日米安保は「止められなければ文句を言うな」という事だ
2020-01-26
きょう1月26日の朝日と毎日が、奇しくも、日米安保条約の不条理を批判する記事を掲載した。
すなわち、朝日は一面トップで東京上空の制空権に関する不条理を取り上げた。
五輪期間中は世界から民間機が集中するから、せめてその期間だけでも横田基地を使わせてもらえないかと日本政府が米軍に打診していたことがわかったと。
ところが米国はこの要望を拒否したという。
それどころか、首都圏上空の制空権すら手放そうとしない。
だから日米地位協定の改正が待ったなしなのだ。
そう、朝日は、「日米地位協定」(中央公論新社)の著者である山本章子琉球大学講師に言わせている。
その同じ朝日新聞は、「日曜に想う」というコラムで、大野博人編集委員の論評を掲載し、もはやアメリカはトラブルシュータ―ではなくトラブルメーカーだと言わせている。
そのコラムの中で大野編集委員は、いま中東で起きている緊張状態は「イラン問題」ではなく、「アメリカ問題」だとし、ノーベル賞学者であるポール・クルーグマンのことばを引用して、あの大義なきイラク戦争を主導したディック・チェイニー副大統領(当時)について、「数十万人のイラク人の血で手を汚したやつだからと、外国人が殺害したら米国人はどう反応しただろうか、自問してもらいたい」と書いている。
きょう1月26日の毎日新聞に至ってはもっとすごい。
すなわち「時代の風」というコラムで小倉和夫青山学院特別招へい教授の次のような論評を掲げている。
つまり日米安保条約は、軍事的行動については「それぞれの憲法上の規定に従って」実施する事になっている。だから平和憲法の下での制約は当然だと。
在日米軍は憲法違反だと断じたあの砂川事件の伊達判事とまるで同じだ。
しかも小倉氏はこう言っている。
日本にある米軍基地は世界中の米国の戦争に重要な役割を果たしている、しかし、そのありかたについて日本は文句を言えない状況だと。
小倉氏は私の7年先輩だ。
イラク戦争に反対して首を切られた失格外交官の私と違って、外務省の要職を歴任し、その後も様々な要職を天下った成功者だ。
その人物がここまではっきりと日米安保条約の欺瞞を公言したのだ。
だったら、私のようにはっきりと、日米安保条約は止めるべきだと言うべきだ。
しかし、山本氏にしても大野氏にしても小倉氏にしても、日米安保は見直せとというけれど、止めろとは決して言わない。
山本氏に至っては、その著書「日米地位協定」の中で私は日米安保容認論者だとまで書いている。
しかし、彼らが知らないはずがない。
日米安保条約を日本の望む方向で改定する事を米国が認めるはずがない事を。
なぜなら日米安保条約は日米軍事同盟条約だ。
米軍の意向がすべてに優先される。
米軍が自ら不利益になる事を認めるはずがない。
つまり日米安保条約を続ける限り、その不平等性は変えられないのだ。
「文句があるなら止めるしかない」という話しなのである。
おりからきょうの各紙が一斉に報じた。
ついに米国が米軍駐留経費をもっと増額しろと言い出したと。
ナッパー国務次官補代理(日本・韓国担当)が24日の記者会見で、韓国への負担増要求は日本にも適用されるといい、ナッパーの上司であるスティルウェル国務次官補は24日のワシントンでの講演で、アジア地域の安全保障情勢は、10年前、いや5年前と全く異なる、といって負担増要求を求めたと。
もはや、あきらかだ。
日米安保条約を止めるのトランプ大統領が米国の大統領であるいましかない。
止める覚悟がないなら、すべての不当な要求を受け入れるしかないのだ。
いくら日米安保は不条理だ、正しい同盟関係にせよ、と文句を言ってみてもはじまらないのである。
それはガス抜きでしかないのだ。
そんな事を言うくらいなら、いっそ「日米安保に代るものはない」と繰り返す御用学者の方がよっぽどわかりやすい。
日米安保バンザイと繰り返す読売や産経のほうが朝日や毎日より正直である(了)