『鹿児島大(吉田浩己学長)歯学部が8人の学生の卒業試験結果の判定を誤り、不合格としていた問題で、同大は16日、2007年度の卒業試験で不合格だった学生1人を誤って卒業させたことが新たに判明したと発表した。 同大は著しい不利益が生じるとして、判定の変更はしないという。歯学部長と副学部長は責任を取り、月末に辞任する。同大によると、07年9月の卒業試験で、別の学生1人が受験番号を誤記したため、点数を集計したコンピューターソフトの一覧表にずれが生じ、誤って計算されたのが原因という。 同大は昨年8月、卒業試験に合格した学生について、08年度に5人、05年度に3人を誤って不合格にしたと発表。大学が調査していた。』(2010/03/16-13:05)時事通信
<<p>鹿児島大学歯学部が8人の学生の卒業試験結果の判定を誤り、不合格としていた問題で同大は16日、2007年度の卒業試験で不合格だった学生1人を誤って卒業させたことが新たに判明したと発表したが。卒業試験結果の判定を2005年から誤ってばかりでは、鹿児島大学歯学部としての社会的信用を失うものです。6年間歯学部に学んでいる学生と保護者に申し訳が立たないのでは有りませんか。一度や二度の誤りなら世間も許しくれるでしょうが。2005年からでは仏の顔も三度までです。点数を集計したコンピューターソフトの一覧表にずれが生じ、コンピューターソフトの一覧表がずれていたなどきっちり確認しておけば直ぐに誤りに気付く筈です。高度情報時代の今の日本です。最先端の医療機器と最新医学研究が求められている時代に時代遅れの言い訳では、今の国立大学として通用しません。大学のマニアルいやコンビューター管理体制の不備といい加減が露見したのでは有りませんか。鹿児島大学歯学部の社会的評価を下げることのないように努力すべきだと思います。体制の上に胡坐を掻く国立大学としての親方日の丸の時代は終わりました。西郷隆盛・南洲公『学問と言うものはただ文筆の業のことをいうのではない。必ず事に当ってこれをさばくことのできる才能のある事である。』の遺訓に書かれて有る事を鹿児島大学歯学部では忘れられているのでは有りませんか。
南洲翁遺訓
第四十一ヶ条
身(み)を修(しゅう)し、己(おのれ)を正(ただ)して、君子(くんし)の体(たい)を具(そな)ふるとも、処分(しょぶん)の出来(でき)ぬ人(ひと)ならば、木偶人(でく)も同然(どうぜん)なり。譬(たとえ)へば数十人(すうじゅうにん)客(きゃく)、不意(ふい)に入(い)り来(こん)んに、譬(たと)え何程(なにほど)饗応(きょうおう)したく思(おも)ふとも、兼(かね)て器具(きぐ)調度(ちょうど)の備(そなえ)無(な)ければ、唯心配(ただしんぱい)するのみにて、取賄(とりまかな)ふ可(べ)き様有(さまある)間敷(まじき)ぞ。常(つね)に備(そなえ)あれば、幾人(いくにん)なりとも、数(かず)に応(おう)じて賄(まかな)はるる也(なり)。夫(そ)れ故平日(ゆえへいじつ)の用意(ようい)は肝腎(かんじん)ぞとて、古語(こご)を書(かき)て賜(たまわ)りき。
文(ぶんは)非鉛槧(えんざんにあらざる)也(なり)。(ゆう)必有処事(かならずことをしょする)之才(のさいあり)。武(ぶは)非劔楯也(けんじゅんにあらざるなり)。必(かならず)有料(てきをはかるの)敵之智(ちあり)。才智之(さいとちの)所在(あるところ)一焉(ひとつ)而巳(のみ)。
修行して心を正して、君子の心身を備えても、事にあたってその処理の出来ない人は、ちょうど木で作った人形と同じ事である。たとえば数十人のお客が突然おしかけて来た場合、どんなに接待しようと思っても、食器や道具の準備が出来ていなければ、ただおろおろと心配するだけで、接待のしようもないであろう。いつも道具の準備があれば、たとえ何人であろうとも、数に応じて接待する事が出来るのである。だから、普段の準備が何よりも大事な事であると古語を書いて下さった。
『学問というものはただ文筆の業のことをいうのではない。
必ず事に当ってこれをさばくことのできる才能のある事である。武道というものは剣や楯をうまく使いこなす事を言うのでは無い。必ず敵を知ってこれに処する知恵のある事である。才能と知恵のあるところはただ一つである』
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