Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

ギター弾きの恋

2012-10-05 | 映画(か行)

■「ギター弾きの恋/Sweet And Lowdown」(1999年・アメリカ)

●2001年ロンドン映画批評家協会賞 助演女優賞 

監督=ウディ・アレン
主演=ショーン・ペン サマンサ・モートン ユマ・サーマン 

 ウディ・アレンは大好きな監督だ。でも「世界中がアイ・ラブ・ユー」くらいしか最近の作品は観ていない。この「ギター弾きの恋」も巷で評判がよかっただけに観たかったんだけど、今回やっとビデオ借りて観た次第。もうファン失格だね。「ギター弾きの恋」は素晴らしい。何がいいかって、まず役者がいい。特に主人公エメット・レイを演じたショーン・ペン。この人は他の監督の映画でいい仕事して、それで稼いだ金を自分で監督する映画につぎ込む人。「ミスティック・リバー」もそうだけど、自分勝手で妙にカリスマ性のある役を演じさせると本当に巧い。この映画の主人公も、だだっ子を大人にしたような身勝手な人物だ。でもその内にある寂しがり、優しさが憎めないキャラクターとなっている。でもこの映画を観ていると、どうもロバート・デ・ニーロの真似しているようにも見えちゃうんだが。

 それにアレンの演出の憎らしさ。「カメレオンマン」を思わせるドキュメンタリーの手法で、架空のギタープレイヤーをさも本当にいたかのように語っていく。ジャズ評論家たちに混じって自身も登場して観客に語りかける。この大嘘があまりに見事なもんで、伝記映画だと信じさせられてしまう。予備知識なしで観たらきっと騙されていただろう。脚本はアレンが若い頃に書いたものらしいが、とにかく音楽に対する愛情に満ちているところがいいね。この映画はウディ・アレンがフェリーニの「道」に捧げたオマージュだと思える。でもこの映画のラストの方がずっとずっと切ない。ジェルソミーナは死んでしまうけれど、サマンサ・モートン演ずるハティは他の男と結婚してしまう。あのときオレがつなぎ止めていれば・・・そんな気持ちになったこと、観客にもあるだろう。それだけに、「オレが間違っていたんだ!」と叫んでギターを壊すラストシーンがグッとくるのだ。ウディ・アレン映画をずっと観ているファンには、サマンサ・モートンがミア・ファローに見えて仕方なかったのではないだろうか。僕もそう思う。結局似たような演技を別の女優に要求しているのかな・・・と思うと、アレン監督自身がエメット・レイともだぶって見えるではないか。まぁ現実は知らないけどね。

 ★

この文章を書いたのは2004年。ウディ・アレン作品は地方都市在住だと映画館で観る機会が極めて少ない。小学校高学年(?)で「スリーパー」を観て以来の大ファンなのだが、一方で観る機会に恵まれず見逃していたものも多い。この記事書いた頃はまさにそんな時期だった。「世界中がアイ・ラブ・ユー」が劇場で観られたときは嬉しかったもんです。「ミッドナイト・イン・パリ」のヒットのおかげで旧作の廉価版DVDが一斉発売!嬉しいね。早速僕は「SEXのすべて」を予約しましたが・・・何か?。




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家族の庭

2012-10-04 | 映画(か行)

■「家族の庭/Another Year」(2010年・イギリス)

監督=マイク・リー
主演=ジム・ブロードベンド ルース・シーン レスリー・マンヴィル オリヴァー・モルトマン

マイク・リー監督が、ある夫婦とその家に集う人々の悲喜こもごもを、四季の風景を交えつつ描いた作品。コメディとジャンル分けされているのだが、それが間違っているのではない。一般的にゲラゲラ笑わせてくれるコメディとは別なものだと考えるべきだろう。監督は登場人物の誰かに肩入れするような演出ではなく、そのままの人間模様を描いている。しかし、それは誰かが抱えた悲しみを癒したり、幸せを分かち合ったりするような人間関係とは違う。この映画のコピーには「ここに集まると、喜びは倍に悲しみは半分になる」とある。このコピーや邦題を見てイメージしてしまうのは、家族同様のつき合いをしている人たちによる、幸せも悲しみも幾年月・・・めいたホームドラマ的なもの。しかし実際に観ると、映画はそのイメージを完全に壊してくれる。このコピーは大嘘だ。

