教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

仙谷、馬淵氏の辞任要求=「部下だけ処分は言語道断」―野党

2010年12月24日 16時55分58秒 | 国際・政治

 中国漁船衝突事件のビデオ映像流出に絡む海上保安庁職員の大量処分を受け、野党各党は22日、仙谷由人官房長官と馬淵澄夫国土交通相の政治責任は免れないと重ねて強調した。野党は両氏に対する問責決議可決を踏まえ、次期通常国会でも辞任要求を一段と強める方針だ。  自民党の石破茂政調会長は取材に対し、「行政官や海上保安官たちだけに責任を負わせ、自分たちはのうのうとしていることは厳しく断罪されるべきだ」と批判。公明党の山口那津男代表も「政治判断の責任が取られていないので、問責決議の重要性が増すのではないか」と強調した。  みんなの党の渡辺喜美代表は記者会見で「問責決議を受けている馬淵氏が辞めないで、部下を処分するなど言語道断だ」と批判。「尖閣事件(の処理)を主導した仙谷氏がその職責にとどまり続ける方がはるかに問題だ」と断じた。2010年12月23日(木)00:03  [時事通信社]

中国漁船衝突事件のビデオ映像流出は、菅内閣の中国漁船衝突事件のビデオを国民に全面公開しなかったことに総て起因していますし、中国との不明瞭な密約や中国漁船員15名無罪放免し、検察当局に丸投げの責任転嫁と間違った外交対応の政治責任を一切果たさずにビデオ映像を流出した海上保安官に全責任を摩り替えて、海上保安庁に又も責任を転嫁し菅政権の維持の為に政権の座にしがみ付いている国民不在の閣僚の姿です。野党のこ国会開催中の菅内閣への追及姿勢も本当の事実を見据え、囮にした海上保安官の国家公務員法守秘義務違反と国家公務員秩序維持ばかりに囚われて、国民の知る権利の実現と日本の国益を守り、国家主権の侵害を正す論陣を張り闘い抜いたか、一国民として不甲斐なさも感じました。誰も責任を取らない菅内閣の今実態です。今度は、元小沢一郎幹事長を切り捨てて、今までの政治責任の失政を今度も小沢一郎氏に責任を総て転嫁し菅内閣の支持率を上げ政権の延命を目指す策謀です。ダイヤモンドオンライン、 田中秀征氏・元経済企画庁長官、福山大学客員教授の『政権ウォッチ』、【第63回】 2010年12月23日、決裂に終わった菅・小沢会談「不毛なケンカ」は年明けも続くで田中秀征氏の『12月20日に、菅直人首相は小沢一郎元首相と会談。両者譲らずに決裂。小沢問題は年を越すことになりそうだ。 菅首相は、窮鼠猫を噛む心境なのだろうか。“小沢切り”に政権浮揚の最後の望みを託しているように見える。 だが、既に指摘したように、この半年の内閣支持率の低下は、小沢氏の責任よりも、菅首相自身の失敗の責に帰す度合いがはるかに大きい。 報道によると、2人の会談は、首相がきわめて感情的、高圧的な態度であったらしい。 特に、小沢氏の発言のコピーを秘書官にもってこさせて詰問するに至っては、まるで検察の取り調べをほうふつとさせる。とても同志、それも世話になった同志に対する態度ではない。 この会談によって、首相と小沢、鳩山(由紀夫)両氏の関係は修復不能の域に達してしまった。 これでわれわれは、年明けから、この不毛なケンカの後半戦につき合わされることになる。結果的に、日本の政治をさらに混乱されることになろう。「退陣」こそが、菅首相にとっても最善の道だ どうすればよいか。それは誰にもわかっている。 菅首相が、「私も退陣するから、あなたは離党して下さい」と言えばよいのだ。 現在の混乱の原因は、すべて参院選の大敗にもかかわらず菅首相が続投したところにある。 私は本欄で、参院選で不信任されたのだから、菅首相は、橋本龍太郎元首相や安倍晋三元首相のように即座に退陣すべきことを主張した。しかし、菅首相は、何と開票途中に先手を打って続投を宣言したのである。 私が退陣を促したのは、それが日本の政治にとって、また民主党にとって最善の道であり、何よりも菅首相が再評価され、出直す可能性を残す唯一の道だと信じたからだ。 世間は、潔い人を決して見捨てない。首相はまた一兵卒に戻って再起を目指せばよかったのである。』の御指摘通りです。政治責任を一切果たさないような政権指導者に、責任ある政務や危険な任務を遂行する気に誰がなるでしょうか。政治的重大問題や国家の緊急事態が起これば総て官僚の責任だと逃げてしまわれれば、無責任な上層部に誰が責任を持って、難しい困難な職務を遂行するでしょうか。恫喝や暴言では、誰も真剣にやってられないのでは有りませんか。亡くなられた植木等さんの日本一無責任男、菅内閣総理大臣は気楽な稼業来たもんだ!と揶揄されています。ハナ肇とクレージーキャッツ の『ゴマスリ行進曲』の歌詞ように菅直人内閣総理大臣の仮免許発言でも『口から出まかせ、出放題、手間もかからず、で元手元でもいらず。』では国民は、 大迷惑で作詞者の故青島幸男氏もびっくりでしょうね。菅直人総理大臣は誰にゴマを刷っているか分かりません。

