Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

OL百合族19歳

2023-05-13 | 映画(あ行)

◼️「OL百合族19歳」(1984年・日本)

監督=金子修介
主演=山本奈津子 小田かおる 久我冴子 山本伸吾

サービス終了となるGyao!を3月中に使わないと…あれこれ検索して、またにっかつロマンポルノに手を出すの巻。実は U-NEXTで観られることに今さら気づく💦。ともかくGyao!ありがたう。

山本奈津子好きで「セーラー服百合族」1作目は観たけど、これは観たことなくって!。公開当時、君は高校生だったでしょ!って鋭い指摘はしないでください。(1作目を観た経緯は「セーラー服百合族」レビューを参照)。

高校卒業後、再会した二人は、同じ会社の別の部署で働くことになり一緒に暮らし始める。社会人になれば生き方や行動を変えなければと気持ちが揺れる。なおみは結婚を見据えた男性との付き合いを考えるようになり、美和子は学生時代と同じようになおみとイチャイチャしていたい。なおみが思いを寄せている営業課の男性が振り向いてくれるように、美和子が世話を焼いたことから、なおみは結婚へと行動を移す。第1作と同じく、美和子は置いてけぼりで、冴えない男子に言い寄られる展開に。

監督は那須博之から、平成ガメラシリーズの金子修介にバトンタッチ。那須監督は、お年頃の煮え切らない気持ちや輝きをフィルムに収めた。本作では、大人になろうとする彼女たちと、何かとめんどくさい大人の世界が描かれる。生き方に悩んで迷子になってしまいそうな二人。金子修介監督は、冴えない童貞ボーイや左遷にあった美和子の上司を絡めて、ロマンポルノ特有のどよーんとした雰囲気にせず、楽しめる作品に仕上げている。コピーマシンが唸りをあげる濡れ場もあれば、まゆみと美和子が抱き合う幻想的な美しいシーンもある。

ラストシーンのウェディングドレス姿で教会から逃げ出す二人。ダスティン・ホフマンの「卒業」かよ🤣と笑っちゃうけど、二人の表情はとにかく明るい。
「どこまでも逃げるよ!二十歳まであと1年あるんだもん!」
逃げられた新郎の腕にそっと手を絡める同僚元カノ、美和子と抱き合って自殺を思いとどまる上司。無軌道な二人はそれでも誰かを幸せにしているのだ。きっとモニターのこっち側の僕らも😊






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

揺れる大地

2023-05-11 | 映画(や行)

◼️「揺れる大地/La terra trema: episodio del mare」(1948年・イタリア)

監督=ルキノ・ビスコンティ
主演=アントニオ・アルチディアコノ ジュゼッペ・アルチディアコノ アントニオ・ミカーレ

40年代から50年代のイタリア映画には、現実主義的な作風のネオリアリズモと呼ばれる作品群がある。「無防備都市」や「自転車泥棒」と並んで代表作の一つとされるのが本作「揺れる大地」である。ロベルト・ロッセリーニも俳優の演技に頼らず、現地の住民を起用することで知られているが、本作のルキノ・ビスコンティも同様の手法で撮った。

貧しい漁民一家が仲買人に搾取される状況から自立への希望を抱く。市場に自ら競りに行くが騒動を起こして逮捕されてしまう。釈放された主人公は、借金をして加工業を始める。しかし…。

ネオリアリズモ作品がハッピーエンドになるはずもない、という予備知識があって観た。それでも、どうしてここまで彼らを追い詰めるのか、と悲しくて仕方なくなる。貧しい生活をドキュメンタリータッチで撮っていて、モノクロの映像生々しい。元々貴族階級のビスコンティ監督だから、ほんとうにその痛みを理解して撮ってるのだろうかと勘繰ってしまった。でも、とことん気持ちが落ち込む話を見せられて、エンドマークを迎える「自転車泥棒」とは違って、ちょっとだけ希望が見えるラストシーン。それでも海に向かっていく姿が心に残った。

日本では1990年初公開。助監督はフランコ・ゼフィレッリとフランチェスコ・ロージ。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エルビス・オン・ステージ

