春休みが終わり、ゴールデンウイークまでまだしばらく。
日曜日の朝がとても静かな時期になります。
1週遅れの朝市も店を終え、那珂湊駅も閑散としています。
思い返せば、ここ1か月いろいろなことがありました。
会社では、新五か年計画の承認、年間定期の好調な販売、強風による運休などなど。
外では、三陸鉄道南リアス線の一部開通とあまちゃんの放映開始、日立市や大船渡線でのBRTの運行開始、銚子電鉄の経営危機表面化…。
今年も忙しい年になる予兆でしょうか。
がんばらないと。
春休みが終わり、ゴールデンウイークまでまだしばらく。
日曜日の朝がとても静かな時期になります。
1週遅れの朝市も店を終え、那珂湊駅も閑散としています。
思い返せば、ここ1か月いろいろなことがありました。
会社では、新五か年計画の承認、年間定期の好調な販売、強風による運休などなど。
外では、三陸鉄道南リアス線の一部開通とあまちゃんの放映開始、日立市や大船渡線でのBRTの運行開始、銚子電鉄の経営危機表面化…。
今年も忙しい年になる予兆でしょうか。
がんばらないと。
2013年04月14日 03時42分54秒
憲法を改正して「国防軍を創設する」と力説している安倍晋三首相、下村博文文部科学相、これに賛同している自民党の西川京子衆院議員、日本維新の会の中山成彬元文科相が、衆院予算委員会での集中審議で教科書検定制度問題をめぐり、生温い質疑を行っていた。安倍晋三首相は「愛国心、郷土愛を書いた改正教育基本法の精神が、現在の教科書検定基準には生かされていない」、下村博文文部科学相は、「この国に生まれてよかったと思ってもらえるような歴史認識も教科書の中できちっと書き込むことが必要』と答弁し、検定制度の見直しを検討する考えを明らかにしたものの、「国防軍創設」にかかわる精神教育は、「愛国心、郷土愛」を書き込むだけでは、十分ではないからだ。何と言っても、「国を守る気概教育」を徹底的に行う必要があるのだ。
昭和50年代、防衛庁は、文部省に「国を守る気概教育を教科書で行って欲しい」と申し入れ、文部省は、密かに研究を開始したのだが、やはり日教組からの反発、批判を恐れるあまり、実現しなかった。私は、毎日新聞政治部に所属していて、文部記者会に配置されていた際、「文部省が国を守る気概教育の研究に着手」という記事を書き、朝刊1面トップを飾ることができた。だが、事前に確認を取った相手である当時の諸沢正道文部事務次官が、「火消し」に躍起になっていた。それは、「5流官庁」と言われた文部省の姑息なやり方で、こそこそ暗躍する文字通り「御殿女中」ぶりであった。
このころは、まだ「愛国心、郷土愛」教育についてさえ、文部省は及び腰であった。文部省は、日教組を過度に恐れていたのである。
◆しかし、いまは違う。自民党は、結党以来、党綱領に掲げて、党是としてきた「日本国憲法改正」について、すでに改正草案をまとめて、いよいよ、これを衆参両院でそれぞれ発議して、国民に賛否を問う直前に至っている。そのための国民投票法も成立している。
憲法改正の最大の焦点は、言うまでもなく、「第9条」である。いまの自衛隊ではなく、「国防軍」ともなれば、正式な軍隊であるから、専守防衛に止まらず、堂々と完全武装して海外派兵されることになる。他国の軍隊に護衛されて平和維持活動をしていればよいという「甘えの構造」はもはや許されない。
しっかり戦闘行為を行える半面、生死を賭けて戦うことが、当たり前になる。となれば、将兵はみな「戦死の覚悟」をしっかり持たねばならないのであるから、「国を守る」という頑強な精神を鍛えて上げてかからねばならない。ただ単に「愛国心、郷土愛」などという情緒的な気分を養うだけでは足りないのである。
安倍晋三首相や下村博文文部科学相、自民党の西川京子衆院議員、日本維新の会の中山成彬元文部科学相らは、「国防軍創設」に賛同しているのであるから、その証を天下に示す必要がある。それは、子供や孫、ひ孫や玄孫など、男女問わず身内を「国家に捧げ」て、自らの信念を天下に示す義務があるのだ。そうでなければ、国民有権者に対する面目が立たないはずである。それどころか、国会での発言、つまり日ごろの言説が、ウソ八百ということになる。憲法改正の旗振りを行うならば、何をさておいても、「国を守る気概」を率先垂範して天下に披露すべきであろう。ちなみに生活の党の小沢一郎代表は、ご子息を海上自衛隊幹部候補生学校(広島県江田島市)に入校、幹部自衛官に任官させた実績がある。
