『自民党の憲法改正推進本部(本部長・保利耕輔元文相)が4日公表した論点整理に徴兵制の検討を示唆するかのような部分があり、大島理森幹事長が急きょ談話を発表して打ち消す一幕があった。 論点整理は「国民の権利及び義務」の項目で「ドイツをはじめ多くの国では、憲法で、国民の兵役義務や、良心的事由に基づいてこれを拒否する者の代替役務等が定められている」と指摘したうえで、「民主主義国家における兵役義務の意味や軍隊と国民との関係などについて、さらに詰めた検討を行う必要がある」と提起した。
これが「徴兵制検討」と速報されたのに慌てた大島氏は、談話で「論点整理はあくまでも他の民主主義国家の現状を整理したもの。わが党が徴兵制を検討することはない」と否定した。』最終更新:3月5日1時28分3月4日21時1分配信
毎日新聞
『海外
戦没者の御
遺骨の現状. 海外
戦没者. 240
万人. 日本に帰国. 124
万人. 未帰還.
116万人. フィリピン
戦没者. 51
万8千
人.当会では下記の通り、戦没者の遺骨と遺品を遺族に返還を求める署名活動に取り組むことになりまた。』NON PROFIT ORGANIZATION・特定非営利法人空援隊
office@kuuentai.jpのホームページより引用。自民党の憲法改正推進本部本部長・保利耕輔元文相は、今如何なる目的を持って徴兵制の検討をしているか疑義有ります。一銭五厘の赤紙一枚の招集令状で、日本国の為にひたすら戦った戦没者の遺骨が、戦後65年海外の各戦地に野ざらしにされたり、南方の海底の沈んだまま放置されている遺骨を収集もせずに徴兵制論議はおかしいことです。元政権政党としての自由民主党の責任でも有ります。遺骨収集問題に取り組んでいるアルピニストの野口健さんの「あの戦争に正面から向き合っていないと思う。こんなことでは今後、国のために命をかける人はいなくなる。 政治の力で『絶対に連れて帰るんだ』という意思を示してもらいたい」の 言葉に政治家の戦争への責任と国家の責任を感じます。
戦争中戦地で亡くなった政治家はいないと言われています。
戦争が起こったら暖衣飽食でメタボ体格の政治家や息子さんに国民の為に第一戦で戦って貰ったに良いと思います。
戦没者、召集され戦争で亡くなられた方々の貴い血と命を軽視する政治家に
国の命運をゆだねられるでしょうか。
歴史は繰り返す、いつか来た道を歩まないように平和ボケしないで、国民が今こそ考える必要が有ります。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』井上成美海軍大将の略歴より一部引用『2008年、
陸上自衛隊元幹部前川清氏 が
1969年(昭和44年)に井上成美邸を訪問し、その会話を録音したテープが発見され、
NHKのニュース『最後の海軍大将自衛隊への遺言』で放映された。その中では「大義名分が立たない戦に部下を殺すのは大嫌いだ、大嫌い以上にやるべきじゃない。大義名分とは何かというと
独立ということ、それを脅かされた時はこれはもうどうにしてもしょうがない」「しかし戦争というモノは良いものではないから、私はね戦争は必要悪だと思う」とする』井上成美元海軍大将自身の考えは、戦争体験者としての貴重な遺言と思います。
沖縄県で、一人戦没者の遺骨収集をコツコツされている1949年生まれの ポランティアの人も 『遺骨収集をしていて、国のために命をかける人はいなくなる!と野口さんと同じ事を言っています。私のブログで、以前取上げさせて頂きましたが、お名前が出て来ません。
『激しい戦闘が行われた南方の戦場で60年近く経った今日、個体化している遺骨の発見はますます困難となっています。また、国内に持ち帰られ身元がわからない遺骨は千鳥が淵墓苑に埋葬されますが、千鳥が淵墓苑は墓地埋葬法による許可がなく違法と思われる状態が続いています。
戦時中、戦没者の多くの遺品が戦場より戦利品として持ち去られましたが、これらの一部はインターネットオークションで販売されるというまことに心の痛む実情もあります。 』