2023-05-09 | 映画(あ行)

◼️「エルビス・オン・ステージ/Elvis : That's The Way It Is」(1970年・アメリカ)

監督=デニス・サンダース
主演=エルビス・プレスリー ジェームズ・バートン チャーリー・ホッジ

中学生の頃。自宅の棚の上に古いシングルレコードが縦に詰め込まれた箱を見つけた。中には50-60年代映画の主題曲やらダンス音楽やらカスケーズ「悲しき雨音」やら。映画好きになりかかった頃だったし、音楽はオールディーズに何故か興味をもっていたから面白くなってあれこれ漁って聴いていた。そこにあったのが、赤い背景にギターを持った男性がジャケットに描かれたレコード。曲名は「ハウンドドッグ」、B面は「冷たくしないで」。エルビス・プレスリーである。

「あ、それ私のよ」
振り向くと母がいた。普段とても穏やかな人だから、(当時としては)けっこう激しいのを聴いていたことに驚いた。だって台所で奥村チヨの「終着駅」を口づさんでる姿しか見ていないんだもの。
「プレスリーと大川橋蔵の映画は、ほとんど映画館で観てるわよ。」
母は筋金入りのプレスリーファンだった。僕の音楽鑑賞のルーツを遡ると、ビートルズは父親に、プレスリーは母親に仕込まれたようなものだ。

エルビスの主演映画はレンタルビデオでいくつか観たが、ライブ映像をじっくり観る機会がなかなかない。大人になってから、BSで放送された「エルビス・オン・ステージ」を鑑賞した。1969年にラスベガスで催されたコンサートのドキュメンタリー。ステージアクションにバンドメンバーがいちいち反応する。合唱隊かと思える人数のバックコーラス。一座を従えているビッグスター。豪華な舞台。

中学生の頃エアチェックしたカセットで散々聴いた曲が次々に流れる。代表曲はもちろん素晴らしい。中でもSuspicious Mind、Polk Salad Annieの熱唱が心に残った。サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」も、エルビスが歌うとこんなに力強い曲になるのか。

60年代半ば以降、アメリカ音楽界は英国の侵略(ブリティッシュ・インベーション)の真っ最中。それでもチャートの上位に食い込むヒットを飛ばし続けていたのはエルビスだった。この映画でエルビスのステージを見つめる人々の眼差しと拍手。アメリカ音楽界でのエルビスの存在の大きさを見せつけられた気がした。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の奴隷になりなさい

2023-05-07 | 映画(わ行)

■「私の奴隷になりなさい」(2012年・日本)

監督=亀井亨
主演=壇蜜 真山明大 板尾創路

 観てしまった・・・だって、気になって仕方ないんだもん(開き直り)。正直なところ。壇蜜が世に出てきたとき、あぁまた自分を安売りしている女性が・・・と僕は思った。その頃、グラビアアイドルたちは壇蜜の登場で過剰な露出を求められることが多くなったと迷惑がり、世の女性タレントさんたちもやれ下品だとかお下劣だと批判した。確かに過剰なグラビア写真は刺激的で魅力的だが、その多くは男子の好奇心と情に訴えるものだった。彼女の発言や記事、ドラマの脇役での印象的な表情を目にするにつれてだんだんと印象が変わってきた。彼女の発言には人を誘惑する言葉というよりも、人の心に訴える魅力や気遣いがある。心をとらえて放さない魅力がある。単にお綺麗な女性というルックスだけでない。確かに連日マスコミで取りあげられる彼女は、やり過ぎな露出過剰な女の印象だ。だけどビジュアルだけで彼女に夢中になっているのはもったいないと思えてきたのだ。そんな壇蜜が初めて主演した映画がこの「私の奴隷になりなさい」。

 主人公"僕"は転職した新しい職場で綺麗な年上の女性に出会う。彼女は既婚者だが、夫は大阪に単身赴任中。女性にはいささか自信をもつ"僕"は、彼女に執拗に近づいていく。ところが、ある日彼女からストレートな誘いのメールが届く。言われるがままについて行くと彼女はビデオカメラを渡して、行為の間、自分の顔を録画しろと言う。不思議に思いつつも従った"僕"。実は彼女には秘密があった・・・。

