ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

田舎体験、興味薄?

2015-07-21 08:26:12 | 暮らし

 田舎じゃ都市との交流、中でも都会の子どもたちの体験宿泊が盛んだ。高畠町でも、中学校の修学旅行生を迎える他、地域間交流のある墨田区の児童の受け入れもおこなっている。以前はこちらの子たちも墨田区を訪問し、都会生活を体験する相互交流だったが、今は、墨田の子どもたちだけがやってくる。息子も20年ほど前にお世話になったこともあり、我が家でも毎年お世話している。

 今年は、6年生の女の子二人が来てくれた。二泊の滞在だが、大人と違っておしゃべりしたり田畑を案内したりで時間を過ごすわけにはいかない。何かしら、子どもたちが喜ぶような、体験プログラムを準備しなくちゃならない。田舎の経験って言ったら、まず農業、次に自然、そして、手作りの食べ物だろう。

 蛍が見たい、夜の田んぼを散策して満喫。意外なのは、犬の散歩、そんなもん楽しいか?これがけっこう人気なんだな。都会のマンション暮らしじゃペット飼えないから。でも、こちらとしては、ぜひ農業を見知ってもらいたい。今回はジャガイモ掘りをやってもらった。文句言うこともなく感激するわけでもなく、淡々と作業をしていた。10mほど一列がほぼ精一杯だったけど。掘り上げたジャガイモでサラダやバター炒めを作って出してみたけど、こちらもさして感動する風もなく、一口二口で軽くスルー。

 食べることならきっと大喜びさ、と二日目の昼は手作りピザ。事前にこね上げて発酵させた生地を丸くのす所からやってもらった。これはさすがにおもしろがってやっていた。でも、いざトッピングとなると、驚いた!トマトソースを塗った上に、のせたのはソーセージだけ!ええーっ!?だめでしょ、それは!トマトとかタマネギとかピーマンとかバジルとか野菜たっぷりのせないと。ソーセージはファインの手作り、野菜もすべて自家製なのに、そんなことはとんと興味がない。野菜は好きじゃない、ただそれだけ。好き嫌いを押し通すような我が侭な子たちじゃなかったけど、明らかに、おつきあいで食べてます感が横溢していた。

 よし、それなら奥の手、ごはんパン作りだ。これなら身を乗り出して没頭してくれるに違いない。昨年来た千葉県の中学生女子なんか、大感動で最終日なんか涙のお別れだったから。翌朝の食卓にものせるつもりで、やや甘めの食パンとクリームパン、チョコレートパンを作った。農作業の後ってこともあって疲れてもいたんだろうが、こちらも空振り、せっかくおじさんがやってくれてるんだから、手伝ってあげなくとゃ!のスタンス。おいおい、別に、僕は作りたくなんてないんだよ。君たちが喜ぶと思って、・・・・・それでも菓子パン作りは楽しんでくれたようだ。中でも手作りチョコレートクリームには目が釘付け。余った分、食べていいよと言った途端、争ってなめ回し、鍋はきれいに空っぽになった。

 子どもたちの興味関心が長続きしないのは今に始まったことじゃないけど、以前は農作業でも2時間くらいは気持ちが持続した。今じゃ30分がいいとこ。手作りとか、自然と遊ぶなんてこともそんなとこ。時間があればゲーム機を取り出す。コンビニにお菓子買いに行っていいですか?なんか、子どもたちの好奇心とか暮らしぶりってのが、とっても薄っぺらになってきているような気がする。せっかくの未知なる体験が、日常の都会生活を圧倒できなくなっている。やれやれ、田舎と都会、年寄りと子どもたち、その隔たりは、どんどん大きくなっていくようだ。

 だからこそ、引き受けてあげなくちゃ!って気持ちもあるんだけど、やっぱ、疲れるよねぇ。

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注目「京大有志の会」声明、中でも共感する部分

2015-07-20 09:53:33 | 世の中へ

 安部政権の無理無体への反発、当然だ。心惹かれる動きがたくさん出てきた。若者たちの直接的な意思表示の動きとか、ネットプリントのプラカードとか。重苦しい流れの中で、ちょっぴり希望を感じさせる動きが続いている。

 中でも、「自由と平和のための京大有志の会」http://www.kyotounivfreedom.com/の声明文、これはいい。わかりやすく、的を射た表現だし、人の心に訴えかける力を持っている。人間、心を揺さぶられるのは、論理じゃないんだ。イメージなんだ、詩の言葉の持つ喚起力なんだ。引用させてもらう。

戦争は、防衛を名目に始まる。
戦争は、兵器産業に富をもたらす。
戦争は、すぐに制御が効かなくなる。

戦争は、始めるよりも終えるほうが難しい。
戦争は、兵士だけでなく、老人や子どもにも災いをもたらす。
戦争は、人々の四肢だけでなく、心の中にも深い傷を負わせる。

精神は、操作の対象物ではない。
生命は、誰かの持ち駒ではない。

海は、基地に押しつぶされてはならない。
空は、戦闘機の爆音に消されてはならない。

血を流すことを貢献と考える普通の国よりは、
知を生み出すことを誇る特殊な国に生きたい。

学問は、戦争の武器ではない。
学問は、商売の道具ではない。
学問は、権力の下僕ではない。

生きる場所と考える自由を守り、創るために、
私たちはまず、思い上がった権力にくさびを打ちこまなくてはならない。

 どれもが納得できる文章で諸手を挙げて賛成だが、中で、そうだよ、そこそこ、学者として学生として、そこは避けて通れないよな、って感じたのが、「学問は、商売の道具ではない。」という部分だ。

