ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

追われる!

2015-07-25 13:38:57 | アート・文化

 結婚披露宴、もうすぐ始まろうっていうのに、お祝いの包みができていない。商店街を必死で探して飛び込んだ文具店。何故か祝儀袋が見あたらない!対応に出た店主は、こちらの要望を端から無視して、勧めるのは動物のイラストが描かれた色紙?!だから、お祝いはお金を包むのだからといくら説明しても、次から次と色紙を出しては包もうとする。時間刻々!ああ、もうダメだ、これじゃ間に合わない!!

 見慣れぬパン屋の作業場だ。何人か若い職人が立ち働いてる。どうやら、この日、この工場の仕切りをまかされているようだ。パン屋の場合、仕込み担当が仕事の流れを支配する。若手に指図してミキサーに材料を入れさせた、と思ったら、そこはオーブン!?小麦粉焼いてどうする!怒り心頭に達しながらも次の生地を仕込み、成形作業。やれやれ終わったと思ったら、発酵室に入れたはずの生地が、またまたオーブンに、・・・時間はどんと゜ん経過する。お店に陳列する品物を早く焼き上げねばと焦りに焦り、苛立ちに我を忘れる。

 こんな夢を二日続けて見た。当然、寝起きは悪い。ぐったりと疲れ果て、心も体も完全に打ちのめされて起きあがる気力もない。

 なんと正直な夢見じゃないか。追われ追われて必死で抗っている毎日がそのまま現れている。目の前には常に、仕事!いつでも課題!今現在なら、山形新聞日曜随想の原稿を書かなきゃいかん。菜の花座公演『お遍路颪』は一週間後に迫った。その翌日には子どもたちにごはんパン作りの講習があって、そのレシピの締め切りも明日だ。田んぼはまたまた草の強襲に苦戦を強いられている。除草作業しながら考えるのは、シニア4期生公演の台本のこと。さらにコント大会の新作コント。

 なんか、ずっと、こんな風に息せき切って突っ走ってきたような気がする。置農時代も、職場に農業に共生塾、あるいは菜の花座、常に三つは抱えてよたよた走り続けていた。余計なことできるのは手抜きしてるからだ、って思われたくなくて、人の嫌がる担任を23年間ぶっ通しで引き受けたり、演劇部では食育ミュージカルや演歌ショーを作って、休日といえばドサ回りに明け暮れたりした。

 まっ、完全な仕事中毒・ワーカホリックだな。常に目の前に、いや遙か数ヶ月先に、やることが待ち受けていないと不安になる。いや、違うな。不安に襲われる前に、すでに仕事を引き受けてしまっているわけだから。やれることなら、精一杯取り組もう、やれないことでも、全力で挑戦してみよう、こんな前のめりの姿勢で数十年、生きてきた。

 良くないのは、つまずきは何度もあったが、大こけしなかったことだ。初めての体験でも、シビアなスケジュールでも、やると決めたら突貫工事!なんとか完成にこぎ着けてきた。これがいけない。大失敗の経験がない。赤っ恥の体験がない。だから、今度もなんとかなる、きっと上手く行くって気軽に引き受けてしまうわけだ。

 その結果、日々追われ、時間に焦り、秒を刻んで苛立つことになる。安らかな休養であるはずの睡眠でさえも、追求と逃走の場になってしまう。なんてこっちや!

 のんびりと農作業を楽しみ、自然と語らい、読書に没頭し、グラス片手に好きな映画でくつろぐ、こんな暮らし、きっと、どこまで行っても無理なんだろう。いつも目の前にニンジンならぬ仕事をぶら下げ、それを目指して夢中で駆け続ける。だから、そこそこの仕事もこなせ、ますまずの力量も付いてきたんだと思う。いかん!これじゃいつまでたってもやっつけ仕事から抜けられんぞ!じっくり古典なんぞ読み込んで深く広い作品書かねば、って気持ちも時折わき上がってはくるのだが、結局、このパターン、仕事に追いまくられて必死で切り抜ける、この荒技、粗技を死ぬまで続けることになるのだろう。

 地獄でも、あっ、どうですか、コント仕立てで審問なんて、書きますよ。あっ、天国の方からも注文来てますから、1週間時間ください、とかって台本売り込みの営業してたりしてね。

 

コメント
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