 僕は女性がいたぶられる映画が大嫌いだ。例えば団鬼六もの。杉本彩の「花と蛇」はテレビの前で「もうそのくらいにしてやれよー!」と叫びそうになったし(でも停止ボタンを押せなかった・笑)、坂上香織(大好き!)の「紅薔薇夫人」はハードな場面を心から楽しめなかった。それらはあくまで男性目線の願望(欲望)むき出しの作品。本作「私の奴隷になりなさい」は、彼女が"先生"と呼ぶ男(板尾創路、役得!w)による性調教のお話だから、同じように縛られもするし弄ばれもする。しかし根本から違うのは、女性側の目線からもその行為を描いている点だ。「私を先生の奴隷にして」と口にする程にのめり込んでしまった彼女だが、自分が快楽を知ることでそれまでの自分から解き放たれたこと、そしてその歓びを教えてくれた"先生"に対するある種の恋心。壇蜜がいろんな表情をみせてくれる映画。酒場で"先生"と出会ってからだんだんと、その表情も容姿も綺麗になっていく過程が面白い。

 僕がグッときたのは"先生"が"僕"に言う「ゴーリーよりフランシス・ベーコンになるべきじゃないのかね」という台詞。映画の前半で、出版社に務める"僕"は、ダークなファンタジーを描くエドワード・ゴーリーの不気味な絵が好きだ、と言っている。

しかし"先生"は不気味な絵に惹かれるように、未知の秘密やおぞましいことを垣間見るようなことよりも、フランシス・ベーコンの絵のように内面の欲望を自らさらけ出すことが必要なのではないのか、と言うのだ。

そういう意味では性の奥深さを主人公が垣間見るスタンリー・キューブリック監督作「アイズ・ワイド・シャット」に近いものを僕は感じた。「アイズ・ワイド・シャット」では、ニコール・キッドマンがうちひしがれた主人公に「ファックするしかないでしょう」と言い放つ。しょせん男と女はそこなんだ、とキューブリックは僕らをあざ笑うのだ。「私の奴隷に~」のラスト、秘密のすべてを知ってしまった"僕"に、彼女は静かに言う。
「それでもまだ私のことが好きなの?。だったら、私の奴隷になりなさい。」
エンドクレジットの主題歌まで壇蜜が歌う大活躍の映画。このひとことは"僕"に向けられただけでなく、銀幕の前でドキドキしている僕らにも向けられているのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホット・ロック

2023-05-07 | 映画(は行)

◼️「ホット・ロック/The Hot Rock」(1972年・アメリカ)

監督=ピーター・イエーツ
主演=ロバート・レッドフォード ジョージ・シーガル ロン・リーブマン ポール・サンド

ロバート・レッドフォードの引退作「さらば愛しきアウトロー」が昔からの映画ファンにグッとくるのは、「明日に向かって撃て!」のサンダンス・キッドや「スティング」、この「ホット・ロック」などで数々の犯罪者を演じてきたからだ。でもレッドフォードが演じた美男の犯罪者は、根っからの悪党でもなく、人情やユーモアがあって仲間思いで憎めない。「ホット・ロック」ではスゴ腕なんだろうけれど、胃潰瘍の一歩手前で薬飲んでるキャラクターが身近な人間味を感じさせて好感。

「ホット・ロック」で演じた主人公は出所したばかりの盗みのプロフェッショナル。錠前破りである義理の弟から、ブルックリンの美術館に収められたダイヤモンド"サハラの石"を盗み出す仕事を持ちかけられる。警備員に化けて忍び込んだが、仲間の一人が捕まってしまう。彼は捕まる前にダイヤを飲み込み、留置された警察署に隠した。彼らはヘリコプターで警察署に乗り込むが…。

