大学生の学業を支援する奨学金。国の新年度予算案では教育費負担軽減策として、その充実がうたわれ、1兆円超の事業費が盛り込まれた。だが、拡充されたのは主に利子がある貸与分。返還不要の給付型の導入を望んでいた関係者からは失望の声も出ている。高等教育を社会でどう支えるべきかという本質的議論は、政権交代後も盛り上がりを見せない。
■滞納増え、回収強化
「進学機会を奪わないで!」「お金の心配なく学びたい」。2月20日、東京・渋谷駅前。学生らが次々とマイクを握り、日本学生支援機構が進める奨学金回収強化策の撤回を求めた。 日本の公的奨学金事業を担う機構は、増え続ける滞納対策として、4月から、滞納者情報を個人信用情報機関に通報する制度を始める。通報された者は銀行ローンを組めなくなったり、クレジットカードを作れなくなったりするなど、生活に大きな支障が出る可能性がある。
都内のコンピューター関連派遣会社で働く男性(32)は、私大大学院の2年間で機構から400万円を借りた。卒業後8年間は返せたが、うつ病で休職。会社の業績も悪化し減給され、返還が滞った。年収は270万円、うち100万円は家賃で消える。「生活で精いっぱい。働き始めた時は、こんなことになるとは思いもしなかった」。滞納額は利子も含め約430万円。返還猶予を申請している。 機構の奨学金は貸与のみで、無利子と有利子の2種類。返還免除が受けられるのは大学院生の一部成績優秀者だけだ。貸し倒れの危険がある「リスク管理債権」に当たる3カ月以上の滞納額は昨年度末で2386億円と、3年前より522億円増えた。機構や文部科学省は「返還金は次の奨学金の原資に充てている。回収強化は必要」としており、昨年の行政刷新会議の事業仕分けでも「借金を踏み倒せば社会的制裁がある」などと厳しい声が飛んだ。 だが、滞納者を取り巻く状況は厳しい。昨年度の滞納理由は「低所得」の39.6%がトップで、「親の債務返済」も36.4%。6カ月以上の滞納者の84%は年収300万円に達しない。日本学生支援機構労組の岡村稔書記次長は「返したくても返せない人がいることがどれだけ認識されているのか。借りることに不安を感じて進学をあきらめる生徒もおり、本来の奨学機能が半減する」と危機感を抱く。 有利子枠だけを拡大してきたことを問題視する声も多い。そもそも有利子型は、根幹の無利子型を補う措置だったが、08年度の貸与実績は無利子型が34万8千人、2479億円に対し、有利子型は76万2千人、6446億円。無利子型は10年前からほぼ横ばいだが、有利子型は人数で約7倍、額で10倍に増えている。背景には、独立法人化や小泉改革で、収益性など民間の発想が重視されたことがある。 結果、機構の奨学金は望めば、有利子型ならほとんど利用できるようになった。学部生でみると、現在は3分の1が貸与を受けている。入学後から上限の金利3%で月12万円借りた場合、卒業時には800万円近い借金を背負うことになる。
■日本の家計負担、突出
新年度予算案の奨学金事業は118万人分、1兆55億円と、前年度より580億円増えた。ただ、過去に増やした貸与者が進級し継続して借りるための措置分が大半で、実質上は拡充とは言えない。政府の拠出分は前年度と同額で、予算の大部分は財政投融資資金が占める。貸与者は3万5千人増えるが、うち3万人がやはり有利子枠だ。 日本の高等教育への公的支援の貧弱さはかねて指摘されてきた。経済協力開発機構(OECD)の報告では、公的支出は国内総生産比で0.5%と加盟国中最低(06年)。逆に家計負担は51.4%と突出して重い。学費は高騰の一途で、この35年間に消費者物価指数は2倍弱なのに、授業料は私大で約5倍、国立大では15倍にアップしている。 大学進学率は50%を超えたが、東京大の大学経営・政策研究センターが05、06年に全国の高校生を対象にした調査によると、年収200万円以下の家庭では28%。昨年度の大学中退者の15.6%は経済的理由だった。導入の声が高まる給付型奨学金は各大学や民間に委ねられており、広がりはまだまだだ。 民主党は昨年、総選挙前の政策集で、徐々に高等教育無償化を進めるとともに、奨学金制度を大幅に改め、給付型制度を検討するとしていた。今回の新年度予算案に、支援機構労組の岡村書記次長は「低所得の人間ほど借金がかさみ、学ぶ権利から遠くなっている。猶予はない。政権交代に期待していたのだが……」と落胆を隠さない。 文科省学生・留学生課は「高等教育の公的負担をどうするかは、奨学金に限らず幅広い議論が必要だ。ただ、現在の制度と限られた予算では、一時的な負担軽減策であっても貸与枠を拡充する努力をせざるを得ない」としている。■矢野眞和・昭和女子大教授に聞く