戦没者会www.senbotsusya.com/jp/05/<wbr></wbr>index.html のホームページより引用。今の悲しい現実も直視すべきです。戦没者の供養もままならぬ今の日本の状況では、身元が分からなくなってしまわれた戦没者も本当に浮かばれません。南方の島々は、陸地も海中も戦没者の墓場のようになっています。軍艦海峡と言われ沈んだ海底に沈んだ鉄製の艦船で、コンパスも狂う南の海も未だ存在すのです。私の亡くなった父も旧日本帝国陸軍の編成地京都市伏見区置墨染・昭和13年編成の中支派遣軍第116師団嵐兵団、通称嵐6213部隊、第109連隊第1大隊、第4中隊第1分隊の軽機関銃手の陸軍伍長として従軍し最前線で7年間闘い抜き、父は野戦と言い、戦争の悲惨さや苦しさは命を的に実際に体験したものしか分からないと言っていました。テレビのコンバットや戦争もの番組、映画は、実戦とは全く違うと言い見ませんでした。最前線では食料も不足していて、夏の戦場で一日きゅうり一本で戦ったとも教えてくれました。
西安の成都飛行場への総攻撃の決死隊で大きな負傷をし頭には、中華民国の蒋介石の軍隊と戦った時に迫撃砲弾が頭と肩、手、太ももに入ったままで摘出出来ず右目は視力がなくなり、白内障の手術も片目なので眼科医に断られました。戦争は二度してはいけないが父の最期の遺言でした。戦死した戦友を父は中国の土に随分穴を掘り埋めて来たと言いました。
部隊の生き残りは、僅かでほとんど戦死し、父は戦死した戦友を想い戦後傷痍軍人の申請をしませんでした。
戦争になっても、自衛隊隊員しか今の若い人達では、体を鍛えていないので体力面でも役に立たないと言いました。父は七年間中支戦線で山野を掛け巡りましたが、戦後マラリヤが出ましたが、戦争に行く前から毎日走ることで体力をつけていましたので克服しました。
父の弟もフィリピンレイテ島で、陸軍の野戦重砲の上等兵で戦死し遺骨未だ還って来ていません。昭和20年7月25日アメリカ軍の砲弾に当たり戦死したそうです。白木の箱中にお供物のはくせんこうと言う干菓子が一つ入っていただけだったそうです。日本の国の為に戦った戦没者を供養し戦地で亡くなった戦没者の遺骨を収集するのが1番先で、政治家や日本国家の責務で有り、日本の国家の名誉と品格が世界に問われている未だ解決されぬ遺骨収集の問題です。戦没者の御遺族も高齢化されていますので、亡くなられた方も多いと思いますし早く遺骨収集を国家として実現しないと野末の石の下に皆入られてしまいます。経済大国、科学技術立国の今日の日本の平和と繁栄は、貴い戦没者の血と命の犠牲により培われていると言うことを忘れてはならない肝に銘じるべき事です。日本の戦後処理は、未だ終わっていません。海外各戦地に遺骨が野ざらしにされたままでも、土に返り良いと言った亡くなった墓相家もいましたが。亡くなられた戦没者皆さんの日本に帰りたいと言う切望や悲痛な声が聞こえないのではないかと思いました。戦没者の皆さん本当に御苦労様でした。64年間海外の元戦地で、野戦や海で、風雨や嵐にさらされ本当にお気の毒に思います116万の戦没者の皆さんの全員の無事日本への御帰還と御遺族の家にお帰りにこなれる日が一日も早く来ますように心からお祈り申し上げます。戦没者の皆さん本当に御苦労様でした。もうすぐ春のお彼岸が来ます。116万人の戦没者の皆さんの御霊の御冥福を心から最後にお祈り申し上げます。
240万人の戦没者の御霊を戦後生まれの人達に忘れないで戴く為に著作権権違反になると思いますが、「暁に祈る」の歌を捧げます。
暁に祈る
野村俊夫 作詞
古関裕而 作曲
(レコード会社専属曲のため曲を削除。)ああ あの顔で あの声で
手柄頼むと 妻や子が
ちぎれる程に 振った旗
遠い雲間に また浮かぶ
ああ 堂々の 輸送船
さらば祖国よ 栄えあれ
遙かに拝む 宮城の
空に誓った この決意
ああ 傷ついた この馬と
飲まず食わずの 日も三日
捧げた生命 これまでと
月の光で 走り書
ああ あの山も この川も
赤い忠義の 血がにじむ
故国まで届け 暁に
あげる興亜の この凱歌www.fukuchan.ac/music/j-senzen/<wbr></wbr>akatsukiniinoru.htmより歌詞は引用。「暁に祈る」、伊藤久男さんの歌は下記をクリツクして聞いて下さい。
2009年2月3日 19:08:52 産経新聞
「あの戦争に正面から向き合っていないと思う。こんなことでは今後、国のために命をかける人はいなくなる。 政治の力で『絶対に連れて帰るんだ』という意思を示してもらいたい」