【参考引用】TBSNEWSTが4月10日午後10時59分、「安倍首相、“愛国心、郷土愛”が生かされていない 」というタイトルをつけて、以下のように報じた。
「安倍総理は国会で、愛国心、郷土愛を書いた改正教育基本法の精神が、現在の教科書検定基準には生かされていないと述べました。『残念ながら、検定基準においては、改正教育基本法の精神が生かされてなかったと思う』(安倍首相)また、下村文部科学大臣も、『今後、検定制度の見直しを検討する考えを明らかにしました」
NHKNEWSwebは4月12日午前 11時28分、「検定基準 文科相『直すべきものは直す』」というタイトルをつけて、以下のように報じた。
「下村文部科学大臣は閣議のあと記者団に対し、教科書検定基準について、「直すべきものは直していく必要がある」と述べ、自民党内の意見集約を踏まえ、見直しを検討していく考えを示しました。
教科書検定基準については、安倍総理大臣が10日の衆議院予算委員会で、「愛国心、郷土愛を書いた改正教育基本法の精神が生かされていない」と述べ、見直しを検討していく考えを示しました。
これに関連し、下村文部科学大臣は閣議のあと記者団に対し、「現在の教科書の内容は、改正教育基本法の考え方が必ずしも十二分に理解されていないところがあるのではないかと思っている。直すべきものは直していく必要がある」と述べました。
そのうえで、下村大臣は「教科書検定基準の見直しについては、自民党の教育再生実行本部で議論し、夏の参議院選挙の前までに中間取りまとめをしてもらうよう、きのう、お願いをした。文部科学省としては、その結果を受けて検討を進めていきたい」と述べ、自民党内の意見集約を踏まえ、見直しを検討していく考えを示しました。」
時事通信が4月10日午前10時38分「教科書検定、見直し検討=下村文科相」という見出しをつけて、以下のように配信した。
「下村博文文部科学相は10日午前、衆院予算委員会の集中審議で、教科書検定制度について『現状と課題を整理し、見直しについて検討したい』と述べ、近現代の歴史に関して近隣アジア諸国への配慮を目的として検定基準に定めている「近隣諸国条項」などの見直しに意欲を示した。安倍晋三首相も『第1次安倍内閣で教育基本法を変えたが、残念ながら検定基準には改正教育基本法の精神が生かされていない』と指摘した。
自民党は昨年の衆院選公約で『教科書検定基準を抜本的に改善し、近隣諸国条項も見直す』と明記している。下村氏は『客観的な学問的成果に基づいて、正しく学び、誇りを持った日本人としてのアイデンティティーが確立されることが大変重要だ』と強調した。自民党の西川京子、日本維新の会の中山成彬両氏への答弁」
※Yahoo!ニュース個人
※BLOGOS
本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
小沢一郎代表が憂慮していたように安倍晋三首相が米国TPP戦略にからめとられて事前協議で「大幅譲歩」し「国益」を損なう
◆〔特別情報①〕
安倍晋三首相が4月12日、TPP交渉参加に向けた日米間の事前協議が決着したと発表した。だが、その内容たるや、案の定、米国側の言いなりになっており、「譲歩に譲歩」という決着ぶりであり、これでは「米国の従属国」だ。かつて対米交渉で剛腕を発揮した生活の党の小沢一郎代表が、「本当に交渉できるのか」と心配していたことが現実化している。安倍晋三首相は「7月にも交渉に入りしたい」意向だが、TPP反対の農家などは、早くも失望感を表している。
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第16回 板垣英憲「情報局」勉強会のご案内
平成25年4月14日(日)
フェニックス!小沢一郎代表の「政権取り戦略」
~滅びゆく米国との戦いと世界政府建設への挑戦
~中国・東北部(旧満州)『幻のユダヤ国家』構想実現へ
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『ロックフェラーVSロスチャイルド最終戦争』~イスラエル、北朝鮮、ロシアが進める壮大な計画とは?
