ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

コント3連発!

2015-08-21 08:43:14 | コント

 コント台本、ともかく仕上げた。3本も!1日1本のペースで書いた。粗製濫造!?そうかもしれない。でも、仕方ない、公演までの期日が迫ってたから。期限は盆明け後最初の稽古日、てことはつまり18日。盆前は米沢芸文フェスティバルの仕事にかかり切っていたので、コントに取りかかったのはお盆の入りとともに。アイディア探り当てるのに3日、書気上げるのに3日、印刷に半日。そう、お盆期間は、すべてコントコントで日が暮れた、いや夜も更けた。

 なんで3本か?てーと、コント大会の出演者が少ないってことがある。あまり本意なことではないが、主催の菜の花座がボリューム出さざるを得ない。次なる理由は、10月初旬にオファーのあった、高畠町の老人会慰安アトラクション。これ強引に引き受けてしまったんだが、持ち時間が1時間。コントやるなら3本必要ってこと。もっとも、3本のうち1本は勤め人だけで演じるように作ってあるから、平日のこの舞台には出られない。となると20分ほど空きができるんだが、そこはなんとか色物でカバーかってことにしている。で、10月出演不可のグループは11月3日の町芸文祭に出てもらうことにした。ややこしいスケジュール調整の結果、コントは3本ってこと。

 菜の花座、今、新しい分野に踏みだそうとしている。それは出前公演を積極的に引き受けることだ。特に地域の老人会関係のイベントや小学生対象のコントをどんどん引き受けたいと思っている。出ればそれだけ名が売れる。生の舞台の魅力も伝えられる。地域に文化の風を吹き入れられる。地域の人たちに喜んでもらえる。団員たちの技量も上がる。そして、出演料も入ってくる。いいことばかりなんだなぁ。

 問題は、平日公演が主となることだ。勤め人が多かった以前ならとてもできない相談だった。シニアが大量に入ってきてこれが可能になった。まっ、年寄りのボランティア活動ってとこだ。だから、コントのチーム編成も、それを配慮してできている。ここで3本仕上げておけば、これからいろいろな地域からの要望にも応えていけるということだ。

 そうやって菜の花座を直に見る人が増え、その噂が家族に広がり、菜の花座の本公演にも興味を持ってもらえるようになれば、なんて深慮遠謀もある。台本として、やや物足りない部分はあっても、役者が何度も何度も演じることで舞台そのものは膨らみを増していく。役者も力を付けていく。コントは俄然面白くなっていく。

 これを始めると、本公演の稽古をしながらコントも、って併走方式になって、せわしないし、衰え始めたシニアにはなにかと負担も多くなるが、ちょっぴり過重な負荷は、人の能力を鍛え上げるはず。辛い厳しいに耐えて、新しい地平を開こうじゃないか。これ置農で実証済みだから。

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どうやら豊作の予感だが、・・・

2015-08-20 09:00:21 | 農業

 どの田も穂が出て、田んぼの彩りも、黄緑から黄色へと移り変わりつつある。この辺りで、なぜか一番早く出穂した我が家の田んぼ、雀の食料基地化して、ところどころ色が変わっているものの、まずは例年にない実りを予感させる色づきだ。雀よけしないの?って神さんは言うが、まっ、雀も生きなきゃならないし、我が家で雀たちの面倒みてやれば、他の田んぼは安泰なわけだからと、鷹揚に自己犠牲気取ってみたりもしているが、要は雀追いが面倒なだけ。まっ、全部食われるってわけでもないから、・・・

 うるち米はコシヒカリとヒトメボレの2種、ここに来てコシヒカリの生育が断然リードだ。これまで見たこともない見事な実りに近づいてるぞ。まず、背丈が高く驚く。楽々腰の高さを超えていて、この先穂が重く垂れると倒伏が心配だ。おっとまた出た稲作難解用語!倒伏、つまり腰砕けで倒れるってことだ。なんせ、コシヒカリはコケヒカリと異名をとるくらい倒れやすいイネなんだ。ぐいぐいと伸びて逞しい姿には感動するんだが、おいおい、そろそろいいんじゃないかそんな背伸びしなくたって!ってちょっとおろおろしたりもする。有効茎数、ってつまり穂が付いた茎の数ってことだけど、これも平均20本を越えていて、我が家のイネとしては破格の多さになっている。

 一方のヒトメボレも負けてはいない。もともと背丈は低い品種なので、コシヒカリの堂々とした体躯には見劣りするものの、その分茎数は多く、例年だと透けて見える株もとが、覆い尽くす稲穂でまったく見通せない。こちらもどうやら豊作のようだ。が、一転、水口に足を運ぶと、どうしたことだ!未だに真っ青、背丈もちんちくりんで、穂の出る気配とてさらさらない。しかも、そんな未熟児たちが、かなり遠くまで広がっているのだ。そりゃ、くみ上げの井戸水だから冷たいよな。水温12℃なんて冷水を毎晩かけられてれば、縮こまってしまうのも同情できるってもんだ。同じ田んぼなのに、出穂が1ヶ月近くも違う。まっ、そりゃ例年のことなんだが、今年はその差がさらにひどい。1ヶ月どころか、稲刈り時期になっても穂が出ないかもしれないって不安になるほどの生育遅れだ。

 同じ井戸水の冷や水かかりでも、コシヒカリの方は水口までほぼ穂が出ている。草丈も負けじ劣らず立派なもんだ。寒さに強いのは、どっちかと言えばヒトメボレのほうなのにこの格差はなんだ?わからん!