教育費の観点から政策提言してきた矢野眞和・昭和女子大教授に公的負担の問題について聞いた。 ――奨学金滞納が問題になっています。
正規雇用と年功賃金が崩れ、就職すらままならないのにどうやって返すのか。それを若者のモラル低下のように言うのは、恵まれた経済成長時代に奨学金を返した古い世代の誤った考えだ。今の公的奨学金制度はまさに親子ローンで、貧しさが相続されるだけ。「奨学金」の名に値しない。 ――日本の高等教育費の家計負担は極めて重い。 社会のための大学という合意が戦後に消え、高等教育は自己投資で受益者負担が原則との考えが進んだ。子の教育は親の責任という家族主義が進学熱を高めたが、この日本的な親負担主義は限界に来ている。大学の数がそもそも多すぎるという人がいるが、進学率50%は世界的に見て特別高いわけではない。半分という数字は、実は中間層が分断されているということ。経済的理由で進学できない中流層が増えれば、結局は社会の底上げを損ない、現代の知識集約型産業構造に対応できなくなる。 ――欧米では給付型奨学金が充実し、フランスやドイツの国立大は学費が原則無償です。 すべて公費で賄うのは無理でも、日本はあまりに公私の費用バランスが悪い。高校無償化もいいが、大学の学費との落差が大きすぎることの方が問題だ。 ――政権交代したが、高等教育予算は伸びませんでした。 奨学金制度をいじるだけでは教育の機会均等実現は無理。結局、限られた資源の全体配分をどう変えるかの政策論の問題だ。そのためには、社会として大学に何を求め、どう支えるかの本質的議論が必要。落第のない高い卒業率や新卒就職主義など日本独特の大学文化や雇用システムも含めトータルに見直し、グランドデザインを描かなければならない。制度論に終始し政策論に踏み込まないのなら、政権交代の意味はない。 』2010年3月2日 アサヒコム
日本学生支援機構の奨学金を貸与されながら大學を卒業してから経済的な正当な理由も無いのに支払わない貸与者は問題ですが。世界同時不況により、保護者のリストラや企業倒産、自営業の倒産廃業で奨学金を受けないと大学に進学出来ない高校生や大學で勉強出来ない大学生も多いと思います。親御さんの予期せぬ突然の病気や交通事故にあったり、自殺により亡くなった家庭も有ります。 民主党の選挙時のスローガン通り生活者の目線に立つて、有利子の奨学金制度を増やさず無利子の奨学金制度に変換し、欧米型給付型奨学金制度の導入を日本でも導入すべきです。国公立大学は1972年までは授業料は安かったのですが。私立大学との国立大学と私立大学の格差是正の政策で、国私是正とも言いますが1972年の大幅値上げを契機に、1975年からは授業料と入学金を毎年交互に値上げすると言うパターンになりました。現在の国公立大学の学費は1972年に比べ15倍までになっています。入学金と授業料の両方を合わせた国立大学の初年度の納入金は、それ以後20年間、ほぼ年額3万円ずつ上げ続けられて来ました。これからは、国公立大學と私立大学との学費の格差是正政策は取り止め、この際国立大学の学費は、下げる好機ではないでしょうか。経済的に困窮し学生には国公立大学の入学金、授業料の返還不要の全額免除制度の導入も考えるべきです。大學独自の奨学金制度を充実、拡大していかないと今の不況がこのまま続けば、今後経済的に困っている家庭の高校生は、大學には進学出来なくなり、経済的な理由で大學中退者も増えて行くのではないでしょうか。教育基本法の「教育の機会均等」の精神が、未曾有の大不況の中でこそ生かされるべきでは無いでしょうか。「教育の機会均等」が完全実施されなければ、戦後民主主義教育の価値はなくなると思います。国家と地方自治体の財政的支援が必要ですが。経済的に恵まれていない学生にこそ学ぶ権利は、教育権は保障されるべきです。弱肉強食の競争原理による勝ち組と負け組みの区別をし、社会的弱者を切捨てるのは「民主主義の原理」に反すると思います。
