■「ウォーリー/Wall-E」(2008年・アメリカ)
監督=アンドリュー・スタントン
声の出演=ベン・バート エリッサ・ナイト ジェフ・ガーリン フレッド・ウィラード
●2008年アカデミー賞 長編アニメ賞
●2008年NY批評家協会賞 アニメーション賞
●2008年LA批評家協会賞 作品賞
※注意・結末に触れています。
黄金週間直前、子供が左足小指を骨折。通学にも不自由する状況になり、ゴールデンウィークは動くに動けぬ状況になった。おまけに休み最終日はもう一人も風邪が原因で腹痛と吐き気でのたうちまわることに。そんな今年のゴールデンウィーク。NHK地上波が粋な番組を放送してくれた。ピクサーアニメ「ウォーリー」だ。決して敬遠していたつもりはないのだが、これまで残念ながら見る機会がなかった作品。子供二人と僕とで楽しく鑑賞することができた。5月5日のゴールデンタイムに放送された本作。BSならばともかく、地上波の放送であれば、時間枠がきっちりしてるだけに通常カットされ再編集されるのは当たり前。だが、NHKは物語のその後も描いた素敵なエンドクレジットとピーター・ガブリエルの主題歌を最後まできちんと流してくれた。作品への敬意と受け取ってもいいだろう。
ゴミ処理ロボットであるウォーリーは、汚染された地球から人類が宇宙へ逃れて何百年もの間、一人ゴミを処理し続けていた。ゴキブリくらいしか動くものがなく、摩天楼と同じ高さまで積まれたゴミの塔がそびえ立つ都市の風景が示される。それは僕らがこれまで観てきた絶望的な未来観をもつ70年代のSF映画たちを思い起こさせる。誰もいない都市の風景は、チャールトン・ヘストンが誰もいない街をオープンカーで走り回り、疫病に冒された暴徒と戦う「地球最後の男/オメガマン」。こうなるに至ったいきさつは明確に示されないが、きっと「猿の惑星」やら「地球爆破計画」のような事態が起こってしまったのであろう。ウォーリーは長い年月を経て意思や好みが芽生えていた。ゴミの中からお気に入りのものを持ち帰るようになる。彼のお気に入りはミュージカル映画「ハロー・ドーリー」が収められたビデオテープ。何度も繰り返し観た彼は、いつか誰かと手をつなぎたいと願うようになる。そこへ突然現れた宇宙船が、真っ白なロボットを置いて飛び去っていく。あちこちを飛び回って探索し、危険と思えば容赦なく銃を向けるそのロボットの名はイヴ。やがて親しくなった二人だが、イヴはあるものを発見した途端に動きを止めてしまう。そしてそこに再び宇宙船が降り立ちイヴを連れ去る。ウォーリーはイヴを失いたくなくて、宇宙船にしがみつき大気圏外へ、そして人類が生きている超ド級の宇宙船にたどり着く・・・。
この映画の前半、ロボットの発するもの以外台詞らしい台詞はまったくない。ゴーストタウンのような都市をカラカラと音をたててロボットが走り回る映像を観るだけだ。説明臭いナレーションすらない。ウォーリーも表情があるわけでもないのに、僕らはそこに感情を感じることができる。映像のもつ力強さを感じずにはいられない。言葉もないこの映像を日本の多くの人々が今見入っている・・・そう思うと僕は不思議な気持ちになった。
後半、走行する椅子の上で暮らし、自ら歩くことも誰かと触れることすらなくなった人類の姿が示される。コンピュータの完全な管理の下でぶくぶく太った人類は生き続けていた。イヴが持ち帰った植物が、地球が再び人類が住める場所となったサインとなり、艦長は地球への帰還を決断する。しかし、コンピュータは「帰る必要はない」として艦長を監禁、植物の証拠を隠滅しようとする。赤い一つめの舵輪型ロボットが艦長に反抗する場面は、「2001年宇宙の旅」のHALのパロディ。ウォーリーとイヴの活躍と艦長の勇気で再び地球へと人類は降り立つことになる。ウォーリーが消火器を使って宇宙遊泳する場面は、実に美しい。
歩くこともままならなくなった人類が本当に地上で暮らすことができるもんかという見方もあるだろう。だが、映画が示したいのは、たとえ絶望的な未来であっても持ち続ける限り必ず希望はあるということ。人は立ち直ることができると訴えかける。5月5日のゴールデンタイムに、NHKがこの映画を敢えてセレクトして放送した真意。それは昨年の震災から1年が経過した日本に、わずかながらでも元気をあげたいという気持ちからではないか。みんなで立ち直れるというメッセージと、(ハリウッド的お気楽さはあれども)この映画示す希望は、今の日本だからこそ必要なものかもしれないのだ。この映画を今観られたことに感謝。
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