文部科学省の有識者会議が、提言のなかで
「アジアでトップクラスの英語力」という
目標を掲げていると報道されています。
一般論として、目標設定を誤った場合は、
その政策も失敗することが多いでしょう。
私は目標設定がおかしいと思います。
3つの観点からおかしい理由を述べます。
1)人により英語の必要性は異なる。
2)英語教育のための人材が足りない。
3)何かを得るためには何かを失う。
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1)人により英語の必要性は異なる。
第一に人により英語の必要性は異なります。
すべての人が高度な英語力を身に着けるのは、
そもそも無理だし、非効率だと思います。
第一のカテゴリーは業務の性質からいって、
きわめて高度な英語力が必須の人です。
人数はそれほど多くないと思われます。
外資系企業や商社に勤める人、大学の教員、
外務省等の国際交渉を行う公務員等には、
かなり高度な英語力が求められます。
こういう人たちには中等・高等教育に加え、
海外留学や海外勤務の経験を積ませる等で、
英語を学ぶ機会をつくるべきでしょう。
同時の第一のカテゴリーに分類される人は、
高度な思考力や交渉力も必要とされるので、
英語以外の教養や専門性も求められます。
いわゆる「グローバル人材」でしょうか。
第二に観光業や公共交通機関、飲食店等で、
外国人とちょっとした英会話が必要な人は、
一定の英語力で十分とも言えます。
海外旅行に行ったときに必要な英語は、
道順を尋ねたり、ホテルを予約したりと、
定型的な会話がほとんどです。
そんなに複雑な会話は発生しません。
そういう場面で生じる会話は限られるので、
ある程度の単語とフレーズを覚えておけば、
比較的かんたんに習得できます。
第二のカテゴリーに求められる英語力には、
経済学のテキストを原書で読む必要もなく、
CNNを見て100%理解する必要もなく、
語彙もそんなに豊富でなくても可です。
逆に第二のカテゴリーの人たちにとっては、
英語以外に中国語や韓国語、スペイン語で、
簡単な会話ができることも必要でしょう。
広く浅くいろんな言語を学ぶ必要があります。
第三のカテゴリーは英語力が必要ない人です。
地元の商店街で日本人向けに商売をしたり、
介護職や消防士といった専門職についたりと、
まったく英語が必要ない職種も多いです。
第三のカテゴリーの人たちに必要な技能は、
自分の専門分野の知識やノウハウであり、
会計や労働・保険制度等の基礎知識です。
英語以外の勉強をした方がよいでしょう。
英語が公用語のシンガポールやフィリピンでは、
すべての人が一定の英語力を必要とします。
大学で使う教授言語も原則として英語です。
公務員も公文書を英語で読み書きするわけで、
アジアトップクラスの英語力が身に着くのは、
ある意味であたり前のことです。
旧英領のシンガポールやマレーシアもあれば、
旧米領のフィリピンもあるアジアにおいては、
日本のような国は英語力で不利です。
そもそも英語力が必要でない人も多いなかで、
日本が「アジアトップクラス」を目指すのは、
現実的な目標設定とは言えません。
2)英語教育のための人材が足りない。
以前にも中学校・高校の英語教師の英語力が、
思った以上に低いことをブログに書きました。
中学はひどく、TOEIC730点未満が過半です。
*ご参考:2012年3月7日付ブログ「英語教師の英語力不足」
http://yamauchi-koichi.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-cecd.html
高校の英語教員はまだ比較的大丈夫なのですが、
中学校の英語教員の英語力さえかなり疑問です。
ましてや小学校には専門の教員がいません。
そんな中で無理して英語教育を強化しても、
なかなか成果はあがらないと思います。
小学校の英語教育なんて気休め、あるいは、
逆効果で「英語嫌い」を増やすだけです。
英語教育環境を考れば、アジアでトップを
狙える状況でないのは明白です。
ムダな努力はやめた方がよいと思います。
3)何かを得るためには何かを失う。
政策立案で大事なのは次の原則だと思います。
「資源(予算、時間、人員)には限りがあり、
何かを増やすのは、何かを削ることである」
言うまでもなく、英語の授業時間の増加は、
他教科の事業時間の減少につながります。
国語か、算数か、社会か、あるいは、道徳か、
いずれかの教科を減らさなくてはいけません。
前述のように、英語が必要でない人が多い一方、
国語や算数ができなくて困らない人は皆無です。
ほぼすべての国民が社会生活を営む上で必要な
基礎的な知識を学ぶ教科は大事にすべきです。
アジアでトップクラスの英語力という目標が、
他教科の犠牲の上に成り立つのは明らかで、
そういう有害な目標は取り下げるべきです。
蛇足ながら、私の「極論 英語教育改革案」は、
特殊言語の専門家には意外と評価されました。
私の極論は「小中学校の英語教育は一切やめ、
高校で集中的に学ぶべき」というものでした。
私の極論改革論は、政治的には不可能ですが、
もしどこかの中高一貫校が導入してくれたら、
確実に効果を上げるものと自負しております。
ぜひご検討を!
*ご参考:2013年5月27日付ブログ「私の極論 英語教育改革案」
http://yamauchi-koichi.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-bead.html
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