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「歌会始の儀」最年少は14歳、入選者発表

2010年12月24日 12時53分50秒 | 受験・学校

「宮内庁は来年1月14日に皇居・宮殿で行われる「歌会始の儀」の入選者10人を発表した。 お題は「葉」で選考対象は2万802首。海外からの161首や点字作品37首も含まれている。 10人のうち、カナダ・サレー市の庭師、粟津三寿さん(64)は、3年前に妻が日本から持ち帰ったツバキの実をまくと葉が10枚ほどついたことから、その姿と、40年前に移住し、家庭を持ち、娘2人を育てた自らの人生を重ねて詠んだ。 兵庫県伊丹市の中学3年、大西春花さん(14)は最年少。部活動のバスケットボールが上達せず悩んだ時、友達からの温かい言葉で頑張れた体験を歌に。「お題を聞いて『言葉』をテーマにしようと思いついた」という。 天皇陛下に招かれて歌を詠む召人(めしうど)には、歌人で読売新聞西部歌壇選者の安永蕗子(ふきこ)さん(90)が選ばれた。 ほかの入選者は以下の通り。(敬称略)
 鳥取市、農業、森本由子(76)▽兵庫県香美町、同、井上正一(74)▽山口県周南市、同、岡本義明(69)▽水戸市、主婦、丹波陽子(62)▽東京都練馬区、コピーライター、吉竹純(62)▽同中野区、国家公務員、上田真司(40)▽京都市、文筆業、桑原亮子(30)▽静岡県富士市、高校3年、中村玖見(18)読売新聞 12月24日(金)5時21分配信

和歌は、日本の伝統文化、伝統文学であり、日本の固有の大和歌です。兵庫県伊丹市の中学3年、大西春花さん14歳、最年少で選ばれ良かったですね。頑張って良い和歌を作りましたね。インターネット時代で、自分で考えて創作せずに、インターネットで公表されている詩や小説をコンテストに応募し、文学作品の盗作や模倣が問題になった年でも有りました。コンピューターが、幾ら進歩しても人間の想像力や発想力に変わることは出来ないと思います。部活動のバスケットボールが上達せず悩んだ時、友達からの温かい言葉で頑張れた体験を歌にしたのは、大西春花さんの純真な言葉への気持ちが心を打ち今回選ばれたのだと思います。今の日本は、他人に対する思いやりと心の暖かさが欠如している無縁社会と言われています。昔から世間で言われている『人を生かすも殺すも言葉次第』と言うことの実証です。言葉が人間を作る『ともかく、人間というのは、つくづく言葉で生き、言葉で死ぬ動物なんだなあと思わずに いない。たった一言が、人間関係を壊すこともあれば、相手にとって一生の励みになる こともある。人を生かすも殺すも言葉次第、私たちは言葉に作られてゆくのだと。』くhttp://sanmarie.me/eclipse-16 のサイト様の見出しを引用させて頂きました。日本人として今こそ日本語を大切に使うべきです。大西春花さんは、友達から暖かい言葉を送られ立ち直ったのです。言葉は力なりと言われる所以です。日本人は、古代から言葉を大切にし言霊と言い『磯城島の大和の国は言霊の助くる国ぞま幸くありこそ、訓読「しきしまのやまとのくには、ことだまのたすくるくにぞ、まさきくありこそ。」、「(磯城島の)大和の国は 言霊の 助け給う国です ご無事でいらしてください』万葉集巻13・3254、送別遣唐使・柿本人麻呂歌集に歌われている通りです。科学万能時代に合理性が無いと言われても総ての事が科学で研究で分析し、実証出来るのかと問いたいです。昭和20年8月15日で日本は変わったと言われていますが。良しつけ悪きに付け戦前と戦後の連続性は、日本には存在していると思います。日本の戦後は、科学技術の合理性を重視する余り、日本人としての心と精神の大切さを忘れ、日本人としての独自性を見失ってしまっていると言えます。和歌や俳句は、日本の伝統文学であり、昔からの日本人としての教養とたしなみです。日本人としての誇りや自信が持てない若い人が多くなっています。日本の伝統や文化を学び若い人達は海外にどんどん出て行き、海外諸国から日本の置かれている状況や現実を正確に見据えて日本の為や世界の国々との親善と国際交流に貢献して欲しいと思います。高度情報化時代と言われても人間としての心暖かさや創造力や新しい発見をコンピューターが取って変わることは出来ません。日本の美しい四季の自然に根差して、生まれて来た伝統文化、伝統文学の和歌を作り、継承して行く事が日本の伝統文化を大切にし守って行くことになるのでは有りませんか。日本人として日本語の敬語や言葉遣い、良い大人が手紙の書き方のマナーが忘れている今日の日本です。日本人として自覚が無くなるのも当然の事です。日本語の正しい使い方や作法も小さい時から家庭で躾けられていず間違いだらけです。来日している外国の研究者から母国語の日本語を大切にしなければ日本語が衰退する言われる前に日本語教育を再認識し、日本語を正しく話せ、読め、書ける教育小学校から実践すべきでは有りませんか。

