Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

スパルタンX

2024-08-23 | 映画(さ行)


◼️「スパルタンX/快餐車 Wheels on Meals」(1984年・香港)

監督=サモハン・キンポー
主演=ジャッキー・チェン ユン・ピョウ サモハン・キンポー ローラ・フォルネル

元吹奏楽部なもので、高校野球の応援でブラスバンドが何を演奏するのかは毎回ちょっと気になる。僕がいた高校ではレイダースマーチ吹いてたっけ。とある試合をテレビを見ていて、金管楽器の高らかなメロディが耳に残った。🎺♪

うん?なんか聴き覚えが…。
ちょっと!スパルタンXやん!!😆
顧問の先生がジャッキー好き?それともプロレス好き?どっちだろw

80年代半ば、ジャッキー・チェン、サモハン・キンポー、ユン・ピョウのトリオ出演作がいくつかあるが、本作はスペインロケが楽しい娯楽作。キッチンカーで商売しているジャッキーとユン・ピョウが、トラブルを起こした金髪美女と知り合う。彼女を匿ったり悪党から救ったりするうちに、彼女の素性が明らかに。一方、私立探偵事務所を突然任されたサモハンも、依頼を受けて彼女を追っていた。彼女が追われる理由は?3人は彼女を守りきれるのか?

昔観た時よりもスケートボードアクションの大変さがわかる気がする。パリ五輪の最中に観たせいに違いないw。もちろんカンフーアクションも満載。いちばんの見どころは、元米国キックボクシングチャンピオンであるベニー・ユキーデとジャッキーの一騎打ち。軽いコメディ部分に満足できなかった人は、ここで一気にヒートアップすることでしょう。サグラダファミリアでの撮影も楽しい。ジャッキー映画は三菱自動車が関係することが多いが、本作のキッチンカーもそう。

冒頭で話題にしたテーマ曲は、日本で付け加えられたキース・モリソン(木森敏之)の楽曲。メロディがキレのあるホーンセクションと絡み合うサビのアレンジがかっちょいい。

いいなぁー🎺これ演奏できて😃





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サンフィアクル殺人事件

2024-08-12 | 映画(さ行)


◼️「サンフィアクル殺人事件/Maigret et l'affaire St. Fiacre」(1959年・フランス)

監督=ジャン・ドラノワ
主演=ジャン・ギャバン ヴァランティーヌ・テシネ ロベール・イルシュ

ジャン・ギャバンのメグレ警視第2作。生まれ故郷のサンフィアクル村に戻ったメグレ。彼の父はとある伯爵家の管理人で、メグレは幼い頃をそのお屋敷で過ごした。脅迫めいた手紙が届いたと、当時伯爵夫人だった女性から相談をされての帰郷だった。ところが翌朝、教会でミサの最中に夫人は心臓発作で亡くなってしまう。手紙の予告に一致する死に、メグレは「これは殺人だ!」と関係者に聞き込みを始める。放蕩息子である現伯爵、執事、管理人と銀行に勤める息子、医師、神父。それぞれに殺人の動機が疑われる。犯人は誰か、どう実行したのか。

メグレ関連作を観て、このシリーズは人情刑事ものだと理解したが、今回は個人的な関わりから事件に巻き込まれるエピソード。クリスティ作品みたいに限られた舞台のストレートな犯人探しミステリーなので、謎解きの面白さを期待して観るなら前作以上。

メグレの対人関係のうまさも映画のポイント。関係者それぞれの立場を理解し、捜査への協力を仰ぎつつ、一方で追い詰めていく。メグレが幼い頃に伯爵家に嫁いできた夫人には、少なからず憧れのような気持ちもあっただろう。そんな夫人を救えなかったことは、彼にとってどれだけ辛いものだったに違いない。それを抑えながらただ冷静に振る舞い続けただけに、直接的な犯人を追いつめた後、感情が爆発する場面が切ない。台詞からわかるメグレの年齢を既にこえてる自分だが、こんな男の強さも貫禄には程遠い。ジャン・ギャバン主演作を観るたびに、昔の大人の男ってカッコいいよなぁと思わされる。



