Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

そして誰もいなくなった

2023-02-08 | 映画(さ行)

◼️「そして誰もいなくなった/And Then There Were None」(1945年・アメリカ)

監督=ルネ・クレール
主演=バリー・フィッツジェラルド ウォルター・ヒューストン ルイス・ヘイワード

アガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」1945年の映画化。第二次大戦中、フランスの名匠ルネ・クレール監督がハリウッドに渡って撮った作品。当時のフランスは親独ヴィシー政権の時代。「パリの屋根の下」「自由を我等に」などフランス映画の名作を撮ってきたクレール監督は国籍剥奪されてしまう。これも歴史。

孤島に集められた10人の男女が、過去の悪行を明かされ一人ずつ殺害されていくお馴染みのストーリー。最近観た2015年製作のBBCドラマ版は悲壮感と緊迫感で息が詰まりそうだった。それと比べると全体的にライト
タッチで、ところどころユーモアある描写を挟む余裕すらある。この作風は明るい作品が多いクレール監督らしさなのだろう。

それでも死体が次々に見つかり、追い詰められ、互いを信じられなくなる様子は説得力があり無理がない。昔の映画だし、明るさが持ち前の監督だから、死体を仰々しく見せることはなく、舞台劇ぽさもある。猫が戯れていた毛糸玉の糸を辿ると遺体の手が見えたり、死体の足先だけ見えているのになかなか気づかなかったり。斧で死んだ遺体は見せない。この物語を90分以内で収めているのは見事だが、人間模様を深く掘り下げたものが好みなら前述のBBCドラマ版がオススメ。

「我が道を往く」の老神父役が忘れがたいバリー・フィッツジェラルド、「レベッカ」の怖いダンヴァース夫人が有名なジュディス・アンダーソンなど名脇役のいい仕事。この連続殺人が続く陰惨な物語を、あっけらかんと締めくくるラストシーンには唖然とするが、これも監督の持ち味だ。





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ニキータ

2023-02-06 | 映画(な行)

◼️「ニキータ/Nikita」(1990年・フランス)

監督=リュック・ベッソン
主演=アンヌ・パリロー チェッキー・カリョ ジャンヌ・モロー ジャン・ユーグ・アングラード

リュック・ベッソンが日本で知られるようになった頃は、フランス映画の新しい波"ヌーヴェルヌーヴェルヴァーグ"と呼ばれた映画作家たち、レオス・カラックスやジャン・ジャック・べネックスらとひとくくりで紹介されていた。型破りな「サブウェイ」もあったけど、「グレート・ブルー」の映像美と作家性で語られることが多かった時期だったし。

90年にベッソンが放った大ヒットが「ニキータ」だ。フランス映画には珍しい激しいアクション、スタイリッシュな映像に世間が沸いた。そしてアクションが話題の映画なのに女性客が多いと、当時伝えられていたのを覚えている。

ハリウッド映画で見られる天下無敵なレベルの戦うヒロイン像とは違って、もっと個人的なレベルで成長するヒロイン像が示される。そもそも主人公は麻薬中毒のストリートギャングの一人。警官殺しに関わったことがきっかけで国家組織の下で働く暗殺者となる。その大きな転身には、暗殺者としての教育、訓練が科される。指導するのは「狂気の愛」のチェッキー・カリョ。

それだけでなく女性としての魅力を高める術をも学ぶ。その指導役として現れるのがジャンヌ・モローというキャスティングが素晴らしい。女性の生き方や恋愛観について数々の名言を残してきた人だけに、そのパブリックイメージが役柄に説得力を与えてくれる。リメイク版の「アサシン」でアン・バンクロフトがキャスティングされたのも見事な人選だ。そうした指導の下でジャンキーの小娘は華麗な仕事人として開花する。女性客の変身願望をくすぐらずにはおかない。

そして映画後半、ニキータと名乗ることになったヒロインは恋愛と仕事の間で苦悩することになる。それはスクリーンのこっち側の僕らの共感にもつながる。個人レベルの成長と葛藤がある。この映画のキャッチコピー。
「泣き虫の殺し屋、ニキータ」
「凶暴な純愛映画」
女殺し屋をこんなに身近に感じさせる宣伝文句が他にあるだろか。そして本編はヒロインが戦うだけじゃない。血の通った一人の人間のエンターテイメントに仕上がっている。






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シンドラーのリスト

2023-02-02 | 映画(さ行)

◼️「シンドラーのリスト/Schindler's List」(1993年・アメリカ)

監督=スティーブン・スピルバーグ
主演=リーアム・ニースン ベン・キングズレー レイフ・ファインズ

この映画は、幻想を追いかけてきたかつての映画少年スピルバーグが、現実を撮れる巨匠となった作品だ。それを大スクリーンで味わえたのは、映画生活の中でも貴重な出来事だと思えた。

「E.T.」や「オールウェイズ」なような幻想(ファンタジー)、「インディ・ジョーンズ」「フック」のような冒険(アドベンチャー)、「未知との遭遇」「ジョーズ」のような未知なるものとの対峙。それらは、銀幕に映し出された夢の中に僕らをグイグイと引き込んでくれたけれど、そこに現実を思い知らせるドラマは希薄だった。賞取りを狙ったと評された「カラーパープル」や「太陽の帝国」にも、どこかファンタジーを思わせる瞬間があった。それはそれで僕は好きだったけど、作風が合わない人も演出の巧さが鼻につくと毛嫌いする人もいただろう。

「シンドラーのリスト」が他の作品と大きく違うのは、スピルバーグにとって初めて史実に基づく"事実"の映画化ということだ。いくらファンタジックな演出を取り入れても、スクリーンの外側にはオスカー・シンドラーがやってきたことが歴史に刻まれている。多くのユダヤ人を救った事実は、映画とは違うところで感動させるに足るものだ。

多くの実話映画化作品は、その出来に多少の難があっても、スクリーンの外側の事実で感動させてしまいがちだ。現実という予備知識だけで、観客は泣く準備が整っている。その事実をいかに見せるのか、人物像や出来事をいかに語り尽くせるのかが映画化の肝。

「シンドラーのリスト」は、セミドキュメンタリーを思わせる手法で僕らを引きつける。それまで幾度も映像化されてきたホロコーストという歴史上の出来事を、スピルバーグはこれまで培った表現力で、そこにいるかのような臨場感を見せつけた。決して忘れてはいけない虐殺の歴史を再認識させる。

一方で、金儲けしか興味のなかった主人公オスカーが、現実を目にして人間として目覚めていく姿。ユダヤ人を殺すことに快楽を感じていたドイツ軍将校が一人の女性にそれまで経験したことのない不思議な感情を抱く姿。残酷な現実の中で、実に人間味のある登場人物がいる。オスカーを決して清廉潔白な偉人とせず、レイフ・ファインズが演じたドイツ将校を極悪非道なだけの人物にしなかった。それまでのスピルバーグ作品にはなかった人間ドラマだ。車を売ればあと何人か救えたと嘆くオスカーに、ここまで人間は変われるんだと涙した。





コメント (2)
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