ステージおきたま

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コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

注目「京大有志の会」声明、中でも共感する部分

2015-07-20 09:53:33 | 世の中へ

 安部政権の無理無体への反発、当然だ。心惹かれる動きがたくさん出てきた。若者たちの直接的な意思表示の動きとか、ネットプリントのプラカードとか。重苦しい流れの中で、ちょっぴり希望を感じさせる動きが続いている。

 中でも、「自由と平和のための京大有志の会」http://www.kyotounivfreedom.com/の声明文、これはいい。わかりやすく、的を射た表現だし、人の心に訴えかける力を持っている。人間、心を揺さぶられるのは、論理じゃないんだ。イメージなんだ、詩の言葉の持つ喚起力なんだ。引用させてもらう。

戦争は、防衛を名目に始まる。
戦争は、兵器産業に富をもたらす。
戦争は、すぐに制御が効かなくなる。

戦争は、始めるよりも終えるほうが難しい。
戦争は、兵士だけでなく、老人や子どもにも災いをもたらす。
戦争は、人々の四肢だけでなく、心の中にも深い傷を負わせる。

精神は、操作の対象物ではない。
生命は、誰かの持ち駒ではない。

海は、基地に押しつぶされてはならない。
空は、戦闘機の爆音に消されてはならない。

血を流すことを貢献と考える普通の国よりは、
知を生み出すことを誇る特殊な国に生きたい。

学問は、戦争の武器ではない。
学問は、商売の道具ではない。
学問は、権力の下僕ではない。

生きる場所と考える自由を守り、創るために、
私たちはまず、思い上がった権力にくさびを打ちこまなくてはならない。

 どれもが納得できる文章で諸手を挙げて賛成だが、中で、そうだよ、そこそこ、学者として学生として、そこは避けて通れないよな、って感じたのが、「学問は、商売の道具ではない。」という部分だ。

 大学から人文系の学部を抹殺しようとしている今の政府、なんとそこまで来たのか!の思いを強く感じていた。文学部、社会学部、経済学部、・・・これらは世の中の役に立たないから、不要!って、おいおい、なんと底の浅い、文化に対する理解なんだ。役に立つ立たない、って考え方も低俗ながら、その基準は、富の蓄積、要は儲かるかどうかってことなんだから、もう、大阪商人の、もうかりまっか?精神で世の中すべて切って捨てようってのかい?開いた口がふさがらない、どころか、飲んだ息が喉の奥で凍り付く!

 政治家がいけしゃーしゃーとこんな暴論を吐いても、反発も反撃も起こらない。社会全体が、金、金、金の世の中になっちまったってことだ。以前は、経済界の代表なんていったって、所詮は利益追求の旗振り役、世の主役なんぞではあり得なかった。社会における人間的価値は金や資本とはあきらかに別の所にあった。その価値を体現するのが学問であり学者だった。芸術家や文化人もそうだ。役に立たないことでも大切なことはたくさんある。俗人に理解不能でも高貴な事柄はいっぱいある。それが、世の人々の暗黙の了解だった。そんな孤高の研究や精進が、長い射程を超えて社会や人間の道しるべとなっていた。

 それが今じゃ、今そこにある危機、今眼前にある利益、今手に入る儲け、だけが目的となった。しかも、そのいびつさに気付かない!当の大学関係者でさえも!!

 政府の無知蒙昧の文系廃止の方針に対して、国立大学で異を唱えたのはわずかに2校に過ぎなかったという。さすがに学部の廃止を検討しているところはなかったようだが、統合も含めカリキュラム内容の大幅改編を検討中だそうだ。それも、資格取得とか、IT技術力とか、就職ですぐに役立つ専門学校的技術が中心。理由は、文系卒業生の就職難と、文科省からの予算削減圧力だという。

 世の中衰亡の奈落へ転がり始めている。だからこそ、声明文の中の「学問は、商売の道具ではない。」の一文をもっともっと声を上げて叫んでいかなくちゃいけないんだと思うんだ。人生は、商売ではない。

 

 

 

 
コメント
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