かつて、富士山やエベレストのゴミの問題に取り組んだときも最初は冷ややかだった。 だがいろんな場所で深刻さを訴えて協力を呼びかけ、今では大きなムーブメントになった。
「僕の役割はできるだけ多くの人に『伝える』こと。ほとんどの国民は遺骨収集のことをよく知らないのです。
でも、反響は思ったよりすごい。確かな手応えを感じてますよ」
昨年末、遺骨収集事業が民間にも開かれる道筋ができた。この3月、
自分の手で遺骨を帰すべく、今一度、フィリピンへ向かう。
本土以外の戦没者は約240万人。その半数の遺骨が未帰還だ。遺骨収集の「いま」を追う。(喜多由浩)
【プロフィル】野口健
のぐち・けん 35歳 昭和48(1973)年、米ボストン生まれ。25歳のとき、
7大陸最高峰世界最年少登頂記録を達成。遺骨収集問題、環境問題に取り組む。
『 当会では下記の通り、戦没者の遺骨と遺品を遺族に返還を求める署名活動に取り組むことになりました。
戦没者の方々の置かれている現状をご理解いただき、多くの国民の皆様のご協力をお願いいたします。
戦没者の方々の置かれている現状をご理解いただき、多くの国民の皆様のご協力をお願いいたします。
衆議院議長 殿
参議院議長 殿
紹介議員
戦没者の遺骨と遺品を遺族に返還を求める請願書
戦後58年が経過しました。しかしながら、全戦没者の約半数(南方方面は約8割の116万人)の遺骨が放置されています。それにもかかわらず、厚生労働省は平成14年度厚生労働白書で、「南方方面の遺骨収集はおおむね終了した」と述べています。
南方では、今でも農作業や家の改築中に遺骨が発見されております。沖縄では遺骨と遺品が同時に発見さたにもかかわらず、その後10年近く放置されたままになっているという例さえあります。
日本の戦没者遺骨収集は昭和27年の国会決議ならびに28年の閣議決定、「太平洋戦争による海外戦没者の遺骨収集については、関係国の了解を得られる地域より逐次実施している・・・」によって始められましたが、国交がある国でも相手国の了解が得られないという理由によって放置され、現在も野ざらしの遺骨が無数にあります。
今年度から収集遺骨にもDNA鑑定が行われることになりましたが、その地域は主にシベリア方面でしかも個体化している遺骨に限られています。激しい戦闘が行われた南方の戦場で60年近く経った今日、個体化している遺骨の発見はますます困難となっています。また、国内に持ち帰られ身元がわからない遺骨は千鳥が淵墓苑に埋葬されますが、千鳥が淵墓苑は墓地埋葬法による許可がなく違法と思われる状態が続いています。
戦時中、戦没者の多くの遺品が戦場より戦利品として持ち去られましたが、これらの一部はインターネットオークションで販売されるというまことに心の痛む実情もあります。
このように、国のために尊い命を捧げた方々への戦後処理を放置しておきながら、日本政府はアメリカの要請を受け、自衛隊のイラク派兵を決定し戦争への道を走りはじめました。あの戦争でなぜ多くの若者が犠牲になったのか、不戦の誓いはどうなっているのか今回の決定は理解できません。
戦没者追悼式では毎年「国の繁栄は戦没者の尊い犠牲があったから」と言われますが、この言葉と現実とはかけ離れすぎております。戦没者遺族も高齢になってまいりました。日本政府が現実を直視し、1日も早く戦没者の遺骨と遺品を遺族の元へ返還させるために次の諸事項の速やかな実現を要求するものです。』
請願項目
- 戦没者の遺骨収集及び遺品返還活動を再点検し「遺骨の捜索収集」を行うための法案をつくること。
- 全戦没者遺影の保存及び遺族のDNAデータベース化を行い、収集遺骨はすみやかに遺族に帰す措置を講じること。
- 千鳥が淵墓苑の違法と思われる状況を改め、国立墓地を建設すること。
- 外交努力により全ての戦地(中国・北朝鮮・インド・インドネシア・ウズベキスタン等)でも遺骨収集が行えるようにすること。
- 新たな戦争(イラク戦争)に自衛隊を派遣しないこと。
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※当会ではとされ!会のお名前が掲載されていないのが、皆さんに分かりにくいと思いました。 正式な名称を是非掲載してください。
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