ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

お隣さんに鶏が来た!

2015-08-18 08:52:16 | 暮らし

 山羊の次は鶏だ。正しくは鶏が先だったんたけど、まっ、いいな。

 広すぎる畑を一部つぶして太陽光パネルを張ったお隣さん、パネルの下の空間は思惑通り山羊の食餌空間になっている。草刈りなんてまったく不要、毎朝、そこに山羊をつなぐだけできれいに下草は食べ尽くされ、山羊の血となり肉と化している。そのすぐ横を鶏が数羽、せっせと土を突いては大好物の虫をついばんでいる。

 その鶏、実はその何%かは我が家にも権利と責任がある。お隣さんが、鶏飼いたいなぁって言ったのを大いに後ろで煽ったのがうちの神さんだからだ。けしかけるにはそれなりの理由があるのであって、まっ、本当の地鶏の卵が欲しいってこともあるにはあるが、それ以上に大きな動機は、残飯の活用ってことなんだなぁ。

 食物は大切に、無駄なく食べよう、残さず食べよう、それはわかってる。でも、どうしたって残り物や残渣ってのは出るもんだ。例えばこれ。

 みそ汁や麺つゆを取った後の削り節。化学調味料や濃縮出汁の素なんか使わない家なら必ず出る代物だ。なんだか捨てるのもったいない。やりようによっちゃまだ食べられるかな?って佃煮やふりかけに再生させてみたけど、やっぱり出しがらは出しがら、作ったはいいが手が伸びず、いつの間にかカビが生えて廃棄、残念な結果になった。鶏がいればなぁ!鶏なら喜んで食べてくれるのに!その他、炊きすぎたごはんとか、余った煮物とか、熟れすぎたスイカとか、

 場合によっては腐る寸前の食物でも、鶏さんたちには大ご馳走なのだ。人間と違って、食あたりなんて柔な反応は起こらない。そうそう、アサリやシジミの貝殻だって食べてくれる、っていうより、食べさせなくちゃいけない。鶏は残飯処理のスーパースターなのだ。

 そう言えば、ずっと昔、タイの農村に行った時、便所が池の上に作られていて驚いたことがあった。ああ、これは自然型水洗便所だ、実に快適で衛生的だ、なんて思っていたら、なんとそこには魚が養殖されていて、人間のひり出す糞便は、魚たちの貴重なエサになっていたんだ。うんこをタンパク源?として育った魚は、当然人間たちのタンパク源になる。これは見事なリサイクルエコ農業だといたく感心したものだった。その魚を食したかどうか?旅の記憶にはないが、田舎レストランで魚の唐揚げなんか食べたから、あるいは、糞尿が化けた唐揚げだったのかも知れない。うーん、日本人の感覚としてはちょっと微妙。

 しかし、鶏にやるのは排泄物じゃない。食物の片割れだ。ついさっきまで、可食部であったり、わずかの差でそこからはじき出された、ほぼ食べ物に近い残飯なのだ。これなら、いくら食べてもらっても、その卵や肉を厭う気持ちは起こらない。添加物だらけで真っ黄色の市販品より、はるかに健康的で美味しい卵が産み出される。残飯の力で。いやいや、残飯だけが健康の源じゃない。放し飼いのストレスの無さ、ついばむ虫や雑草、こういった自然環境が、素晴らしい賜物を提供してくれるということだ。

 じゃあ、なんで自分ちで飼わないの?そりゃ飼いたい!鶏小屋だって二部屋あるくらいだもの。だが、畑と田んぼに囲まれた我が家の鶏小屋は、虎視眈々と隙を伺う野生動物たちには恰好の食料基地だったんだ。20年近くに及ぶ、キツネやイタチたちとの激しい攻防戦については、いずれ書くこともあるだろう。とりあえず、今はお隣さんだ。頑張れ!ソーラー地鶏。待ってるよ、美味しい卵!

 

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