世界が見捨てたパレスチナ
2020-01-30
トランプ大統領が米国に登場した意味はどこにあったのか。
この問いかけについては様々な答えができるだろう。
しかも、トランプ大統領が再選でもしたら、その問いかけはますます大きくなり、その答えはますます多様になる。
しかし、少なくとも、今、そう問いかけられれば、私はためらいなく答える。
パレスチナ問題に終止符を打つ使命を、誰かに命じられて送り込まれたに違いないと。
きょうの各紙を見てあらためてそう思った。
今回のトランプ大統領の和平提案は、誰が見ても不当だ。
朝日と日経を除いた各紙は一斉に社説を掲げ、そう書いている。
朝日と日経が社説に掲げなかった理由はわからないが、おそらく明日の社説で同様の主張をするだろう。
各紙の報道ぶりも、あまりにも不公平だ、国際法違反だ、これではパレスチナ問題は解決しない、などと批判的なものばかりだ。
しかし、各紙の報道の裏に見えるのは、もはやパレスチナ問題は終わったというあきらめだ。
そのあきらめは、トランプ大統領の作戦勝ちがもたらしたものだ。
今度の提案はとっくの昔にトランプ大統領がばらしていた。
そのつど世界は驚き、怒り、失望させられた。
だからいまさら、これ以上驚き、怒り、失望させられることはない。
しかもそんな内容ならとっくの昔に発表できたはずだ。
このタイミングで発表したのは選挙対策だ。
これでトランプ大統領もネタニヤフ首相も再選間違いない。
そう宣言しているのだ。
この和平案を二人で確実に進めていくと言っているのだ。
あきらめているのは日本のメディアだけではない。
世界がそうだ。
肝心のアラブ諸国がそうだ。
サウジ、ア首連、オマーンに至ってはトランプ大統領の発表に同席してほめたたえている。
これら諸国が安倍首相が訪問したばかりの国であるところが象徴的だ。
2月1日にアラブ22か国が首脳会議を会議を開くらしいが和平案歓迎のセレモニーに終わるだろう。
ヨルダンが批判しているが、それは次はヨルダンがパレスチナ武装抵抗のフロント国家、破たん国家にさせられる、という恐怖心の吐露でしかない。
批判声明を出したのはグテレス国連事務総長とイラン、トルコだけだ。
グテレス国連事務局長は建前上、そう批判せざるを得ない。
いや、彼の場合は本心で批判してると思うが、いかんせん、今の国連では何の影響力も持たない。
イランが批判しても、だからホメネイ体制を潰すしかないとトランプに逆襲されるだけだ。
唯一の救いはトルコの批判だ。
エルドアン大統領は筋金入りのパレスチナ擁護派だ。
しかしクルド弾圧を責められたらどうにもならない。
反対の暴動が起きていると報道されている。
しかし、すべてパレスチナ人によるパレスチナ内部での暴動だ。
弾圧され、殺されて終わりだ。
あまりにも悲しすぎる。
かつて私が外務省でアフリカ課長をしていた1985年から88年のころ、隣の中東課長と冗談交じりによく話したものだ。
我々の担当している南アフリカの人種差別政策(アパルトヘイト)と中東のパレスチナ差別政策のどちらが先に解決するだろうかと。
ともに暴動が頻発し、その対応策に振り回されていた時だ。
南アのアパルトヘイトは1994年のマンデラ大統領の誕生で、世界が祝福する形で解決した。
そしていまパレスチナ問題が終ろうとしている。
世界から見捨てられる形で。
あの時の中東課長と一杯酌み交わしたい気持ちだ。
そう思って気がついた。
彼はもうこの世にいない事を。
あっという間に過ぎた三十数年の歳月だったが、やはり長い歳月でもあったということである(了)