日本大百科全書(小学館) ]ヘルプやまとうた』すなわち日本の国の固有の歌を意味するが、その概念平安時代の『古今和歌集』の成立によって確立したので、具体的な和歌の歌体としては、その当時固有の歌体として認められていた短歌・長歌および旋頭歌(せどうか)・仏足石歌(ぶっそくせきか)体をさすことになり、それが現代に至るまで狭義の和歌の範囲となってきている。五音節句と七音節句との繰り返しによる音数律が基本となって、五七五七七の短歌、五七を三回以上繰り返して七で結ぶのが基本形式の長歌、五七七(それだけを片歌(かたうた)とよぶ)を二度繰り返す旋頭歌、それと奈良の薬師寺の仏足石碑に刻まれた、短歌形式にさらに七の加わった歌体の仏足石歌体があり、それぞれ『万葉集』にもみいだせる。『万葉集』所収歌の大部分は短歌、ついで長歌であり、長歌は、特定の場合や『万葉集』尊重と結び付いて間欠的につくられつつ現代に至るが、絶えることなくつくられ続けたのは短歌で、和歌史は短歌史といいかえていいほどである。現存する歌集の最初は『万葉集』であり、平安時代から室町時代にかけて勅撰(ちょくせん)和歌集21集が成立しているが、そのほか私撰集・私家(しか)集も多い。近代になるとほとんど個人歌集である。短歌から連歌(れんが)が分化し、それが俳諧(はいかい)(連句(れんく))を生じたし、短歌形式のものでは優美さから外れた狂歌(きょうか)や、風刺性をもつ落首(らくしゆ)、教訓のための道歌(どうか)、さらには歌(うた)占いまじない歌まで、日本の伝統詩歌には短歌に根ざすものが多く、歌謡形式にも大きな影響を与えている。和歌研究のための歌学は平安時代末期にすでに体系化され、以後日本の古典(文化)学の中軸となり続けてきたことにも注意しなければならない。

歌会始

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1950年頃、宮中歌会始

歌会始(うたかいはじめ)は、和歌(短歌)を披露しあう「歌会」で、その年の始めに行なうものを指す。現在では、年頭に行われる宮中での「歌会始の儀」が特に有名。

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概要

元々は、上代にて皇族・貴族等が集い和歌(短歌)を披露しあう「歌会」で、その年の始めに行なうものを指す。

今日では宮中歌会始(後述)の他に、京都冷泉家公家の流れを汲む)で行なわれているものが有名である。冷泉家では、狩衣などの平安装束を身にまとい、数十名が集って行なわれるもので、京都の風物詩として、毎年マスコミ報道[1]、古文教科書(資料集)で紹介される。

この他に、一般の和歌教室(短歌会)で、講師や生徒が年始に歌を披露しあう集いを「歌会始」と呼ぶところもある。和歌(わか) [日本大百科全書小学館) ]ヘルプ

「やまとうた」すなわち日本の国の固有の歌を意味するが、その概念平安時代の『古今和歌集』の成立によって確立したので、具体的な和歌の歌体としては、その当時固有の歌体として認められていた短歌・長歌および旋頭歌(せどうか)・仏足石歌(ぶっそくせきか)体をさすことになり、それが現代に至るまで狭義の和歌の範囲となってきている。五音節句と七音節句との繰り返しによる音数律が基本となって、五七五七七の短歌、五七を三回以上繰り返して七で結ぶのが基本形式の長歌、五七七(それだけを片歌(かたうた)とよぶ)を二度繰り返す旋頭歌、それと奈良の薬師寺の仏足石碑に刻まれた、短歌形式にさらに七の加わった歌体の仏足石歌体があり、それぞれ『万葉集』にもみいだせる。『万葉集』所収歌の大部分は短歌、ついで長歌であり、長歌は、特定の場合や『万葉集』尊重と結び付いて間欠的につくられつつ現代に至るが、絶えることなくつくられ続けたのは短歌で、和歌史は短歌史といいかえていいほどである。現存する歌集の最初は『万葉集』であり、平安時代から室町時代にかけて勅撰(ちょくせん)和歌集21集が成立しているが、そのほか私撰集・私家(しか)集も多い。近代になるとほとんど個人歌集である。短歌から連歌(れんが)が分化し、それが俳諧(はいかい)(連句(れんく))を生じたし、短歌形式のものでは優美さから外れた狂歌(きょうか)や、風刺性をもつ落首(らくしゆ)、教訓のための道歌(どうか)、さらには歌(うた)占いまじない歌まで、日本の伝統詩歌には短歌に根ざすものが多く、歌謡形式にも大きな影響を与えている。和歌研究のための歌学は平安時代末期にすでに体系化され、以後日本の古典(文化)学の中軸となり続けてきたことにも注意しなければならない。

宮中歌会始

歴史

起源は必ずしも明らかではないが、鎌倉中期には、『外記日記』に亀山天皇期の文永4年(

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