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殺人鬼に罠をかけろ

2024-08-06 | 映画(さ行)


◼️「殺人鬼に罠をかけろ/Maigret Tend Un Piege」(1958年・フランス)

監督=ジャン・ドラノワ
主演=ジャン・ギャバン アニー・ジラルド ジャン・ドザイー

パリ五輪のせいなのか、今年はついついフランス映画に手が伸びる。「メグレと若い女の死」を観て、興味をもったジャン・ギャバンのメグレ警視映画をセレクト。

「殺人鬼に罠をかけろ」はジャン・ギャバンがメグレ警視を演じた第1作。タイトルにメグレの名前が出てこないのは、「現金(げんなま)に手を出すな」を筆頭に50年代ギャバン主演作がちょっとワイルドな文句を選んでいたからなんだろか。ちょっとネタバレ感もありますが。セーヌ川沿いパリ市街の地図に、メグレ警視のトレードマークであるパイプの影が重なるタイトルバック。

女性が被害者となる連続殺人事件が起こる。パリ4区警察署は地元で解決しようと考えていたが、第一報の通報はメグレ警視を名指した犯人によるものだった。犯人を付け上がらせるものか。メグレは「容疑者逮捕。異常者の犯行」との記事を報道をするようにしむけた。すると警視庁に「異常者ではないぞ」と犯人からのメッセージが。手柄をあげたいばかりの4区警察署の初老刑事は、現場検証を見ていた群衆から不審な女性を尾行する。彼女と事件の関わりは?メグレと犯人との駆け引きの行方は?

予想以上に面白い。ジェラール・ドパルデューのメグレは終始演技は抑えめで、(言い方が悪いが)"枯れた"男の魅力。本作のギャバンは、ギャング映画をビシバシ撮ってた頃だけに、そのイメージと変わらない凄みと貫禄がある。ドパルデューの静なイメージとは違って、声を荒げて容疑者と向き合う場面は、引き込まれる迫力がある。その一方で、バカンスに行けなくなったと嘆く妻や、取調べで出会う人々とのやり取りでは、人間味を感じる。

フーダニット重視の犯人探しミステリーとは違って、犯行の裏側にある"女性不信"感情のルーツにまで触れるストーリーは、原作の良さもあるのだろうが、引き込まれる。基本は人情刑事ものなんだな。

アニー・ジラルドは、それなりの年齢になってからのアラン・ドロン共演作しか観たことがなかった。本作の若き彼女は、揺れる心情がありながらも、愛に裏付けられた芯のある強さ。今年の助演賞候補かな。こういう人間模様の面白さは、やっぱりフランス映画の魅力。



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ザ・メキシカン

2024-07-28 | 映画(さ行)


◾️「ザ・メキシカン/The Mexican」(2001年・アメリカ)

監督=ゴア・ヴァービンスキー
主演=ブラット・ピット ジュリア・ロバーツ ジェームズ・ガンドルフィーニ J・K・シモンズ

ブラピとジュリアの二枚看板を掲げ、スタアで客を呼ぶハリウッドらしい娯楽作。普段なら絶対にセレクトしない類の映画なのは百も承知。監督も(苦手としている)カリブの海賊の人だし。観たくなった理由は、ジュリア・ロバーツが劇中で乗る緑色のVWニュービートル。映画で走る姿を見たくなったんでした。こんな動機で観る人いないよね。

ブラピが雇われる組織内の裏切りドラマが分かりにくいとか、立ちションしてる人にあんな角度で弾丸が当たるのかとか、手錠で繋いだJ・K・シモンズ先生のその後とか、ツッコミどころは多々ある。伝説の銃の逸話を、ギャングだけでなく、現場の警察官まで語り倒せるって、どんだけ世に知られた銃なんだよ。それでも、ブラピのメキシコパートも連れ去られたジュリアのパートも、それぞれに凝った展開が用意されていてそれなりに最後まで楽しめた。彼女役はチンピラに惚れそうな現実味のあるキャスティングの方が…と思っていたが、並行する2つのストーリーを対等にみせるにはジュリアくらいのスタアである必要があったのかも。

