■「私の奴隷になりなさい」(2012年・日本)
監督=亀井亨
主演=壇蜜 真山明大 板尾創路
観てしまった・・・だって、気になって仕方ないんだもん(開き直り)。正直なところ。壇蜜が世に出てきたとき、あぁまた自分を安売りしている女性が・・・と僕は思った。その頃、グラビアアイドルたちは壇蜜の登場で過剰な露出を求められることが多くなったと迷惑がり、世の女性タレントさんたちもやれ下品だとかお下劣だと批判した。確かに過剰なグラビア写真は刺激的で魅力的だが、その多くは男子の好奇心と情に訴えるものだった。彼女の発言や記事、ドラマの脇役での印象的な表情を目にするにつれてだんだんと印象が変わってきた。彼女の発言には人を誘惑する言葉というよりも、人の心に訴える魅力や気遣いがある。心をとらえて放さない魅力がある。単にお綺麗な女性というルックスだけでない。確かに連日マスコミで取りあげられる彼女は、やり過ぎな露出過剰な女の印象だ。だけどビジュアルだけで彼女に夢中になっているのはもったいないと思えてきたのだ。そんな壇蜜が初めて主演した映画がこの「私の奴隷になりなさい」。
主人公"僕"は転職した新しい職場で綺麗な年上の女性に出会う。彼女は既婚者だが、夫は大阪に単身赴任中。女性にはいささか自信をもつ"僕"は、彼女に執拗に近づいていく。ところが、ある日彼女からストレートな誘いのメールが届く。言われるがままについて行くと彼女はビデオカメラを渡して、行為の間、自分の顔を録画しろと言う。不思議に思いつつも従った"僕"。実は彼女には秘密があった・・・。
僕は女性がいたぶられる映画が大嫌いだ。例えば団鬼六もの。杉本彩の「花と蛇」はテレビの前で「もうそのくらいにしてやれよー!」と叫びそうになったし(でも停止ボタンを押せなかった・笑)、坂上香織(大好き!)の「紅薔薇夫人」はハードな場面を心から楽しめなかった。それらはあくまで男性目線の願望(欲望)むき出しの作品。本作「私の奴隷になりなさい」は、彼女が"先生"と呼ぶ男(板尾創路、役得!w)による性調教のお話だから、同じように縛られもするし弄ばれもする。しかし根本から違うのは、女性側の目線からもその行為を描いている点だ。「私を先生の奴隷にして」と口にする程にのめり込んでしまった彼女だが、自分が快楽を知ることでそれまでの自分から解き放たれたこと、そしてその歓びを教えてくれた"先生"に対するある種の恋心。壇蜜がいろんな表情をみせてくれる映画。酒場で"先生"と出会ってからだんだんと、その表情も容姿も綺麗になっていく過程が面白い。
僕がグッときたのは"先生"が"僕"に言う「ゴーリーよりフランシス・ベーコンになるべきじゃないのかね」という台詞。映画の前半で、出版社に務める"僕"は、ダークなファンタジーを描くエドワード・ゴーリーの不気味な絵が好きだ、と言っている。
しかし"先生"は不気味な絵に惹かれるように、未知の秘密やおぞましいことを垣間見るようなことよりも、フランシス・ベーコンの絵のように内面の欲望を自らさらけ出すことが必要なのではないのか、と言うのだ。
そういう意味では性の奥深さを主人公が垣間見るスタンリー・キューブリック監督作「アイズ・ワイド・シャット」に近いものを僕は感じた。「アイズ・ワイド・シャット」では、ニコール・キッドマンがうちひしがれた主人公に「ファックするしかないでしょう」と言い放つ。しょせん男と女はそこなんだ、とキューブリックは僕らをあざ笑うのだ。「私の奴隷に~」のラスト、秘密のすべてを知ってしまった"僕"に、彼女は静かに言う。
「それでもまだ私のことが好きなの?。だったら、私の奴隷になりなさい。」
エンドクレジットの主題歌まで壇蜜が歌う大活躍の映画。このひとことは"僕"に向けられただけでなく、銀幕の前でドキドキしている僕らにも向けられているのだ。