 大学から人文系の学部を抹殺しようとしている今の政府、なんとそこまで来たのか!の思いを強く感じていた。文学部、社会学部、経済学部、・・・これらは世の中の役に立たないから、不要!って、おいおい、なんと底の浅い、文化に対する理解なんだ。役に立つ立たない、って考え方も低俗ながら、その基準は、富の蓄積、要は儲かるかどうかってことなんだから、もう、大阪商人の、もうかりまっか?精神で世の中すべて切って捨てようってのかい?開いた口がふさがらない、どころか、飲んだ息が喉の奥で凍り付く!

 政治家がいけしゃーしゃーとこんな暴論を吐いても、反発も反撃も起こらない。社会全体が、金、金、金の世の中になっちまったってことだ。以前は、経済界の代表なんていったって、所詮は利益追求の旗振り役、世の主役なんぞではあり得なかった。社会における人間的価値は金や資本とはあきらかに別の所にあった。その価値を体現するのが学問であり学者だった。芸術家や文化人もそうだ。役に立たないことでも大切なことはたくさんある。俗人に理解不能でも高貴な事柄はいっぱいある。それが、世の人々の暗黙の了解だった。そんな孤高の研究や精進が、長い射程を超えて社会や人間の道しるべとなっていた。

 それが今じゃ、今そこにある危機、今眼前にある利益、今手に入る儲け、だけが目的となった。しかも、そのいびつさに気付かない!当の大学関係者でさえも!!

 政府の無知蒙昧の文系廃止の方針に対して、国立大学で異を唱えたのはわずかに2校に過ぎなかったという。さすがに学部の廃止を検討しているところはなかったようだが、統合も含めカリキュラム内容の大幅改編を検討中だそうだ。それも、資格取得とか、IT技術力とか、就職ですぐに役立つ専門学校的技術が中心。理由は、文系卒業生の就職難と、文科省からの予算削減圧力だという。

 世の中衰亡の奈落へ転がり始めている。だからこそ、声明文の中の「学問は、商売の道具ではない。」の一文をもっともっと声を上げて叫んでいかなくちゃいけないんだと思うんだ。人生は、商売ではない。

 

 

 

 
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こだわる心でレベルアップ

2015-07-19 14:06:03 | 演劇

 演劇の場合、客席から見える所にしか世界は存在しない。豪華な応接間であろうと、老舗旅館であろうと、あるいは場末のガード下であろうと、客席からそのように見えればいいのであって、裏側はどんなことになっていようと関係ない。そこで注意を払われるのは、装置の安定性と舞台の安全性くらいのことだ。だから、初めて舞台裏を見た観客は、そのギャップに感心すると同時に、なんだか騙されたような、一種やり所のない感情にとらわれる。芝居に再現された濃密なリアリティが、薄いベニヤ板数枚で支えられているなんて、できれば信じたくはない。

 観客が失望しようと落胆しようと、作る側としては、無駄なところに力を注ぐ必要はない。見える部分にはたっぷりこだわればいい。高校演劇の指導では、見えない面に色を塗ってたり、外に現れない仕事の丁寧さに満足していたりすると、自己満足してんじゃねえ!って怒ったりしたもんだ。菜の花座だって同じ事。今回の装置について言えば、葭簀の裏側は『マダム・アンコ』のパネルそのものだ。透けてみえたら暗幕張ればいい、そういうことだ。

 道具や衣装についても基本は同じこと、それらしく見えればそれでいい。大金持ちだからと言って、本物のブランド品で飾る必要なんかまるでない。それらしく、それっぽく!そこがねらい所だ。同じく『お遍路颪』では、お遍路さんが首から掛けている和袈裟、生地は畳の縁地だ。そう、それでよい。ところが、ここに付けられている組紐、これに担当者がこたわりを見せた。

 淡路結び、別名あわび結びとも言うそうだ。結び直しがきかない結び方ということで、一度きりのお祝い事や仏事用に用いられるものとのこと。この結び方が、和袈裟に使われていることを発見、ネットの画像を参考に、本物そっくり、いや本物に仕上げてくれた。演劇のそれらしく精神からすれば、そこまでこだわらなくても、ってことなんだが、実際に付けて見ると、畳の縁地も一気に本物の様相を呈してくるじゃないか。なるほど、なるほど!相乗効果ってやつだ。偽物だらけ、それらしいまがい物で見せる舞台でも、一点、本物を紛れ込ませると、どこか本物感がアップするってことだろう。役者に与える影響だって馬鹿にはできない。本物を身につけたり、手にしたりすれば、知らず知らず仕草も気品に満ちてこようというものだ。