その功労者は殺し屋を演じたジェームズ・ガンドルフィーニの存在が大きい。結果としてジュリアを守ることになり、心が離れそうになっているジュリアに気づきを与える存在になっているのがいい。それが映画後半退場するのが残念なのだが、「友達なのに!」とまで口にするジュリアが、意外なほど気持ちを引きずらないのはちと納得がいかず。まぁこれもスタアの顔見世娯楽作だし、と割り切らないといけないのかなぁ。

必殺シリーズみたいな哀愁のトランペット、リズム重視の劇伴、いかにもメキシコ!な音楽。不細工なワンちゃん、もっと活躍が見たかった。あ、お目当てのニュービートル素敵でした。






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シークレット

2024-06-17 | 映画(さ行)


◾️「シークレット/Secret」(1971年・イギリス)

監督=フィリップ・サビル
主演=ジャクリーン・ビセット ペール・オスカルトン ロバート・パウエル

中坊の頃。初めて買った映画雑誌に、その年に公開された映画のチラシ画像がズラリと並んでいる特集記事があった。へぇー、こんなのあるんだ。地方都市在住だとお目にかかれない映画もあれこれ。

ジャクリーン・ビセットは「料理長殿ご用心」や「ロイ・ビーン」をテレビで観て、綺麗な人だなぁーとマセガキながらに思っていた。本作「シークレット」もチラシ画像が載っていた。なーんか煽情的なコピーと共に気になった。
「あのジャクリーン・ビセットが全裸で挑む人妻の性!!」
感嘆符2個‼️ですよw。こんなんに出演してたのか😳。マセガキ君は(ちょっと)ドキッ💓としたのでした。ウン十年経って初鑑賞。製作は1971年で日本公開は80年。それで初めて買った映画雑誌に載ってたのか。ふむふむ。

平凡な日常に囚われて精神的に参っている夫婦。夫アランは就職試験に臨み、妻ジャッキーは娘を連れてコインランドリーに出かける。頭痛に襲われたジャッキーは公園に足を向けるが、そこでロールスロイスに乗った中年男性ラウルに声をかけられ、彼の家を訪れる。アランは試験中に妻とのことを考え続けていたが、面接対応をしてくれた女性と二人きりに。娘はランドリーで会った年上の少年の家に遊びに行く。三者三様のその日の午後。それぞれに言えない秘密ができた日になった。

もっと淫らなお話かと思ってた(マセガキの妄想?🤣)。確かに不倫話ではあるのだが、収まるところにきちんと収まって、しかもそれぞれの気持ちを見つめ直す時間と経験になりましたというお話。

娘は寝る前に父親に本を読んでもらうのが習慣なんだろう。いつものように父親が娘にキスしようとすると顔を背ける娘。それは少年との午後の記憶がよぎったからに違いない。

長回しのワンカットが多用されている。オープンカーから通りを渡るヒロインを追うカメラの目線が右往左往する場面は、おいおいと思う。けれど、ラウルとジャッキーが抱き合う場面はなかなか。脱ぎ散らかされた衣服、壁に飾られた亡き妻の肖像、鏡越しの二人がチラチラ見えて、やがて映像は二人をデーンと捉える。濡れ場に至るまでのラウルの気持ちが映像からにじんでいるようにも思える。マセガキ時代にこの場面を見ていたら絶対早送り⏩してただろなww。

少女が少年にもらった鉢植えを見つめる映像からつながるエンドクレジット。印象的で綺麗な幕切れ。
「コンピューターの仕事にはホームズよりもワトソンの方が向いている。」
なるほどなるほど。



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ジョン・レノン 失われた週末

2024-05-24 | 映画(さ行)