国立大学授業料 値上げは再考すべきだ 『朝日新聞』2005年1月19日付 私の視点
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東京大学大学院理学系www.s.u-tokyo.ac.jp研究科長・理学部長 岡村 定矩(おかむら さだのり)氏現東京大学副学長の御指摘を下記に書かせて頂きましたが。5年前に書かれたものとは言え、現在の日本にも十分通用する科学者の目から見た警鐘です。
研究者の頭脳流出が言われて久しいが、研究者の卵である学生まで流出するようになっては、「科学技術立国」など、とてもおぼつかない。それが杞憂にならないことを願うばかりだ。
『朝日新聞』2005年1月19日付
私の視点
東京大学大学院理学系研究科長・理学部長 岡村 定矩(おかむら さだのり)
『 昨年末、閣議決定された05年度政府予算案には、国立大学の年間授業料の目安になる「標準額」を今年4月から1万5千円引き上げて、53万5800円とすることが盛り込まれた。たかが3%との見方もあろうが、高等教育に対するこの国の姿勢を憂慮せざるを得ない。再考すべきだ。過去40年間の国立大学の学費の推移を見ると、76年度に「大転換」があった。それまで授業料と入学金は低い水準だったが、同年度から毎年交互に引き上げられるということになったからだ。両者を合わせた初年度の納付金は、それ以後20年間、ほぼ年額3万円ずつ増加し続けてきた。
消費者物価は93年ごろからほぼ横ばいになり、98年からは下降しているにもかかわらず、初年度納付金は右肩上がりの増加を続けているのだ。今回の引き上げはこの延長線上にある。 76年度の大転換の背景には、受益者負担論と私学との格差是正の声があった。だが、教育の成果を個人の利益に結びつける受益者負担論が強調されると、社会のモラルがそこなわれる。 「いい大学に行って、いい会社に入りなさい。勝ち組にならなければだめよ」 この言葉の背景には、教育の成果を国の将来に役立てようという発想はない。 東大が実施した03年度の学生生活実態調査によると、アパートなどに住む東大の学部学生の生活費は、月額約16万円。現行の授業料の月額は4万3400円なので、生活費に占める授業料の割合は27%になる。私が大学に入学した66年は授業料が月額千円、生活費は約2万円で、その割合は5%にしか過ぎなかった。 /> 約40年間に、消費者物価指数は3倍になったが、授業料はなんと、43倍にも跳ね上がったのだ。 標準額の引き上げが実施され、多くの国立大学法人が、経営上の観点から実際に授業料を引き上げれば、約30年前に始まった値上げが、今後も延々と続くことになるだろう。 高等教育は受益者の負担が当然として、学費が上がり続ければ、いずれは教育の機会均等をも脅かすレベルになろう。いや、既になっているかもしれない。家庭の経済状態によらず、能力によって進学できる一定の枠を義務教育ばかりでなく、高等教育にも保障することは、国の発展に必須のことではないだろうか。大学院生に与える影響は特に深刻だ。理系の大学院では教育と研究は一体で、院生は学ぶ立場であると同時に、研究の遂行に不可欠な役割も果たしている。 このため、先進国の大半の大学院では、奨学金や授業料免除などで、院生の学費負担が事実上ほとんどない仕組みを作っている。留学生向けの優遇措置を備えたところも多い。 日本だけが、博士課程も高い学費が必要なのに、それに見合う奨学金などの制度が十分ではない。こうした現状を放置しておけば、優秀な学生は日本の大学院には行かず、お金のかからない外国の大学院に流れ始めることだろう。 例えば、旧日本育英会の奨学金事業を引き継いだ日本学生支援機構の奨学金返還免除制度を思い切って廃止し、それに充てている財源で奨学金の支給枠を増やすのも一案ではないか。 研究者の頭脳流出が言われて久しいが、研究者の卵である学生まで流出するようになっては、「科学技術立国」など、とてもおぼつかない。それが杞憂にならないことを願うばかりだ。』 岡村 定矩氏(おかむら さだのり、1948年3月10日 )は、山口県豊浦郡豊浦町(現・下関市)出身の日本の男性天文学者である。高瀬文志郎の弟子で、専門は銀河天文学、観測的宇宙論。2008年現在、東京大学副学長。