 しいて違いを引っ張り出すとすれば、コシヒカリの井戸は他の人と共用なので2日に1度しか出せないことかな。でも、ヒトメボレの方も、極力冷たい水に長時間さらされないようにと、夜遅く懐中電灯片手に水を出しに行ったり、夕方から夜までに限ったり、けっこう気使ってきたつもりなのに、・・・わからない。

 米作り、何年やってきても、毎年毎年違う姿で現れる。その都度、悩んだり、頭痛めたり、ときに絶望したり、たまに喜んだりしてきた。そのたんび、来年こそは、次こそは、と、あれこれ課題を見いだして冬を越し、春には新鮮な意欲に満ちて苗作りに突入していく。だから、止められない!それが米作りの魅力てもんなのかもしれない。

 

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個性を離れず役を作るってこと

2015-08-19 10:08:13 | コント

 コント大会に向けて、初の台本読み。もう、いつものことだから書きたくないが、どうしてこうつまらなくなってしまうのか?コント台本は特にそうだ。まっ、たしかにね、初めて読んで笑いのツボを的確に掴むってアマチュア役者には難しいんだろうな。稽古の繰り返しの中で少しずつものにしてもらうしかないが、今回は時間が少ないから、そこはかなりハッパかけなくちゃならないだろう。

 本読みを聞きながら、感じたのは、その人間の持ち味と役柄をどうすりあわせていくかってことだった。今回の台本では、実年齢より高い役を演じることが多い。シニアと言っても、菜の花座のシニアは若いから、じじ、ばばを演ずるにはかなり自身から離れないとならない。若手の場合、40歳も歳を上に鯖読むことになる。コントの場合、キャラクターにつても当人とは大きくかけ離れることを求められる。

 リアルな舞台よりは、作るってやり方が許されるとは思うのだが、あまりにも自分からかけ離れて演じると、わざつらしさが目に付くことになる。声優の場合なら、声がすべてせりふが勝負だから、作りきってしまうってこともありだろ。でも、舞台の場合は、当人の身体を隠し通すことはできない。自分から離れる役作りが、観客の違和感につながって行ってしまう。

 自分の持ち味を生かしつつ、いかに役にすり寄って行くか、ここが役者としての技量であり、個性なんだと思う。そう、個性、役と自分との距離の取り方、その縮め方も役者それぞれに違う。思い切ったデフォルメから入る者、役の特徴をとらえて一点突破を図る者、自分を少しずつはみ出し役にたどり着く者、様々だと思う。どの方法が良いとか、どれがうまく行くなんてことはとんとわからない。

 当分は、それ違う、そこあんたのまま、それじゃ若すぎ、そんなの詰まらない、なんてダメだしを続けながら、役者本人が役にたどり着くのを待つしかないのだろう。何度も何度も繰り返して、ああでもないこうでもないと工夫し、気が付いたら、おっ、結構面白いじゃん!っとなって行くのだと思う。役者も演出もやけにならない、投げてしまわない、どこまでも粘り強く、手探りしていくしかないんだろう。

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お隣さんに鶏が来た!

2015-08-18 08:52:16 | 暮らし

 山羊の次は鶏だ。正しくは鶏が先だったんたけど、まっ、いいな。

 広すぎる畑を一部つぶして太陽光パネルを張ったお隣さん、パネルの下の空間は思惑通り山羊の食餌空間になっている。草刈りなんてまったく不要、毎朝、そこに山羊をつなぐだけできれいに下草は食べ尽くされ、山羊の血となり肉と化している。そのすぐ横を鶏が数羽、せっせと土を突いては大好物の虫をついばんでいる。

 その鶏、実はその何%かは我が家にも権利と責任がある。お隣さんが、鶏飼いたいなぁって言ったのを大いに後ろで煽ったのがうちの神さんだからだ。けしかけるにはそれなりの理由があるのであって、まっ、本当の地鶏の卵が欲しいってこともあるにはあるが、それ以上に大きな動機は、残飯の活用ってことなんだなぁ。

 食物は大切に、無駄なく食べよう、残さず食べよう、それはわかってる。でも、どうしたって残り物や残渣ってのは出るもんだ。例えばこれ。

 みそ汁や麺つゆを取った後の削り節。化学調味料や濃縮出汁の素なんか使わない家なら必ず出る代物だ。なんだか捨てるのもったいない。やりようによっちゃまだ食べられるかな?って佃煮やふりかけに再生させてみたけど、やっぱり出しがらは出しがら、作ったはいいが手が伸びず、いつの間にかカビが生えて廃棄、残念な結果になった。鶏がいればなぁ!鶏なら喜んで食べてくれるのに!その他、炊きすぎたごはんとか、余った煮物とか、熟れすぎたスイカとか、