◾️「ジョン・レノン 失われた週末/The Lost Weekend」(2022年・アメリカ)

監督=イブ・ブランドスタイン リチャード・カウフマン スチュワート・サミュエルズ
出演=メイ・パン ジョン・レノン オノ・ヨーコ ジュリアン・レノン

熱心なジョンのファンに怒られそうだが、このドキュメンタリー映画で描かれる70年代半ばのジョンについて、特にこの"失われた週末"と呼ばれた期間については予備知識がとても乏しかった。偉そうなレビューは書けないので、ご容赦ください。

ジョンとヨーコの個人的なアシスタントであった中国系アメリカ人メイ・パンがジョンと過ごした日々。映画は、当時の楽曲、プライベートショット、交流があったアーティストたちとのエピソード、そしてヨーコとの関係が、生々しい証言と温かみのあるアニメーションやジョンの落書きと共に示される。気を抜くと置いてかれそうなハイテンポで映画は進行する。興味という欲望があるから、映画に引きずられているみたいだった。

言い訳がましくなるが、僕がジョンに真剣に興味を持ち始めたのは「ダブル・ファンタジー」からだし、ダコタハウスの惨劇の後だった。だから当時僕が目にしたのは、音楽的な偉業と、美談として語り継がれそうなラブ&ピースなエピソードばかり。

だからこの映画で語られるのは、よく知らなかったことが多い。ヨーコと離れてある種の安らぎを得たこと、メイと愛し合った日々、そしてヨーコとメイとの間で揺れる心情。エルトン・ジョンやデビッド・ボウイと共演していたのは知っていたが、スティービー・ワンダーとセッションした話にはびっくり。

ヨーコのインタビューこそ挿入されるが、基本はメイ・パン側からの証言で構成されている。かなりヨーコの印象が悪くなるような内容ではあるが、それも彼女の一面なんだろう。

失われた週末と呼ばれた18ヶ月、ジョンが悪ガキだった頃の無邪気さで音楽に向き合っていた様子が心に残った。
I too play the guitar, sometimes play the fool.
(僕もギターを弾くし、時々バカをやる)
と、ジョンはBBCライブのアルバムの冒頭で喋る。他のメンバーが担当楽器と名前を手短に自己紹介する中で、一人だけふざけたことを言うジョン。


この映画で登場する、フィル・スペクターや気心の知れたメンバーで自作曲なしのアルバムを製作する場面は、とても音楽を楽しんでいるのが伝わってワクワクした。それはまさにバカをやってるジョンだった。

そして、息子ジュリアンとの関係には心温まる。子供の頃のジュリアン、最強の美少年っぷり。メイがみんなをつないでくれていて、果たした役割の大きさがよくわかる。音楽を介した人と人のつながりは強いし、時に大きな啓示を与えてくれる。ヨーコとメイがジョンにもたらしたものは、どちらもジョンを形造る大切なものだ。

無性に#9 Dreamが聴きたくなった。




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ジョーズ2

2024-05-23 | 映画(さ行)


◾️「ジョーズ2/Jaws 2」(1978年・アメリカ)

監督=ヤノット・シュワルツ
主演=ロイ・シャイダー マーレイ・ハミルトン ロレイン・ゲイリー

成功作の後を追う映画は、ビジネスだから製作されてしまうもの。だが柳の下に2匹目のドジョウはいない。むろんサメ🦈もだ。しかしこの第2作がスピルバーグ監督の前作と同じプロデューサー、キャスト、ジョン・ウィリアムズの音楽もつけて製作されて、そこそこの成功を収めたことは、後に数々の類似品を産むことになる。そしてサメ映画というジャンルが形成されたと言っても過言ではない。

