-law.com/air_raidの皆さんこれからも地区毎の交流会を開かれ、戦争を知らない人達に東京大空襲の悲惨な体験を皆さんに話して平和の貴さと命の大切さを皆さんに教えて上げて下さい。東京大空襲の遺族会員の皆さんも御高齢になられましたが、是非頑張って会員 の皆さんや全国の大空襲の族会の皆さん方と交流を深められて、心にしまいこんでおられる体験談も平和を守る為に悲しい苦しい生きた経験をされたことを若い人達に伝える平和の語りべとしてこれからも健康に注意されて頑張って下さい。空襲体験を平和教育の実践に役立て下さい。
もうすぐ春のお彼岸です。東京大空襲や各地の大空襲で亡くなられた皆さん方の御冥福を心からお祈り申し上げます。合 掌。

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水俣支える2人 教壇に別れ

2010年03月10日 13時55分35秒 | 受験・学校

2010年3月8日

写真原田正純教授=熊本市の熊本学園大、中島写す写真富樫貞夫教授=熊本市の熊本学園大、中島写す

 水俣病の医療や裁判で被害者を支えてきた2人の熊本学園大教授が3月末で退職する。原田正純さん(75)は医師として半世紀、患者を診察し続け、富樫貞夫さん(76)は法学者として約40年間、被害者の裁判などを理論で支えてきた。今後、水俣病研究の原点に返り、診察や資料の編集などに重点を移す。

■「実態解明、今こそ」 原田正純教授

 原田さんは、熊本大医学部時代の1961年から、熊本県水俣市などの漁村で水俣病患者を診察。母親が妊娠中に汚染された魚介類を食べ、胎盤を通じて子どもがメチル水銀に侵された胎児性水俣病の存在を、初めて明らかにした。胎児性水俣病の研究で64年度の日本精神神経学会賞を受賞。ブラジルやカナダ、インドネシアなど世界各国の水銀中毒被害者を診察してきたが、胎児性水俣病の多様な症状の全容がいまだに解明できていないことに心を痛める。 カネミ油症や三井三池炭鉱炭じん爆発による一酸化炭素中毒など、各地で公害や食品公害の患者診察や実態解明の社会医学的研究にあたった。大佛次郎賞や国連環境計画「グローバル500」賞など、国内外で活動が評価されている。  99年に熊本学園大に移ると、「水俣学」を提唱。水俣病事件の教訓を将来に生かすため、学問分野の枠を超えて地元に学ぼうと呼びかけた。02年から始めた水俣学講義には、水俣病問題を告発した故宇井純・沖縄大名誉教授や作家の石牟礼道子さんらが参加した。 半世紀近く水俣病を診てきて「患者に一番近いところにいた」と自負する一方、「いろんな実態を行政や世論に十分伝えられただろうか」と自問する。昨年9月に不知火海沿岸で行った健康調査では、受診した約千人は水俣病と認定されていないのに、9割以上に水俣病の症状を確認した。  退職後は「出発点に帰りたい」と、患者宅を回り、再び診察に重点を移すつもりだ。「数十年前に水俣から出稼ぎに行った世代が帰郷している。実態解明は今だからこそできるかも知れない」と考えている。