 場合によっては腐る寸前の食物でも、鶏さんたちには大ご馳走なのだ。人間と違って、食あたりなんて柔な反応は起こらない。そうそう、アサリやシジミの貝殻だって食べてくれる、っていうより、食べさせなくちゃいけない。鶏は残飯処理のスーパースターなのだ。

 そう言えば、ずっと昔、タイの農村に行った時、便所が池の上に作られていて驚いたことがあった。ああ、これは自然型水洗便所だ、実に快適で衛生的だ、なんて思っていたら、なんとそこには魚が養殖されていて、人間のひり出す糞便は、魚たちの貴重なエサになっていたんだ。うんこをタンパク源?として育った魚は、当然人間たちのタンパク源になる。これは見事なリサイクルエコ農業だといたく感心したものだった。その魚を食したかどうか?旅の記憶にはないが、田舎レストランで魚の唐揚げなんか食べたから、あるいは、糞尿が化けた唐揚げだったのかも知れない。うーん、日本人の感覚としてはちょっと微妙。

 しかし、鶏にやるのは排泄物じゃない。食物の片割れだ。ついさっきまで、可食部であったり、わずかの差でそこからはじき出された、ほぼ食べ物に近い残飯なのだ。これなら、いくら食べてもらっても、その卵や肉を厭う気持ちは起こらない。添加物だらけで真っ黄色の市販品より、はるかに健康的で美味しい卵が産み出される。残飯の力で。いやいや、残飯だけが健康の源じゃない。放し飼いのストレスの無さ、ついばむ虫や雑草、こういった自然環境が、素晴らしい賜物を提供してくれるということだ。

 じゃあ、なんで自分ちで飼わないの?そりゃ飼いたい!鶏小屋だって二部屋あるくらいだもの。だが、畑と田んぼに囲まれた我が家の鶏小屋は、虎視眈々と隙を伺う野生動物たちには恰好の食料基地だったんだ。20年近くに及ぶ、キツネやイタチたちとの激しい攻防戦については、いずれ書くこともあるだろう。とりあえず、今はお隣さんだ。頑張れ!ソーラー地鶏。待ってるよ、美味しい卵!

 

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辛い!嬉しい?コント書き

2015-08-17 08:30:22 | コント

 2日に野外公演を終えて、しばらく休養、やれやれ、ってそれは役者たちのお話し。こちらは次回公演の台本を大急ぎで準備しなくちゃならない。コント大会は9月13日、稽古も含め残された日数は1ヶ月、この短い時間で3本のコント台本仕上げなくちゃならない。できるのかよ、そんなこと!?わからない、ともかく書くしかない、書かねばならぬ、絶対書く、約束だから、コント大会成立しなくなるから。

 コント書きはアイディア勝負だ。まっ、どんな仕事だってそうだろうけど、コントの場合、面白いプロットを思いつければ勝ちだ。その思いつきが正解ならば、すらすらと筆が進む。おっと、今はワープロだから、ぽちりぱちりと打ち続けられる。底が浅いアイディアだと、簡単に行き詰まる。書き続けながら、これでいいのか?これ面白いのか?とつっこみやら揶揄やらが頭の中を駆けめぐり、結局は行き詰まる。

 だから、書ける設定が浮かぶまでは地獄?だ。立ったり座ったり、ノート向かったりネットで遊んだり、畑ぶらついたり走ってみたり、居眠りしたり酒飲んだり、もう脳の創造的部位を刺激するため、思いつくことは何でもする。思いつかないこともあれこれする。思考を集中させることも大切なら、脳細胞を日干しにするのも意味がある。経験をたどってみたり、頭の中にある思いつきノートをめくってみたり、すかすかの創造力をぶったたき、くすぐり、良い子良い子したりしながら、忽然と浮かんでくるのを待つわけだ。

 今回はそれが一どきに3本だよ、3本!よっしゃ!ってノリノリで行き着いたものもあった。が、遅々として進まず、あっちにふらつき、こっちに倒れ込みしながら、書き始めとはまるで違った到着点に漂着してしまった作品もある。これぞコントとちょっと胸張れるものもあれば、これ短編戯曲じゃね?って思う仕上がりものも出てきた。目をつぶろうぜ!絶対ノルマなんだから。ええいっ、行け!そのまま突っ走れ!てことだよ。後は、役者の魅力で面白くしてくれる、だろう?

 今回一番の傑作は、『マラソン大会』。いざスタートしようとしているシニアランナーに変な売り子が絡んできたり、レース途中で道路工事で待たされたり、最後の踏ん張り所では座頭市みたいな按摩が出てきてマッサージしたりする。これなんか、アイディアがすいすい出てきて、常に楽しい気分で書き進めることができた。こういう時って本当、幸せだ。ずっと書いていたいって気になる。コント書きの至福の時だ。いつでもこうだといいんだけどねぇぇ・・・・

 まっ、ともかく、書けた。後は役者の力量次第ってことにして責任回避に走ろう。だって、4期生の公演台本もあと1週間で書き上げなくちゃならないんだから。

 

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