アミティに再び巨大なサメの脅威が訪れる。前作同様に、サマーシーズンの稼ぎ時を逃したくない人々とブロディ署長のまっすぐな正義感が対立する構図。その対立ドラマは前回以上に激しく、市長や町の実力者たちに都合の悪いブロディは排除される事態に発展してしまう。そんな父に息子たちのドラマも絡んで人間模様が色濃く出た映画になっているのは前作との大きな違いだ。普通ならストーリーに起伏を与えて盛り上げる要素になるところだが、これがどうも煮え切らない印象に終わる。それは話が陸で進んでいるせいだ。

前作は観客も登場人物もただひたすらにサメに気持ちが向いている映画だった。登場人物もサメに執着する漁師、サメの魅力に取り憑かれた海洋学者も交えた濃いキャラクターばかり。そしてストーリーは海の上、船の上で進行する。(予算という事情もあるだろうが)閉鎖された舞台で話が進むから、観客も気持ちの逃げ場がない。そこが脚本の巧さだし、観客を巻き込むスピルバーグの巧さでもあった。「ジョーズ2」のクライマックスは確かにハラハラするけれど、ヨットの上の少年少女と、追いかけるブロディ、港で夫や子供の身を案ずる人々、ブロディを信じなかった人々、と様々な顔がチラついて、観客は感情移入する先が絞り込めない。だって、観客はサメを楽しみたいんだもの。家族愛の物語を期待して「ジョーズ2」は選ばない。

監督のヤノット・シュワルツ(※英語読みじゃなくて、フランス人監督なのでこの表記にします)は、傑作「ある日どこかで」を撮ってるくらいだ、決して下手な人ではないと思う。ヨット遊びの楽しさ、太陽を浴びた水面の美しさは綺麗に映し出されているだけに、それを脅かす出来事が強く印象づけられる。また、前作では自分にできることが定まらずに迷いっぱなしだったブロディが、本作では行動に迷いがない。家庭以外では堅い表情を貫くロイ・シャイダーの演技もいい。ジョン・ウィリアムズの音楽も迫る恐怖を盛り立てるあのメロディに加えて、「スターウォーズ」の惑星エンドアで流れそうな軽やかな楽曲もいい。サメもヘリコプターを襲う大活躍。それぞれの良さがある映画だと思うのだが、なんか惜しい気がしてならない。



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ジョーズ

2024-05-19 | 映画(さ行)


◾️「ジョーズ/Jaws」(1975年・アメリカ)

監督=スティーブン・スピルバーグ
主演=ロイ・シャイダー リチャード・ドレイファス ロバート・ショウ ロレイン・ゲイリー

小学校高学年の頃。観たことないくせに、すげえ映画を撮るスピルバーグって監督がいる、と既に意識していた。強烈なインパクトがある「ジョーズ」や「未知との遭遇」のポスターを眺めながら、どんなんだろ?と心惹かれていたのだ。数年後の1980年には新作公開され映画館に出かけた。僕の初スピルバーグ映画は、幸か不幸か「1941」w。その年に「未知との遭遇 特別編」を映画館で、「激突!」をテレビで観た。大出世作「ジョーズ」を初めて観るのはその翌年の冬、家族が寝た後、地上波の深夜映画だった。「1941」の冒頭でセルフパロディにした、「ジョーズ」のオープニングシーン。浜辺を走り、服を脱いだ彼女は海へと泳ぎ出す。これがオリジナルなのかっ!怖っ!すげぇ!少年は映画を賛美する言葉をテレビに向かって発してしまいそうになる。
「ハーリウーーッド!」
※「1941」観ればわかります

いやはや、噂には聞いてたけど、そこらのホラー映画よりも怖いのにめちゃくちゃ面白くって、恐怖にドキドキするのに、次の展開が待ちきれなくてワクワクしてしまう。こんな映画があったのか。少年はブラウン管テレビの前、クッションを抱きしめながら最後まで観た。いや、すげえもんを観た。興奮気味の少年は眠れなかった。夢にサメが出てきそうだったのもあるが(笑)。2024年5月、あの頃と違って眠れなくって、BS12を録画していた吹替版で久々の再鑑賞。更年期なんだろか💧