■「分社化は責任逃れ」 富樫貞夫教授

 富樫さんは、東北大から63年に熊本大法学部に移った。69年6月、水俣病患者が加害企業チッソを提訴した水俣病第1次訴訟で、患者支援のために結成された研究グループ「水俣病研究会」に原田さんらと参加した。 当時、研究会にいた法学者は富樫さんだけ。水俣病を含む4大公害裁判は企業の責任を問う前例のない訴訟で、「メンバーのほとんどが一から学びながら裁判の準備を進めた」という。メチル水銀を含む排水を海に流したチッソの過失責任を問う新たな責任論を構築し、73年の患者勝訴を理論面で支えた。 99年に熊本大を退職後、鹿児島県の志学館大を経て05年から熊本学園大教授に。同年、原田さんを初代センター長として同大に発足した水俣学研究センターに研究員として参加し、社会科学的側面から水俣病の問題に迫った。  昨年7月に成立した水俣病被害者救済法では、チッソを補償会社と事業会社に分け、水俣病を起こした責任を有する現在のチッソを消滅させる「分社化」の道が開かれた。「チッソの責任逃れを認める法律だ。状況を押し戻していくには、被害者自身がもう一度闘うしかない」と憤る。 1次訴訟支援のために集めた約9万点の資料をまとめ、96年に「水俣病事件資料集」を葦書房、http://www1.ocn.ne.jp/~ashi/ から出版した。今後の目標の一つは、これをさらに充実させること。「2年以内に資料集をあと1冊追加したい」と語る。(中島健) 2010年3月8日アサヒコム

公害の 原因を突き止め無くすことは、日本の自然環境を保護し公害地域の人々の生活と命を守ることになります。公害と言う表現がおかしいと言う意見も有りました。、『1956年熊本県水俣市で発生が確認されたことがこの病名の由来であり、英語では「Minamata disease」と呼ばれる。この後、新潟県下越地方阿賀野川流域で昭和電工が起こした同様の公害病の病名も水俣病であることから、これを区別するために前者を熊本水俣病、後者を第二水俣病または新潟水俣病(にいがたみなまたびょう)と呼称する。ただし、単に「水俣病」と言われる場合には前者を指す。水俣病、第二水俣病イタイイタイ病四日市ぜんそく四大公害病とされ、日本における高度経済成長高度経済成長の影の面となった。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)から一部引用原田正純教授が熊本大學医学部御在任中から原因を調査され医学的に究明された研究者としての功績は大きいと思います。「水俣病、カネミ油症や三井三池炭鉱炭じん爆発による一酸化炭素中毒など公害と言うより「企業の倫理責任」と「企業の社会的責任」と思います。企業は、人なりで有らなければなりません。最近は「公害」と言う言葉もマスコミから消え去ろうとしています。「水俣病を含む4大公害裁判は企業の責任を問う前例のない訴訟で、「メンバーのほとんどが一から学びながら裁判の準備を進めた」と言われています。」メチル水銀を含む排水を海に流したチッソの過失責任を問う新たな責任論を構築し、東北大学から1963年に熊本大学法学部に移り、法律学者の立場から裁判を支援された富樫貞夫教授は、水俣病を起こした責任を有する現在のチッソを消滅させる「分社化」の道が開かれた。「チッソの責任逃れを認める法律だ。」と法律学者として被害者の視点に立ち法律学的に突き止められました。水俣病問題に取り組まれ、水俣病患者の皆さんの救済の為に地域に密着した研究をされた魁のお二人の研究者です。地元の大学で、長年研究された学問を実態調査と現実の裁判の中で水俣病で苦しむ被害者の救済に実践的に生かされたと思います。お二人とも熊本学園大學www.kumagaku.ac.jpを御定年退職後も水俣病患者の皆さんの救済と心の支えとして、健康に注意されてこれからも頑張って下さい。未だ産業廃棄物処理の問題や東京築地中央市場の移転先豊洲地区がかつて東京ガスの施設があったことによる土壌汚染が判明し、中央市場としての安全性が問題化し、築地中央市場関係者による反対運動も起こっています。築地市場を考える会のプログは http://tsukiji-iten.orgです。日本の公害問題は、未だ解決されていない取り組まなくてはいけない環境保護の問題で有ると思います。