『2013年の世界情勢』~どうなる日本経済、どう動く景気
『どうなる総選挙とその後の政権枠組み』 ~争点は、原発ゼロ・景気・TPP(2012年12月8日後楽園「涵徳亭」にて)
『米国と核戦争』 ~悪の戦争経済・第3次世界大戦(2012年11月11日後楽園「涵徳亭」にて)
『中国革命前夜~中国共産党1党独裁北京政府の崩壊』(2012年10月20日後楽園「涵徳亭」にて)
『橋下徹市長を徹底解剖する』~果たして龍馬か悪魔か(2012年9月15日後楽園「涵徳亭」にて)
【板垣英憲(いたがきえいけん)ワールド著作集】
『小泉純一郎 恐れず ひるまず とらわれず』(2001年6月15日刊 板垣英憲著)
目次
第2章 変人パワー! 小泉純一郎の政治手腕 ⑤
猪突の小泉、術数の小沢―歴史が遂に動き出す
小泉純一郎首相は、典型的な自民党国会議員らしく憲法改正論者ではあるとはいえ、実際には改正に向けての「裏工作」のようなことは、得意ではなかった。陰でこそこそと仕掛けをつくったり、条件を整えるために大がかりな改正運動を展開するようなタイプの政治家ではない。むしろ、ほかの政治家が準備した仕掛けや運動に乗っていくのが、似合っているともいえる。
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『戦国自民党50年史-権力闘争史』(2005年12月刊 板垣英憲著)
『小沢一郎 七人の敵』(1996年2月6日 ジャパンミックス刊)
『小沢一郎の時代』(1996年2月6日刊 同文書院刊)
『小沢一郎総理大臣』(2007年11月10日サンガ刊)
『小沢一郎総理大臣待望論』(1994年11月1日ジャパミックス刊)
『ロックフェラーに翻弄される日本』(20074年11月20日サンガ刊)
『ブッシュの陰謀~対テロ戦争・知られざるシナリオ』2002年2月5日刊
『民主党派閥闘争史-民主党の行方』(2008年9月16日 共栄書房刊)
『民主党政変 政界大再編』2010年5月6日 ごま書房刊
『国際金融資本の罠に嵌った日本』1999年6月25日刊
『政治家の交渉術』2006年5月刊
『カルロス・ゴーンの言葉』2006年11月刊
「孫の二乗の法則~ソフトバンク孫正義の成功哲学」2007年7月刊
引用元http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken
読売新聞 4月14日(日)13時18分配信 『 ロシア・サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館で、「警備員」のネコ約60匹の貢献をたたえるイベントが開かれた。
地元メディアによると、ピョートル大帝が18世紀初頭、オランダから持ってきた1匹のネコを宮殿で飼ったことが始まりで、同館開館以来、ネズミ駆除に活躍してきた。ネコたちは敷地内を動き回ってネズミを追い払い、美術品の保護に一役買っているという。(モスクワ支局)』
日本でも奈良時代に中国から仏教の大切な経典をネズミから守る為に猫が舟に乗せられ来日したのが始まりとも言われています。猫は洋の東西を問わずに大切な美術品や書物をネズミから守って来たと言えます。猫は、功労者と言えます。
日本猫(にほんねこ)は、日本人に長く親しまれている日本特有の猫。
目次[非表示] |
顔は鼻筋が通り、耳の毛は短い。全身の毛はそれほど長くない。尾は細長いものと極端に短いものがあるが、細長くても先だけが折れ曲がっているものもある。尾の短いものは尾骨が複雑に折れ曲がっていることが多いが、毛に覆われているために外見上は単純な切り株状に見える。短尾のネコは、世界的には比較的珍しく、日本猫の特徴の1つとなっている。一説に、尾は東へ行くほど細長く、関西では短く、西へ行くと折れ曲がっているらしい。