スピルバーグの見せ方のうまさ。今観てもまったく色あせない。簡単にはすべてを見せずに、間接的に恐怖を煽ってくる。噛み切られて浜辺に打ち上げられた手、海底に落ちていく足、血に染まる水面。そして何よりも水中から海水浴する人々を見上げる主観移動ショットが見事。ユニバーサルホラーの傑作「大アマゾンの半魚人」を観て思いついたと聞く。サメが迫ってくる恐怖を、観客をサメの視線にして感じさせる斬新な発想。そんな少しずつ迫るものを見せていき、ジワジワと怖がらせていく手法は、後の「ジュラシックパーク」でさらに巧みになっていく。僕ら世代は、スピルバーグがビッグネームになっていく様子を同時代的に追っかけられた。それはいち映画ファンとして素敵なことだ、と今にして思う。

初めて観た時は印象に残らなかったが、改めて観てグッときた場面がある。ロバート・ショウ演ずるクイントが、戦時中にサメに囲まれて仲間が次々と死んでいったと語る場面。歴史上の出来事や科学と結びつけることで、映画を観ている自分たちとどこか地続きの話だと認識させて恐怖を高める演出は、様々な映画で使われる。隕石が地球にぶつかる話にしても、核実験で怪獣が目覚める話にしても。「ジョーズ」に挿入されたこの場面では、戦時中に原爆を運ぶ極秘ミッションに携わった帰路に体験した惨劇が語られる。観客の受け止め方によっては、その挿話が大量破壊兵器に関わってしまった呪いであるかのようにも思えてしまうかも。また、クイントにとって今回のサメ退治は逃れられない復讐なのだと、僕らに納得させてくれる。部屋にかけられたサメのアゴの骨が、過去に取り憑かれた男だったことを物語るのだ。そのアゴ骨のフレーム越しに出航するオルカ号が映される。ちょっとしたショットなのに、すごく意味深に見える。

そしてクライマックス。ブロディが一人で立ち向かう場面は、海の上では役に立たなかった男がことを成し遂げる。これも一つのカタルシス。巧いよなぁ。




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ショック療法

2024-05-16 | 映画(さ行)


◾️「ショック療法/Traitement de choc」(1973年・フランス)

監督=アラン・ジェシュア
主演=アラン・ドロン アニー・ジラルド ミシェル・デュシューショワ 

小学生低学年の頃だったか。親に親戚の家に連れて行かれて、大人たちが話し込んでいる間、テレビがつけられた部屋で待つことがよくあった。そんな日に限ってトラウマ級に記憶に刻まれる番組が放送されていることがあって、何じゃこりゃ😰と思いながらも見入ってしまったものだ。(「何がジェーンに起こったか?」のレビューも見てね)。

ある日、遅い時間になっても大人たちの話が長引いて帰る気配がない。なんちゃら洋画劇場が始まる時間帯に。その夜の作品は「アラン・ドロンのショック療法」。怖いやつなのかな…。少年はとりあえず観ることにした。

都会から離れた海辺にある病院。失恋の痛みを癒すためにヒロインがゲイの友人とやって来る。そこは若返りの治療が施される施設で、セレブたちが滞在して治療を受けていた。

少年の心に強烈な印象を残したのは、映画前半、海草が敷き詰められたサウナの場面。テレビ画面の端から端まで横たわる男女の裸、裸、裸。そのシーンに流れていたウクレレめいた音色の劇伴まで記憶に刻まれた。

なんかすごいもの見ちゃったな😨

と思っていたら、突然男性の一人が「海へ行こう!」と叫ぶのね。「裸で?」と聞く女性にみんなが当然!という顔をして、裸の男女の群れは海へと走り出す。水しぶきがあがり、テレビ画面には不自然な雲のような汚れが見えたり消えたり。え?何これ?初めて観たボカシはこれだった。