スマートに盗みが実行されたかと思えば、思わぬ事態で危機に陥り、ダイヤの行方をめぐって、ストーリーは二転三転。厳重に警備された貸金庫に預けられたダイヤにいかに近づくかが、クライマックスの見どころとなる。地下を掘り進むでもなく、変装するでもなく、まさかの催眠術😵‍💫を使うのが楽しい。この軽妙さで映画の好きずきが分かれるところかもしれない。でも"アフガニスタンバナナフロント"って呪文のおかしな響きがなーんか楽しくって僕は許せてしまう。

ラストシーンにつながる銀行を出てニューヨークの街をレッドフォードが一人歩く場面。それまで地味だったクインシー・ジョーンズの音楽が、少しずつ華やかになっていく。主人公がジワジワと高揚感を感じていく様子。歩くだけの演技に音楽が彩りを与える。劇伴のお手本と言ってもいい場面。

2001年の同時多発テロで崩れ去る世界貿易センターのツインタワーが、まだ建設中の建物として撮影されているのは貴重な映像。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キングコング対ゴジラ

2023-05-05 | 映画(か行)

◼️「キングコング対ゴジラ/King Kong vs Godzilla」(1962年・日本)

監督=本田猪四郎
主演=高島忠夫 佐原健二 浜美枝 若林映子 藤木悠

初めて映画館で一人で観た映画って何ですか。

僕は小学生の頃、1977年春の「東宝チャンピオンまつり」で観た「キングコング対ゴジラ」だった。
😫「ゴジラとキングコングやぞ。観たい。連れてけ」
😾「忙しい。金渡すから一人で行ってこい」
そう親に言われて地元の東宝へ。チケット買う時に「お父さんやお母さんは?」とか尋ねられないだろうかとドギマギ。お子ちゃまには大劇場がものすごく広く感じられて、どこに座ろうとキョロキョロ。併映は「巨人軍物語 進め‼︎栄光へ」「円盤戦争バンキッド」「まんが日本むかしばなし(桃太郎)」「ヤッターマン」。正直言うと、ヤッターマン2号アイちゃんの変身シーンを大画面で見られたことに異常に感動した(恥)。

さて。お目当てだった「キングコング対ゴジラ」。今回BS 12の放送でウン十年ぶりに観た。なにせ東宝チャンピオンまつりは短縮編集版だから初めて目にする場面やら、こんなんだっけ?と思うことあれこれ。子供心に強烈に残っていたのは、南の島人たちの歌声。
♪あーしーあのらい、あせけーあのらい
大劇場の暗闇、お子ちゃま一人であれを聴くオープニングに、なんか心細い気持ちになったのを思い出した。

二大怪獣の出現に右往左往する人間たちの姿も描かれるけど、あの手この手で応酬する初期の昭和ガメラよりもどこか残念な感じがするのは何故だろう。北極の氷山からゴジラが登場していきなり砲火が浴びせられるけど、そんな軍事基地が近くにあるもん?平田昭彦ら科学者の意見もなんか投げやりに聞こえるし、クライマックスでキングコングがパワーアップするくだりも強引にしか思えない。こんなんだっけ?パシフィック製薬の有島一郎部長を中心としたコメディパート、高島忠夫と藤木悠のお気楽ムード。ゴジラ第3作にしてここまでゴジラ=核の脅威の色彩が薄まっていたのか、と改めて思う。

キングコングが浜美枝を握って国会議事堂に登る場面は、オリジナルへの敬意の表れ。浜美枝と若林映子の「007は二度死ぬ」ヒロイン揃い踏み。この辺は加点要素😊。そもそもはパシフィック製薬がスポンサーをするテレビ番組の視聴率稼ぎから始まった騒動。企業名の冠がついたテレビ番組の裏側では、今もこういうすったもんだがあるんだろうか。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トランザム7000VS激突パトカー軍団

2023-05-03 | 映画(た行)

◼️「トランザム7000VS激突パトカー軍団/Smoky And Bandit Ride Again」(1980年・アメリカ)

監督=ハル・ニーダム
主演=バート・レイノルズ サリー・フィールド ジャッキー・グリーソン ジェリー・リード

バート・レイノルズ主演のヒット作「トランザム7000」の続編。70年代後半から80年代前半に自動車映画のヒット作を連発したハル・ニーダム監督による、長距離追いかけっこムービー。