尻尾の短い個体が日本で一般的になった理由には、猫の尻尾に火鉢の火が尾に引火し火事が起きた事があるから、長い尻尾は蛇を連想させて日本人に嫌われたから[1]、二股に尾が分かれた妖怪猫又の誕生を忌み、尾の短い猫が好まれ尾の長い猫が減った為[要出典]、等諸説有る。
毛並みが美しく、またその色分けも外国人から珍しがられている。白・黒の一色、濃淡帯状の縞模様、白地に黒ぶちや茶ぶち、そして三毛猫と呼ばれる白・茶・黒の三色に色分けされているものなどがいる。縞模様のネコはトラネコと呼ばれ、茶縞のものをチャトラ、こげ茶縞のものをキジトラ、灰色縞のものをサバトラと特に分けて呼ぶ場合もある。
毛の色は遺伝的要素や母体内での影響などが考えられているが、隔世遺伝なども起こるためか、必ずしも両親と同じ色が生まれるわけではない。伴性遺伝の関係で、白い面積の多いネコはメスが多く白以外の色のネコはオスが多い。また三毛猫とサビ猫(べっ甲柄の突然変異種)はほぼ全てがメスである。
1万年ほど昔から大陸から切り離された列島であった日本には、元来ネコ(イエネコ)が存在していなかった[要出典]。奈良時代ごろに、経典などの大事な書物をネズミから守る益獣として、中国から輸入された事が、日本猫の始まりと言う説があるが、長崎県壱岐市に在るカラカミ遺跡(弥生時代)から遺骨の発見例もあり、紀元前から存在をしていた可能性も有る。
猫それ自体の描写が登場する最古の日本語の文書は『日本霊異記』であるが、本物の猫の描写が記録として現われるのは、889年(昌泰2年)の宇多天皇による黒猫の飼育日記である[2]。そこには「唐土渡来の黒猫」との断り書きがあり、それに加えて、それからおおよそ100年後、花山天皇が三條の皇太后に猫を贈った時に、その御製においてわざわざ「唐猫」と詠んでいることから見ても、舶来でない在来の猫が当時の日本に既に存在していたことが窺える[3]。平安時代にはさまざまな和歌や物語に登場し、人々に親しまれていたことが窺われる。その後も、中国と交易するたびにネコが日本を訪れたため、いくらかの変遷があったと思われるが、戦国時代にシャム(タイ)などの東南アジアとも交易したことから、これらのネコとも関係ができたと思われる。現在の日本猫の形は江戸時代に固定されたものである。日光東照宮の「眠り猫」(伝・左甚五郎作)は、日本猫の姿をよくあらわす好例といえよう。
日本に輸入されて以来、愛玩用というよりも益獣として用いられたため、家で飼われるより、外で暮らすことが多かった[4]。そのため、人工的に品種改良されることもなかった。ネズミを駆除するので、市民からも嫌がられることもなく、野良猫として全国に広がった。
日本猫の種の揺籃は1945年(昭和20年)頃までは安静に続いていたものの、第二次世界大戦が終結した頃から進駐軍など外国人の手によって外来種が日本国内に大量に持ち込まれるようになり、特に日本国内に巻き起こった爆発的なシャム猫の流行期を過ぎてからは、外来種との混血が急速に進み、20世紀も後半を迎えた頃には絶滅寸前と言われるまでの状況になってしまった[5]。元来、日本において猫はネズミを捕るために放し飼いにされており、外来種に対してもそのような飼い方がなされた。そのため、猫の高い繁殖力と相まって外来種と日本猫との混血が急速にすすんでいった[4]。日本猫は野良猫として日本人と密接に関わっていたため、初期に日本に持ち込まれた外来種であるペルシャやシャムといった品種と比べ、品種として認識されていなかったことが、外来種との混血に無関心であった背景として考えられる[6]。 これに危機感を抱いたことから1971年(昭和46年)、『日本猫の標準』の試案を作成したうえで、「日本猫」の保存を呼び掛け、その保存運動を発起したのが平岩米吉であった[7]。
