■「グラン・トリノ/Gran Torino」(2008年・アメリカ)
●2009年キネマ旬報ベストテン 外国映画ベストワン第1位・外国映画監督賞
●2009年セザール賞 外国映画賞
監督=クリント・イーストウッド
主演=クリント・イーストウッド ビー・ヴァン アーニー・ハー クリストファー・カリー
※注・多少結末に触れています
ここ数年、クリント・イーストウッド監督の仕事ぶりには圧倒される。次々と新作を製作し、どの作品も完成度の高い映画ばかり。しかもその映画たちは、派手な打ち上げ花火のような映画ばかりが目立つ現代ハリウッドにおいて、どれもきちんと人間を見つめた秀作。この世に語るべき物語がある限り映画を撮り続ける・・・そんな強い意気込みがどの映画からも感じられ、繰り返し観なくても強い印象を僕らに残してくれる。この「グラン・トリノ」は俳優として最後の出演作となった作品。この映画で感じるのは、イーストウッドが現代アメリカ合衆国を憂えているということだろう。
イーストウッドが演ずるのは、白人至上主義で差別的発言を繰り返し、その頑固さ故に息子夫婦とも疎遠になっている孤独な老人。かつては朝鮮戦争に従軍して勲章をもらったが、戦争という殺人の記憶は今も彼を苦しませている。この主人公は古きアメリカ合衆国なのだ。時代が変わって国内に住む人々が大きく変わったり、世界の状況に変化があっても、昔ながらの価値観と考えに縛られて頑なな態度をとる国。米食いジャップの作った車を嫌う、若い神父の言葉には耳も貸さない、自分の愛する国産車を宝とし、黄色人種を毛嫌いする。どこの国からもその地位を揺るがされることのなかった強きアメリカ。
しかし隣人となったアジア系のモン族一家との交流から、次第に彼の心は和らいでいく。息子たちは一人暮らしの父親のためだと施設への入居を勧めて、ますます溝を深めてしまう。主人公の長年の頑固さがもたらした溝は埋まることはなく、珍しく自分から息子に電話をかけてもそっけなくされてしまうのだった。一方でストリートギャングたちとトラブルに陥ったモン族一家を救い、内気な息子タオにいろいろと指南することになる。異なる民族とお互いを認め合うこと。それは主人公にとって大きな変化だ。しかし、それはこれまでアメリカ合衆国ができなかったこと。文化の違い、宗教の違い、価値観の違いを認めず、紛争解決に自らの正義を振りかざし、決して異民族に寛容になれない。それはテロ事件や数々の国際戦争を生んできた。イーストウッドは、銀幕の内側からアメリカ合衆国に”チャンジ”を促しているのだ。
単純にストーリーを追えば、この映画は頑固じじいが自分なりの決着をつけたお話だ。タオの家に銃弾が撃ち込まれ、姉スーがレイプされ、怯える一家を救うために、彼がとった行動。復讐のために銃をとって乗り込もうとするタオを引き留めた場面に込められたのは、復讐は復讐を生むだけだという”負の連鎖”にイーストウッドは”NO”を突きつけているのだ。同時多発テロ後のアメリカに対するイーストウッド翁なの静かなる説教がこの映画なんだと思う。衝撃のラストシーンはここでは克明に書かない。その行動が正しいと感じるかどうかは、観る側それぞれの考えがあるだろう。ラストに込められたイーストウッドの思い。映画が終わってじっくり考えてみて欲しい。
オープニングから数分間で、主人公の人柄と置かれた状況、人間関係をわずかな台詞だけで理解させてしまう見事な演出。説明くさい部分はまったくない。これこそが映画の語法だ。これまでの主演作で数々のヒーローを演じたイーストウッド。この最後の主演作で、イーストウッドはかつてのヒーロー像をちょっとだけおちょくってみせる。「夕陽のガンマン」のラストシーンで自分のヒゲをそらせる時、喉をかっ切らないように銃を突きつける。でも「グラン・トリノ」の年老いた彼は「釣りはいらない」と20ドル手渡す。またストリートギャングたちに向かっていくとき口にする「Go Ahead !」はまさに「ダーティハリー」。でもマグナムをぶっ放すことはなく、指を鉄砲にみたててバーンと言うだけ。同時多発テロ後、もうアメリカにヒーローはいない。厳しい現実があるだけだ。この映画の主人公は人生の最期に行動を変えた。でもグラン・トリノに注いだ愛情は貫き、そのスピリットはタオに引き継がれる。後になってじーんとくる結末。悪に向かって銃を突きつけてきた男は行動を変えたけど、愛するものへのこだわりは遺された。そこを貫くのが男の美学。やっぱりイーストウッド映画は素晴らしい。
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