自民党の教育再生実行本部の頓珍漢な提言が、
いろんな分野で続々と出ていて心配です。
同本部は、理数科教育の充実策として、文系を含む
すべての大学入試で理数科目を必須にする方針です。
教育では次の二つの区別がとても大切です。
「すべての人に必要な知識」
「一部の人に必要な知識」
当然ながら基礎的な読み書きや計算の能力といった、
社会人として自立して生きていくために必要な知識は、
「すべての人に必要な知識」のカテゴリーに入ります。
他方、特定の業務に必要な知識や、専門分野の知識は、
「一部の人に必要な知識」のカテゴリーに入ります。
高校卒業後に職人を目指す人や介護士を目指す人に
高度な英語力が必要だと思いません。
そういう人には、会計や公民、保健医療の知識の方が、
より必要なのかもしれません。
外交官になりたい人は高度な英語力が必要だろうし、
政治や経済の相当なレベルの知識も必要でしょう。
さらに中国語や仏語、特殊言語も必要でしょう。
その分、より長時間の教育期間が必要になります。
いろんな職業分野や専門分野に必要な知識のレベルは、
その分野の大学に任せればよいと思います。
社会人として必要最低限の理数科の知識があれば、
それ以上の高度な理数科の知識を求めるか否かは、
各大学が決めればよいことだと思います。
国家が統一的に大学入試の基準を定めることが、
果たして正しいことなのか、大いに疑問です。
また、自民党の教育再生実行本部は、大学入試にも、
米国の教育機関が実施するTOEFL受験を導入し、
一部の大学では卒業要件にするそうです。
いわば「TOEFL信仰」が生まれているようです。
米国の大学や院の入学選考で使われるTOEFLは、
そもそもアカデミックな英語力を計る基準です。
大学入試に向いているかは、大いに疑問です。
例えば、英語教師を目指す人を選考する手段としては、
TOEFLは悪くない指標になるでしょう。
しかし、実際の英語のコミュニケーション力を計るには、
それでも不十分と言わざるを得ません。
英国のIELTSの方が適しているでしょう。
また、大学受験する全高校生に米国大学入学レベルの
英語力をつけさせようという発想は、愚かです。
英語は不得意だけど、理数科は得意な高校生には、
大きなハンディキャップになり、機会を奪います。
何かを得ることは、何かをあきらめることです。
英語の時間を増やせば、国語や理数科の時間は減り、
英語以外の教科がおろそかになるのは当然です。
自民党の教育再生実行本部は「あれもこれも」と
いい加減な選挙公約のように、何でも盛り込んで、
実行不可能だったり、相互に矛盾する提言を出し、
またしても教育現場に混乱を招きそうです。
選挙公約も教育政策も「あれもこれも」はムリです。
何かを得るためには、何かをあきらめる、という視点で、
教育改革を進めるのが、常識ある態度だと思います。
*ご参考:2012年4月26日付ブログ
「英語公用語化論への抵抗:二言語使用の悲劇」
http://yamauchi-koichi.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-a21b.html