 こだわりの心、本物を追求する精神、これを失うと、いつしか、適当なところで満足するようになっていくのだろう。まっ、そんなとこでいいんじゃない、いつの間にか、流されていたことに気付かせてくれた、こだわりの淡路結びだった。

 

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お粗末!自転車タイヤ交換

2015-07-18 14:38:33 | チャリダー

 さすがに4夜連日の夜間外出となると、疲れが溜まる。昨日は古くなったソーセージ、もったいないと無理矢理食べて食あたりもしたりして、今朝は満身だるさ充満、なんもしたくない、動きたくもない、こんな心身不調の時は、いつもやっていることをとりあえずやっておく、これが復調への近道。

 まずは、農作業だろうな。田んぼの除草がまだまだ先が長い、数日目を背けていたが、思い切って入ってみる。やっぱりなぁ、この数日の間にまたもっさりと繁っていた。やれやれ、さらに気が重くなる。おっといかん。転調のためのお仕事、お仕事。

 田んぼって面白いもんで、同じ田でも雑草の繁茂の仕方は場所によって随分ことなる。心をへし折られそうになった雑草優先地帯もどうにかやり過ごしたら、後は、比較的草の少ない部分が続いた。しめしめ!これでちょっぴり上昇傾向。1往復のつもりが、さらに片道やっつけて、戻れば昼過ぎになっていた。

 よしよし上向き加減、この調子さらに上げていけば、普段レベルには回復しそう。あと一息の回復薬、なにがいい?そうだ、自転車のタイヤ交換をしよう。1週間ほど前、ついにパンクしたらしく前輪がぺちゃんこになっていたので、なにはともあれアマゾンでスペアチューブを注文しておいたのだ。初めての経験だが、本を見ながらやればなんとかなるだろう。タイヤ交換なんて初体験作業、成功すれば一気に気分爽快、やる気全開間違い無しだ。よし、これだ、タイヤ交換!

 テキスト見ながら、まずは前輪を外す。誤ってクイックシャフトまで外してしまったが、まあ、そのお陰で構造がわかった、よいよい。

 次は、なになに、プラスチックのレバーを差し込みタイヤを少しずつはがして行く。

 一本目は入った。ところが2本目がなんとしても隙間に入らない。1本目の近くで、遠くで、あるいは反対側で試してみるも外れない。うーん、なんたることじゃ。こんなに難しいものなのか?自転車屋じゃちゃちゃっと済ませているではないか。ああだこうだと苦闘すること数十分。強引に引っ張って見ると、なんか、おかしい!中にチューブが入っているはずなのに、ない!タイヤのがわがぐるりと回っているみたいなのだ。

 こ、これは、もしかして、チューブレスタイヤってやつか?最近増えてきている、パンクしにくいタイヤ、て代物か?

 むりやり指を突っ込みチューブを探ってみる。やっぱりタイヤ一本だけ!ほんじゃなんなんだ、このぺちゃんこは?慌てて空気入れで空気を入れてみる。おお、なんと!元通りぱんぱんのぎちぎちタイヤに戻ったじゃないか!もう、なんなんだよ、ただ空気が抜けただけだったのかよ!てことは、せっかく買ったスペアチューブはまったくの無駄!

 もう、もう、もう!時間も浪費、お金も無駄使い!せっかく復調加減の精神状態が一気に奈落に転落した。

 残る回復手段は、このブログ書くことだけ、バカバカしい失敗談書いて、精神の安定を取り戻そう。そう言えば、以前もそれやって上手く行ったことあったっけ。今夜もまた菜の花座、稽古だし。

 

 

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豪雨地帯には悪いんだけど

2015-07-17 08:49:33 | 農業

 雨だ!しみじみと雨だ!心地よく雨だ!嬉しく雨だ!やったぜ雨だぁぁぁぁ!

 ほらほら、ぱっさぱさに乾いた畑にじわじわと染み込んでいくじゃないか。感じる!感じる!浸みわたるうるおいを。萎れかけたキュウリの葉っぱがぐいっと顔を仰向けたじゃないか。よし、生き延びた。撒いたニンジンも芽を出す準備が整った。ブルーベリーの水やりもお終いだ。

 ちょろちょろ水を奪い合ってた田んぼにも遠慮がちながら流れ込み、これでやきもきするのもひとまず回避。イネもすっくと立っている。

 もっと降れ!ざっざざっざと降れ!どしゃ降り上等!

 カエルだって、雨乞いしてたんだ。

 きっと今夜はカエルたちの大移動。でも、不思議だ。この時期雨が降るとカエルたちは必ず別の田んぼ?へ集団移動を開始する。それも夜中。だから、道路はカエルの轢死体で一杯。異なるDNAとの出会いを求めいるのか?

 などと、生き物たちの命に思いいたすゆとりも、雨降ればこそ。梅雨は鬱陶しい。長く続けば気も滅入る。だけど、やっぱり大切な自然の贈り物なんだ。豪雨が続く地方の人たちには申し訳ないが、台風の到来だって手招きしてしまうんだ。

 おいおい、止せよ!ニュースキャスター、てるてる坊主飾るのなんて!

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