こうして国外から持ち込まれた外来種との混血により存在が脅かされている日本猫であるが、一転してネコが存在しなかった沖縄や奄美大島などでは人々が本土から移住した際に、一緒に猫を連れて行ったため、この地でノネコとなったものが、ヤンバルクイナなど固有の希少動物を食い荒らし、問題となっている。
平岩米吉による1971年(昭和46年)の研究発表を踏襲したうえでの「標準型」はおおよそ次のようになる[8]。
日本猫保存会が公認し、『日本猫』に存在し得る被毛色には次のようなものがある[9]。
部門 | 種類 | 概要 |
---|---|---|
単色部門(ソリッドカラー) | 白 | 全身がむらのない真っ白で目色は青、金、オッドアイ。 |
黒 | 全身がむらのない黒で目色は金。 | |
灰 | 全身がむらのない灰色で目色は金。 | |
赤 | 全身が深く澄んだオレンジ色で目色は金。 | |
二色部門(バイカラー) | 黒・白 | 白い地色に特定の色が身体の上側で目色は金。白い地色は全体の四分の一以上が好ましい。 |
赤・白 | ||
灰・白 | ||
縞・白 | ||
斑部門(バンバイカラー) | 黒・白 | 白い地色に特定の色で耳の周辺や尾が色づけされている。斑の個数は2から3で目色は金。 |
赤・白 | ||
縞・白 | ||
灰・白 | ||
三毛部門(キャリコ) | 三毛(キャリコ) | 白地に縞のない赤・黒の斑が分布されている。目色は金。 |
トビ三毛(バンキャリコ) | ほとんど白い地色に赤・黒の斑が耳の周辺、尾に色分けされている。目色は金、青、オッドアイ。 | |
縞三毛(キャリコタビー) | 白い地色に縞模様のある黒、赤の斑が入る。目色は金。 | |
縞部門(タビー) | サバトラ | 模様はマッカレル・タビー。全体に黒の鯖のような色調。地色はブルーグレイ、模様は黒、目色は金。 |
キジトラ | 模様はマッカレル・タビー。全体に雉のような色調。地色は赤茶色、模様は黒、または黒褐色。目色は金。 | |
赤トラ | 模様はマッカレル・タビー。全体に赤の濃淡により形成される縞模様。地色は淡いオレンジ色に縞模様は濃いオレンジ色。目色は金。 | |
雲型 | 模様はクラシック・タビー。ブラウンとレッドに分けられる。目色は金。 | |
混色部門(パーティカラー) | サビ(トーティシェル) | 全体的な色調は鉄錆色。黒の地色に赤、クリームがまだらに分布されている。目色は金。 |
日本猫が持ち出された例として、1910年にイギリスで撮影された日本猫の写真などが現存しており、この猫は尻尾の短い猫であった[10]。この個体とは別に1900年、横浜からイギリスへ渡ったお雪という名前の日本猫の記録も残っている[10]。また、1690年に日本に滞在していたドイツの博物学者エンゲルベルト・ケンペルが記した日本誌に記されている猫や、パトリック・ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が自筆、骨董の中でふれた愛猫に関してもやはり尻尾の長さを取り上げるなど、日本猫のとりわけ尻尾の短いものが日本猫の定型として海外に発信されていた[11]。そのため、明治時代にアメリカへ留学した日本人が現地のアメリカ人から「日本の猫には尻尾がないというが、本当か」という質問をされたという記事が1873年、5月の新聞雑誌、99号に掲載されている[11]。 こうした尻尾の短い日本猫に関する調査として、1904年日本に訪れたドイツの生物学者フランツ・ドフラインは著書東亜紀行の中で、長崎から東北地方まで日本を縦断調査する過程で、長尾の猫を多くみたが、中部地方では尻尾が結節状にちぢんだ猫をどこの村でも見かけることができたと記している[10]。 こうして、明治時代などから海外での関心が高かった尻尾の短い日本猫を原種として、アメリカで改良・固定されたジャパニーズボブテイルという品種が1976年認定されるにいたった。
天木 直人
北朝鮮のミサイル北朝鮮のミサイル発射停止を素直に喜べない日本外交の誤り
どうやら北朝鮮のミサイル発射は延期、あるいは停止の方向で収束しつつあるようだ。
それは誰もが歓迎するところだろう。
ところが日本は必ずしもそれを歓迎しないかのごとくだ。
なぜか。 北朝鮮問題の解決は米中の協力によって決まるということが世界に証明されるからだ。
これをきっかけに米朝対話が進むかもしれないからだ。
要するに日本外交の存在感がますます小さくなっていくからである。
しかし、北朝鮮情勢が緩和の方向に向かう事は、誰が見ても歓迎すべきことだ。
それを素直に歓迎できない日本外交は間違ってきたということだ。
北朝鮮情勢を解決する主役は一つは北朝鮮であることは間違いない。
しかしもう一つの主役は朝鮮半島を米ソ対立で引き裂かれた韓国であり、そしてその南北朝鮮と過去の不幸な歴史を持つ日本である。
同胞を米ソ対立で引き割かれた韓国が、日本と競って対米従属に突き進み北朝鮮との対決姿勢を崩さない。
そんな韓国の外交姿勢についてはここでは問わない。
過去の歴史を直視し、北朝鮮との国交回復を正常化を目指して努力したり、領土問題や慰安婦問題を解決して本当の信頼関係を韓国との間で構築する。
そういう外交を日本がして来たなら、日本こそが北朝鮮情勢のカギを握る主役になれたはずだ。
だれもが歓迎すべき北朝鮮情勢の解決を素直に喜べない日本は、そのまま日本外交の誤りを認めているようなものである。
(了)
2013年4月12日、MBS1179 報道するラジオに小出裕章氏が出演され、その音声がYouTubeに掲載されていましたので、このブログでも共有させていただきます。
【テーマ】
きょうはまず、福島第一原発で相次いでいる汚染水漏れについて取り上げます。
京大原子炉実験所の小出裕章さんが原発事故後、早くから指摘されていた通り、これまで進められてきた処理方法が既に破たんしていることが、明らかになったと言えるでしょう。
汚染水処理の現状と今後、また原発の新規制基準案についても、小出さんにお聞きします。
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読売新聞 4月14日(日)0時8分配信 『 13日午後4時半頃、東京都板橋区加賀の石神井川で、近くに住む小学2年、浅利尚希君(7)が川岸のフェンスの上から約11メートル下の川底に転落した。
当時、川に水はほとんどなく、浅利君は体を強く打って約2時間後に死亡した。
板橋署幹部によると、浅利君は友人数人と見当たらなくなったサッカーボールを捜していた。目撃証言などから、川を見るためにフェンスをよじ登って転落したという。』
子供は、大人が思ったり、考えないような行動を取ります。小学校の先生も保護者も危険な箇所は、注意し教えておくべきです。大人と子供の目線の違いを認識すべきです。