地質学者のトムと心理カウンセラーのジェリー夫妻は、市民菜園で野菜をつくるのが共通の趣味で、弁護士である息子ジョーの結婚こそ気がかりだが穏やかで満ち足りた生活を送っている。週末には、妻の同僚であるオールドミスのメアリーや夫の友人ケンらが訪れ、料理やワインを楽しんでいた。メアリーは一度結婚に失敗しており、夫妻のところによく遊びにやってくる。ケンも独身でさみしい日々を送っている。メアリーは夫婦の息子ジョーに好意を抱いていたのだが、ある日ジョーが突然ガールフレンドのケイティを連れてくる。夫婦はケイティを歓迎するが、メアリーはケイティへの嫌悪感を隠さない。それぞれの思いを抱えながら季節は変わっていく・・・。

トムとジェリー夫婦(このネーミングはいいセンス)は初老夫婦の幸せを絵に描いたようで、しかも知性を感じさせるキャラクター。一方で、メアリーやケンは酒を飲んでは取り乱し、空気を読まない自分本位なおしゃべりをやめず、幸せな結婚からはほど遠い。銀幕のこちらから観ていても、メアリーみたいな女性がちょくちょく家にやって来られるのは嫌だと思える。グチって、煙草ふかして、息子に色目つかって・・・同僚だとしても距離を置きたい。物語が進むにつれて、次第にジェリーとメアリーの仲が離れていくのがわかる。家に泊まって酔っぱらって言いたい放題。庭でのパーティ場面では、メアリーが赤ちゃんの前で煙草を吸おうとし、一斉にみんなが離れていく。冬のパートでは、予告もなく家にやってきて勝手に上がり込み、夫婦が息子たちと家族で過ごしたい日に居座ってしまう。映画が終わって残るのは、トムとジェリー夫妻の幸せよりもメアリーへの嫌悪感。それ故にすっきりしないラストに今ひとつ満足できなかった。そして思うのは、邦題の「家族の庭」に感ずる違和感。友人たちと家族の様に過ごす庭というイメージでは決してない。かといってトムとジェリー夫妻の幸せは庭に象徴されているとは思えないのだが。

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深く静かに潜航せよ

2012-10-01 | 映画(は行)
■「深く静かに潜航せよ/Run Silent, Run Deep」(1958年・アメリカ)

監督=ロバート・ワイズ
主演=バート・ランカスター クラーク・ゲーブル ジャック・ウォーデン ブラッド・デクスター

戦争映画の中でも潜水艦ものには秀作が多いイメージがある。フランス映画なら「海の牙」(1946)、ドイツ映画なら「Uボート」(1981)、アメリカ映画なら「レッド・オクトーバーを追え!」(1990)。狭い艦内の空間、ソナー音や計器、潜望鏡でしか知ることができない外の様子、深海に飲み込まれるかもしれない恐怖。潜水艦という舞台だからこそ描かれるドラマがある。ハリウッド黄金期に製作されたこの「深く静かに潜航せよ」も潜水艦ものを代表する秀作だ。

日本の駆逐艦に潜水艦を沈められたリチャードソン(クラーク・ゲーブル)は、新たな艦に配属された。そこには兵士たちに次期艦長にと慕われるブラッドソー(バート・ランカスター)がいた。厳しい訓練を課すくせに、敵艦を目の前に攻撃を加えないリチャードソンにブラッドソーら部下は不満を抱いていた。ある日遭遇した駆逐艦モモを訓練を重ねた戦法で勝利したことから、兵士たちの士気は高まった。だが、リチャードソンは当初目的地としなかった豊後水道に進路をとるように命ずる。自分を沈めた駆逐艦アキカゼに復讐するために・・・。

今と違って特撮が発達している訳ではない時代。映画前半で潜水艦が見える場面は洋上を浮上して航行する場面だけである。映画後半の戦闘シーンで初めて水中を航行する姿が映し出される。駆逐艦が放った爆雷に耐える場面と、日本軍の潜水艦との息詰まる攻防の場面。それがチープと言われれば仕方ないが、この映画の魅力は何と言っても艦内での人間ドラマだろう。クラーク・ゲーブルがまるで「白鯨」のエイハブ船長のような執着心をみせ、例え部下に嫌がられても信念を貫こうとする姿はかっこいい。一方で兵士たちを守ろうとするバート・ランカスターの正義感は実にスマート。それでも次第に上官を理解し、戦果を挙げるクライマックスには感動させられる。壁に貼ってあるセクシーな女の子の尻をさわるのが縁起担ぎという場面もなかなか楽しい。特撮なんかなくたって、戦争アクションは撮れる。さすがは名匠ロバート・ワイズ。それにしても、きちんと原題の意味が伝わる邦題がいいね。今はこういう気の利いた邦題がないもんね。



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