(プレジデントオンライン)
プレジデントFamily 2014年5月号 掲載
大らかに育てたら、受験で負けない子になる 1千人以上の東大生・医学部生を輩出した「人気予備校講師」が語る
著者
大島 保彦
1955年、群馬県生まれ。駿台予備学校英語科専任講師。東京大学文学部哲学科卒業、東京大学大学院博士課程(比較文学比較文化)満期退学。1984年から現在まで駿台の教壇に立つ。大学で哲学、倫理学、文明論などの非常勤講師も兼務した。
■中学生からは自由に泳がせるほうがよい
オリンピックでメダルを獲るようなエリートを育てることは絶対必要です。でも、われわれには、そんな取り柄はない。それならば、「とりあえず勉強する」「どこに向かっているのかわからないけど、がんばる」でいい。だんだん磨きをかけていくうちに、「ここがこの子のいいところだったんだ」とあとになって気づく、そんな子育てで十分ではありませんか。私たちが生きるこの社会だって、何となくがんばっている人が支えているのですから。
子供たちに際立った何かを望むより、ゴロンとした粗削りな学力をつけてやりたいと私は考えています。
ある教え子は、文学部を卒業したのち、一念発起して1年の準備期間で国立大学医学部に合格しました。文系出身者が短期間で医学部受験を突破するのは難しいのですが、彼ならやれるかもしれないと思いました。いろんなことに興味を持ち、知識の幅が広い彼こそ、どんな場面でも応用可能で普遍的な学力を持っていたからです。
そういった力をどう育めばいいか。まず、子供が中学生になったら、自分の世界を広げていくことに関して、親は監視の目をゆるめてやることが必要でしょう。常に目を配りつつも、ある程度「子供を自由に泳がせてやる」のです。
そのなかで、子供はさまざまな体験をしていきます。好きなことをどんどん見つけてくる。新しい趣味や交友関係を持つようになる。気をつけないと、日本の学校生活では、学校・家・部活だけの世界になってしまいます。放っておくと、狭い世界に閉じこもってしまう。情報は無限に入り、モノも豊富な社会なのですから、自ら広げようと思って、物事に取り組めば、途端に世界は広がります。
春は子供が自由に泳ぐ絶好のチャンス。中学でも、高校でも、大学でも、合格した直後の怖いものなしのタイミングですから。
好きなことをやらないと集中力は生まれません。何かに集中した体験によって、自分の中にモデルのようなものができ、ほかの場面でも集中できるようになります。何かに没頭した経験のある子は、根を詰めて勉強しなければならない山場で、がんばりが利く。遊びも精一杯やってきた子ほど、最後に集中力が出て、志望大学に合格していきます。中高6年間で培った集中力を、最後の半年で使っているようなイメージです。高校3年の夏まで部活や文化祭準備に奔走していた子が、そのあと猛烈に追い込んで、東大に現役合格するケースを幾度も見てきました。
世界を広げた分、ある局面では最短距離ではないかもしれませんが、あとになって考えれば、これが一番合理的だったと、本人たちは感じるようです。大人は「最短距離」がベストだと思って誘導したくなりますが、子供にとってはそれが必ずしもベストな道筋ではありません。
たとえば、私が教えている駿台予備学校のデータで、「5教科受験の生徒」と「3教科受験の生徒」の「3教科の成績」を比べると、「5教科受験の生徒」のほうがよい。本当は教科を絞ったほうが成績は上のはずですが、結果は逆になっています。
教科同士はちゃんとリンクしていて、ある教科がほかの教科に対して「有効性ゼロ」ということはない。まるで関係なさそうな分野でも共通因子が潜んでいるのです。
戦略的に教科を絞ることはオーケーですが、しかたなく絞るのはダメ。もし迷ったら、5教科を勉強したほうが結果はついてきます。
効率を考えて、試験の傾向に合った勉強をすることもまた、逆効果につながります。典型的なのはセンター試験。
センター試験は選択式なので、センター試験に特化した勉強を重ねると、「答えを選ぶ」ようになり、自分で「答えを作り出す」ことができなくなってしまうのです。
成績優秀な生徒たちは、センター試験の現代文問題を、自分で答えを書くとしたらどうするかという姿勢で解いています。選択肢同士を比べて答えを出すというテクニックは使っていない。むしろ、面倒なことをやっています。
東大文系受験者は数IIIを学ぶ必要はないのですが、勉強している子のほうが成績がいい。困難を抱える子のほうが伸びるのです。
つまり、子供はさまざまなもの、あらゆることを抱えるほうがいい。抱えられるときに抱えられるだけ抱える。抱えることをいとわないことが大事なのです。しようがなく抱えるのではなく、平然と抱えるのがいい。抱えることでしか、ゴロンとした学力は身につかないのです。
親が答えを持っていても、教えなくてよい
親にとって大切なことは、最短距離を進まない子供を「待てる」ことでしょう。親が待てる人なら、自然に子供も待てるようになる。わかることを焦らない、急がないようになります。問題演習で「自分で考えるから、答えを教えるのは明日にして」という生徒は成績がよく伸びます。もうひとつは、親バカになるべきです。行き過ぎるといけませんが、親の期待があるから、子供は知的好奇心を増幅させ、集中力をつけ、何かを成し遂げようとします。もし、親がわが子を褒めないとしたら、いったい誰がその役割を果たしてくれるでしょうか。子供にとってみたら、世界で一番褒めてくれる人がいなくなってしまいます。あとは、志望大学や将来の職業について、誘導しないことです。近年は、医学部志向が強くなっています。とくに、地方の名門公立校ほどその傾向が強い。将来性があり、ある程度安定した収入が得られ、しかも地元に留まってくれるという点で、保護者から見れば、医師は理想的な職業なのでしょう。気持ちはわかります。ですが、可能性は開いた状態でいたほうがいい。それに子供たちはどこの大学に行きたいか、どの学部に行きたいかという形を通して自分の人生を具体化していくしかありません。手探りのなかで、ようやく彼らの価値観が姿を現します。世間的な物差しで大学や就職を決めてしまうのはもったいないことです。わざわざ遠くの大学を選ぶ子がいます。親と距離を置いてやってみたいといった、本人でさえよくわかっていないような事柄を、志望大学の選択と結びつけて親に出してくる。親にすれば理由が見当たらない決断こそ、正しい成長過程なのだと思います。』
高度な受験技術の指導だけではなく、子供達の将来の進路を強制しないで見据えた自主性を持たせる独特の指導と教育観、御自分が、頭も良く学生時代から良く勉強され、大学院まで研究された経験に基づく独自の教育哲学と思います。「親が答えを持っていても、教えなくてよい」は、一歩待つ心の余裕を持てと良く言われますが。
教育現場の先生でも家庭の親にも通用する大切な忘れてはならない教育実践の基本原理です。今最難関学部と言われている東京大学理科三類医学科へは伝統のある有名私立中高一貫校が現役合格を果たし、東京大学以外の旧一期校の国立大学の理系学部に現役合格するには、公立高校勢を大きく駆逐し、合格者数で引き離しているのが現実です。
有名私立中高一貫校のトップ校に進学するのがバスポートとなっています。理系女も有名私立中高一校出身者が多い思います。親が勉強した家庭の子供でないと子供は勉強しない、遺伝子見たいに伝わると言い長男は試運転で、次男を神戸大学医学部に現役合格させた肝臓癌で亡くなったある進学塾塾頭の生前の言葉を思い出しました。
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