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国後沖規則違反事件>通信切り操業は銃撃船含む15隻

2010年03月10日 12時17分14秒 | 社会・経済

『 北海道羅臼町の羅臼漁協所属の漁船2隻による道海面漁業調整規則違反事件で、この2隻とともに出漁していた僚船17隻のうち、衛星通信漁船管理システム(VMS)の電源を意図的に切って操業していたのは13隻だったことが7日、関係者への取材で分かった。道は2隻を含む計15隻を同規則違反で行政処分する方針。8日の道議会水産林務委員会に報告する。 漁船2隻が北方領土・国後島沖でロシア側から銃撃された問題を受け、道は2隻とともに北方領土周辺水域のスケトウダラ安全操業に出漁した羅臼漁協所属の僚船17隻を調査。このうち14隻のVMSが2時間以上作動していなかったことが分かっていた。その後の道の聞き取り調査で、13隻の船長がVMSを意図的に切ったことを認めた。もう1隻は故障だったという。13隻が操業が認められていない「規則ライン」を越えて操業していたかどうかは確認できていないという。 この問題について、北海道訪問中の岡田克也外相は「ルールを守ることは最低限必要」と改めて強調。その上でロシア側の銃撃について「人命にかかわることなので、(ロシア側に)強く抗議をしている。外交には影響を受けることはないと思う」と話した。』3月7日18時51分配信 毎日新聞

北海道羅臼町www.rausu-town.jpの羅臼漁協所属の漁船2隻による道海面漁業調整規則違反事件で、この2隻とともに出漁していた僚船17隻のうち、衛星通信漁船管理システム(VMS)の電源を意図的に切って操業していたのは13隻だったことが分かりましたが。なぜ衛星通信漁船管理システム(VMS)の電源を意図的に切って13隻も操業していたのか13隻の船長と乗組員の声と理由を聞き調査する必要が有ると思います。。規則ラインを超えて操業するとロシア側に拿捕されたり、今回のような銃撃を加えられる事もこれまでどおり多いと思います。衛星通信漁船管理システム(VMS)の電源を切るのは漁船の安全確保と海上保安庁の救助活動や救難活動の正確な位置の確認の上で必要と思います。どんな不測の事態が生じるかも分かりません。亡くなられました森繁久弥さんの知床旅情http://www.youtube.com/watch?v=DRE6LD6v8zoにも歌われています羅臼の町で、漁業を生業とする人達には厳しい自然とロシアとの領海も問題に日々直面して生活している現実を見据え、政治家は、北方領土問題を解決し、羅臼漁協の最北端の海で生活し、漁業に携わる人達の安全操業と命を守る為に努力して欲しいと思います。厳寒の自然と「最果ての海に生きる人々」の現実の環境の厳しさを垣間見る出来事です。私達の食べている「食卓の魚の問題」を皆で考え直して下さい。

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明治大學・志願者数が日本一に

2010年03月10日 11時33分13秒 | 受験・学校

 『明治大は9日、10年度一般入試の志願者数が前年度比9464人増の11万5700人で確定し、初の日本一になったと発表した。2位早稲田大の11万5515人(前年度比5651人減)を185人上回った。99年度以来11年連続日本一だった早大は、12年ぶりにトップの座を明け渡した。』毎日新聞2010年3月10日 東京朝刊

世界同時不況の経済的な影響で、地方から志願者が減少したのではないでしょう。今の苦しい日本の深刻な不況による家庭の経済状況では、東京に下宿して大學に通学すると保護者の仕送りによる家計負担が大変なので、地元の国立大学に志願者が流れ昨年度に比べ数値の上でも志願者数が5651人減少したのではないでしょうか。早稲田大學、慶応義塾大學でも地方からの受験者が昨年より減少傾向に有ると分析できるのではないでしょうか。1位になった明治大學www.meiji.ac.jpとの志願者数の差は185 人で、早稲田大学www.waseda.jpのネームバリューと早稲田ブランドは衰えていないと思います。マスコミや言論界には、早稲田大學出身者が多いので、今の日本の不況が回復すれば1位に帰り咲くと思います。地方からの受験生の為に早稲田大学も地方試験場の拡大や合格後の早稲田大学独自の奨学金給付制度や入学金や授業料の学費減免制度の充実も必要と思います。

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