トラックドライバーの名コンビだったスモーキーとバンディットに、再びテキサスの大富豪イーノス親子から荷を運ぶ依頼がくる。酒びたりになっていたバンディットを復活させるべく、スモーキーは前作のヒロイン、キャリーを呼び寄せる。かくして3人は依頼のあった積荷を確認すると、これがとんでもない"大もの"だった。彼らを追いかけるのが、バンディット逮捕に執念を燃やす保安官と、キャリーのフィアンセである息子。

積荷を運ぶトレーラーと追っ手を撹乱するためのスポーツカーのコンピ。ファイアーバードトランザムの勇姿が自動車好きにはたまんないんだろう。

映画全体を覆うのほほーんとした空気と、追いかけっこの緊張感のなさ。ウン十年ぶりにBSで再鑑賞したが、やっぱり途中からだんだんダレてくる。いつ積荷に餌をあげてるの?荷台にお医者さん載せて疾走って、大丈夫なの?そんなヤボなツッコミはしないけど、追い込まれている感じが全く伝わらないから、ただの移動にしか見えない。

初めて観たのは中学生の頃で、名作「ブルースブラザース」と二本立て。どちらもクライマックスで多くの車がクラッシュする映画ではあるけれど、破壊される車の数で観客を圧倒する映画にしか見えなかった。見たいのは遊園地を破壊する大げさなギャグじゃなくて、華麗なカースタントだと思うのだ。

救急車から放り出されたストレッチャーが道路を疾走するのを見て「ニッポンの新型車か?」とのひと言に、当時のニッポンのイメージがチラリ。身体を鍛えなおしたバンディットが「シュワルツェネッガーに間違われる」。日本語吹替の台詞をわかりやすくするためにわざとそうしたのか?。それとも製作当時からボディビルダーとして有名だったんだろか?



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

死と処女(おとめ)

2023-05-02 | 映画(さ行)

◼️「死と処女(おとめ)/Death And The Maiden」(1995年・アメリカ)

監督=ロマン・ポランスキー
主演=シガニー・ウィーバー ベン・キングズレー スチュアート・ウィルソン

限られた狭い舞台で進行するお話を撮ると、ロマン・ポランスキー監督は俄然本領を発揮する。ラスト以外カメラが外に出ない「おとなのけんか」にしても、劇場内が舞台となる「毛皮のヴィーナス」にしても、ユダヤ人ゲットーと廃墟が舞台の「戦場のピアニスト」にしても、「ローズマリーの赤ちゃん」「反撥」にしても、世間から評価されてる作品をはそうした傾向があるように思う。広大な景色をイメージする監督作って「テス」くらいじゃなかろうか。舞台劇の映画化には向いてるのだろう。この「死と処女(おとめ)」も元々は舞台劇。

嵐で電気も電話も使えない一軒家。シガニー・ウィーバー演ずる妻は精神的に不安定な様子。そこへ夫が帰宅する。弁護士である夫は発足して間もない民主化政権の元で、過去の独裁政権下での人権侵害を調査する委員会に抜擢された。妻は新政府を信用できずにいて、夫が政府側の仕事に就くことを許せない。夜更けに夫が懇意にしている医師がやってくる。隣室で二人の話し声を聞く妻。彼女に忌まわしい過去の記憶が蘇る。かつて反政府活動をしていた彼女は捕らえられ、目隠しをされて拷問された。夫が話している声の主は、シューベルトの「死と処女」を流しながら自分を辱めたその男の声…。

登場人物は3人だけ。台詞中心で進行するまさに舞台劇調の作品である。映画後半は、ギリギリの精神状態の妻がどんな行動に出るのか予測できず、ハラハラさせられる。「赤い航路」でも夫婦間に潜む謎が描かれたが、本作でも然り。深刻なテーマにも引き込まれるし、役者の熱演も見応えがある。でも狭い舞台を撮る映像の工夫があまり感じられず、力作だが他の代表作ほど魅力的には思えなかった。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする