■これからは、特に、自分は役に立つ人間になろうと心掛けよう
あなたは、役に立つ人間になろうと心がけてますか?
■これからは、特に、自分は役に立つ人間になろうと心掛けよう
あなたは、役に立つ人間になろうと心がけてますか?
2013年04月05日 02時23分37秒 | 政治
テレビ朝日系(ANN) 4月5日(金)17時49分配信
東京・千代田区の「山の上ホテル」の火事は現在も燃え続けていて、消火活動が続けられています。
5日午後4時半ごろ、千代田区にある山の上ホテルの別館の屋上から火が出て、1時間以上たった今も延焼中です。これまでに廃材が10立方メートルが燃えましたが、けが人はいないということです。ホテルによりますと、出火当時、別館には客や従業員など50人から100人がいましたが、避難していて無事が確認されているということです。現在、消防隊が逃げ遅れている人がいないか確認を進めています。山の上ホテルは1954年から営業している老舗で、文化人などが利用していたことで知られています。
古い建物なので、電気系統漏電かも分かりません。火元調査してみないと原因は判明しないと思います。神田の藪そばに次いで、老舗の山の上ホテルの火事です残念に思います。
山の上ホテル | |
---|---|
ホテル概要 | |
設計 | 本館:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ 別館:山本嘉史[1] |
運営 | 株式会社山の上ホテル |
階数 | 本館:B2 - 6階 別館:B2 - 7階 |
レストラン数 | 6[2]軒 |
部屋数 | 74[2]室 |
スイート数 | 3室 |
駐車場 | 40[2]台 |
開業 | 1953年(昭和28年)12月23日 |
最寄駅 | 御茶ノ水駅、神保町駅[3] |
最寄IC | 首都高速都心環状線 神田橋出入口 |
所在地 | 〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台1-1 |
公式サイト | 公式サイト |
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | 非上場 |
本社所在地 | 〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台1-1 |
設立 | 1953年(昭和28年)12月23日 |
業種 | サービス業 |
事業内容 | ホテル事業、レストラン事業 |
資本金 | 3600万円 |
従業員数 | 280名(2008年2月現在) |
関係する人物 | 吉田俊男 |
外部リンク | http://www.yamanoue-hotel.co.jp |
特記事項:写真は旧館正面 |
山の上ホテル(やまのうえホテル Hilltop Hotel)は、東京都千代田区神田駿河台にあるホテルである。日本におけるクラシックホテルのひとつであり、特に1936年(昭和11年)に完成した旧館の建物はアール・デコ調のクラシカルな内外装を残している。
目次[非表示] |
ホテルは1954年(昭和29年)の開業で、表通りからは奥まった神田駿河台の高台に位置している。
シンボルとも言える鉄筋コンクリート建築の旧館は、1936年(昭和11年)に明治大学OBで石炭商だった佐藤慶太郎の寄付を基にアメリカ出身の建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計により「佐藤新興生活館」として完成した。当初は財団法人日本生活協会の管理下に置かれ、太平洋戦争(大東亜戦争)中には帝国海軍に徴用、日本の敗戦後には連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に接収されて陸軍婦人部隊の宿舎として用いられていた。
ホテルとしての開業は1954年(昭和29年)1月20日で、GHQの接収解除を機に、実業家・吉田俊男(1913-1992)が佐藤家から建物を借り入れる形で創業した。ホテル名は、GHQ接収時代にアメリカの女性兵士・軍属の間で建物の愛称になっていた「Hilltop」が起源で、これを吉田が「丘の上」でなく敢えて「山の上」と意訳したことによる。
吉田は長く旭硝子の営業部門につとめていた人物で、この前年に独立して個人事務所を設立、知人から旧・佐藤新興生活館の接収解除を伝えられたことを機にホテル業に参入した。吉田は自らの手で花森安治のコピーライティング等とも通底する個性ある広告コピーを執筆し、ホテル経営の素人であることを逆手に取った懇切な接客体制に務めるなど、その後半生を費やしてこのホテル独特のアットホームなサービス文化を築いた。吉田俊男の死後、ホテルの運営は吉田の子孫によって行われている。
後年増築が行われたものの、2012年(平成24年)時点でも総室数74室と小規模ながら、瀟洒なしつらえと行き届いたサービスによって知られ、レストラン・バーなどの付属供食部門が充実していることでも評価を受けている。
かつて出版社の密集していた神田に近いところから、作家の滞在や缶詰(ここでは執筆促進目的の軟禁場所としてホテルに強制滞在させられること)に使われることが多く、そのため「文人の宿」ともなっており、川端康成、三島由紀夫、池波正太郎、伊集院静らの作家の定宿としても知られる。檀一雄は舞台女優・入江杏子と愛人関係になり山の上ホテルで同棲し、入江との生活そして破局を描いたのが代表作『火宅の人』である。
2012年(平成24年)10月1日、東京都下水道局は山の上ホテルが井戸水の使用量を過少に申告し、下水道料金の徴収を不正に免れていたため、東京都下水道条例に基づき、ホテルに対し未払いの下水道料金約1800万円を追加徴収するとともに、過料約3600万円を上乗せした計約5400万円の支払いを命じる行政処分を行ったことを発表した。不正配管を使用した下水道料金の支払い逃れ、及びそれに対する過料処分は東京都下水道局管内ではいずれも初めての事例。山の上ホテルは2009年(平成21年)4月に敷地内の井戸の使用を開始。その際、井戸水の使用を下水道局に届け出なかった上、検針メーターのある管を迂回するバイパス管を取り付け、手動バルブでメーターを通る水量を調整できる不正な配管を行っていた。下水道料金は水道や井戸の給水量の合計で算定されるが、井戸の配管には水量を測る検針メーターが取り付けられ、くみ上げ量を水道局が検針して料金を請求する。ホテルでは手動バルブを通常閉めた状態にしておき、検針前などに従業員が開いていた。下水道局は、井戸水の使用量が0では不審に思われると考えたホテルが検針メーターの使用量を調整し、偽装工作をしていたとみている。2009年4月5日から2012年6月21日までの2年2ヶ月の間、給水量を実際の使用量より少なく装い、下水約4万9600立方メートルを不正に使用、下水道局は不正発覚後の給水量との比較から、毎月約1300トンの水を不正に使用し、年間数百万円の下水道料金をごまかしていたとみている。またホテルは2010年(平成22年)5月になって井戸水使用の届け出を行っているが、実際の使用開始は2009年(平成21年)4月であり、1年に渡って井戸水を無届けで使用していた。下水道局は2012年4月、匿名の情報提供を受け、同年6月中旬よりホテルの井戸水の使用量を精査、井戸水の使用量が大きく変動していることなどから立ち入り調査を行い、ホテルの不正が発覚した。立ち入り調査の際には検針メーターの設置された配管には水が流れないよう弁が閉められていた。井戸水の無届け使用に加え不正な配管の設置や検針時の偽装など手口が悪質であるとして、下水道局は法律違反に当たる可能性を視野に入れ警視庁に被害を相談、告訴も検討している。ホテル側の釈明によると、井戸水は上水道を節約するため調理場の清掃などに使い、不正の認識はなかったという。また10月中に追加料金と過料を納めるとの誓約書を都水道局に提出したという[4][5][6][7]。
時事通信 4月5日(金)14時44分配信
5日の東京株式市場の終値は、前日比199円高の1万2833円だった。東証1部の出来高は過去最高の64億4900万株となった。
円安も追い風になり、今後日経平均が1万3千円代をキープすれば日本経済の景気回復の足かがりになると思います。弱電メーカーの復活のチャンスと到来です。
それは、おいしいミルクティーを入れるためには、
「紅茶を先に入れるべきか」
「ミルクを先に入れるべきか」
という論争に最終決着をつけたプレス発表です。
英国王立化学協会が2003年に発表した内容です。
-----------------------------------------------
牛乳は紅茶の前に注がれるべきである。なぜなら牛乳蛋白の変性(変質)は、牛乳が摂氏75度になると生じることが確かだからである。もし牛乳がお湯の中に注がれると、それぞれの牛乳滴は牛乳としてのまとまりから外れ、確実に変性が生じるだけの時間を紅茶の高温に取り囲まれる。もしお湯が冷たい牛乳に注がれるならば、このような状況ははるかに起こりにくい。
-----------------------------------------------
最初に結論を簡潔かつ明確に述べ、その理由を述べる。
明晰で説得力のある文章です。英語的論文の典型です。
どうでもよいテーマに真剣に取り組んでいるのが、
イギリス的ユーモア感覚と余裕を感じさせます。
自然科学でも社会科学でも、学問の基本の基本は、
物事を客観的に突き放して見ることだと思います。
ユーモアの感覚と通じるように思います。
政治や行政に携わる人間に求められる資質としても、
客観性と批判的思考がもっとも重要だと思います。
「ユーモア感覚=自らを客観視する能力・批判的思考」
という方程式が存在するように思います。
英国王立化学協会を見習い、日本の政治家や行政官は、
余裕とユーモアの感覚を身につけるべきだと思います。
*ご参考:西内啓「統計学が最強の学問である」
ダイヤモンド社、2013年