そこにやって来たのが、アラン・ドロン演ずるデブリエ院長。彼も服を脱ぎ捨てて海へと向かう。画面の汚れ(ボカシ)が増殖。

おっ、大人ってこんなことするのか!😫
少年の心にとんでもない誤解を植え付けた。そこから病院内で不可解な死が続き…と怖くなったところで、親が「帰るぞー」と戻って来たので、その先を知らないまま。

そして数年後、大学生になった少年は地上波の深夜枠で再び「ショック療法」を観ることになる。
デブリエ院長、あんたって人は…!😰

小学生の頃に全編観なくてよかった。初めてのアラン・ドロン映画がこれだったら(いや、事実上本作なのだが💧)、とんでもない先入観を持つことになっていたろう。榊原郁恵のヒット曲「アル・パチーノ+アラン・ドロン<あなた」を聴いても怖い奴の歌だと信じて笑えなかったかもしれないw。それだけファーストインプレッションは大事ってことなのだ。ちなみにちゃんと観た初めてのアラン・ドロン映画は「ブーメランのように」です。




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ジョニーは戦場へ行った

2024-03-16 | 映画(さ行)


◾️「ジョニーは戦場へ行った/Johnny Got His Gun」(1971年・アメリカ)

監督=ダルトン・トランボ
主演=ティモシー・ボトムズ キャシー・フィールズ ジェイソン・ロバーツ マーシャ・ハント ドナルド・サザーランド

恥ずかしながら今回が初鑑賞😓
観る機会はそれなりにあったくせに。
映像が使われたMetallicaのPVもリアルタイム世代のくせに。



要するに、僕はあらすじと噂だけ聞いて怖気付いてたのだ。

ダルトン・トランボが1939年に発表したこの小説は、反政府文学とみなされて戦争が起こると絶版、終わると復刊を繰り返したと聞く。映像化された本作、これまで観た反戦映画とは全く違う、強烈なメッセージと描写と衝撃がある。

触覚以外の五感を失った男性が、両手両足を失い、脳の大部分にもダメージを受けながらも生きている。首だけは動かすことができるが、神経的な反射だと捨て置かれてしまう。映画は客観的な室内での描写に、ジョニー本人の意思がナレーションとして重なる演出。ジョニーの気持ちとそれに反する周囲の行動や処置が強く印象づけられる。映画前半はこうしたベッドの上の主人公を人間として扱わない冷たさがモノクロームの映像で表現される。

それと対照的なのは、色彩がついた回想やジョニーの想像による場面だ。出征前夜に恋人カリーンと抱きあう場面、過酷な戦場の場面、カリーンが出てくる舞台劇のような幻想的なシーン、生ける肉塊と化した自分が見せ物にされる想像。中でも印象的なのは、ジェーソン・ロバーツ演ずる父親とのやりとり。お気に入りの釣竿への愛と民主主義を守るべきと語る一方で、「どの主義も変わらん。若者に殺し合いをさせるだけだ」と言い放つ。

映画後半、新しい看護婦がやって来てから物語が少し動き出す。胸の上に彼女の涙が落ちる場面。クリスマスの夜に彼女が指で書いたMerry Ciristmas。わずかながら通じ合える瞬間に涙があふれる。そして、モールス信号を使う名場面がやってくる。繰り返される"Kill Me"に込められた気持ち。

もう映画としてどこがいい、どこが物足りないとか語ることが無意味に思える。ここで描かれていることが全てだ。どう感じるかは人それぞれだろうが、戦争がもたらすことについて考える貴重な2時間になるのは間違いない。

(蛇足ながら)
これをもし今リメイクしたらどうだろう。分かりやすさを重視する現代ハリウッドなら、最新映像技術を駆使して生ける肉塊となったジョニーの姿を描き出してしまうかもしれない。リメイク版「ロボコップ」(2014)で生身のマーフィがどこまでなのかを、生々しく見せた場面を思い出した。けれど、そんなビジュアル表現はこの物語に必要ない。物語自体の強い力がある。それでも、これは映像化しないと観客に伝わらないというセンスのない映画人が世に出て来たら、僕は間違いなくそいつの作品をボイコットする。





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