いいなあ、野外劇!またやろうかな?
あんなに苦労したのに、早くもそれかよ?まず天気だろう。もう1週間前から、日に3回も4回も天気予報見る日々が続いた。それも、一つの予報サイトだけじゃない、テレビ局もあっち見てこっち見て、ネットの気象情報だって、最低3つは見たから。二日前に、ほとんどすべての予報が雷雨を予想したときには、おまえら陰謀か?なんてまじ腹立てたりした。まっ、この気迫に雷雲が恐れをなしたのか、前日も当日も雨降り気配なんてまるでない晴天を引き寄せることができたには違いないが、真剣に雨対策、したからね。安い雑巾大量に買い込んだし、装置の一部はわざわざばらして軒下に避難させた。どの程度、どの時間帯降ったら、どう対応するか、なんて危機対応マニュアル相談してたくらいだもの。
さらに、リハーサルやゲネが思う存分できないってこともやってみて初めてわかった難点だった。もちろん、外部故の場の存在感も上手く使い切れねば大きな障害になるってことも身にしみた。照明や音響の文明の利器も極めて使用が限定される。
それでもなお、野外劇っていいなぁ!
まずは自然環境の圧倒的な存在感だ。照明で作ったのじゃない夕暮れ、スピーカーから流れるのではない蝉時雨。時には思いがけないカラスの飛翔なんかも、劇的効果を高めてくれた。これ、お客さんがわざわざ伝えてくれたことだ。さらに、夜の闇の重さだ。どう表現していいのかわからないが、ホール空間の闇とは明らかに違うのだ。光はある、星空だったり月の明かりだったり、それは背後を覆う森の陰が見えることでわかる。なんなんだろう?明らかに濃密なのだ、夜の空気が。人間が本能的に持っている、闇に対する恐怖心とか畏怖心とかが作用しているのかもしれない。あるいは、上空がそのまま宇宙空間に広がっていることだろうか。だから、役者が浮き立つ。特に、一人語りは圧倒的だったなぁ。
お遍路の昔語りというシチュエーションもぴったりだったかもしれない。嫉妬に狂う男も恐怖をかき立ててざわっとした。
そして、最後のお遍路が自殺した女の亡骸を囲んで山を登っていくシーンなんて、野外でなけりゃ絶対できない幻想的なシーンだった。
下がコンクリートだとかなんて、まるで問題にしない迫力だ。
今回、強引に野外に挑戦して、良かったとつくづく思う。観客は120名程度と少なかったが、まずは許容範囲内だ。観客との距離の近さ、観客を引き込む引力、野外ならではの凝縮した劇空間ほとほとまいった。なるほどなるほど、こういう素材をこう提示すれば、野外は大きな効果を生み出すんだな、ってことがほぼ理解できた。言い過ぎが?よし、今度やるときは、・・・・って、ほらね、もう次回の野外劇に思いを馳せてるわけじゃないか。
ギリシャ悲劇とか、シェークスピアなんかもやってみたい!菜の花座のシェークスピア、ファンの人たちも喜んでくれるんじゃないか。この野外劇場の作りにぴったしだし。なーんてね、演劇馬鹿は、すぐに見果てぬ夢を見続けるわけだよ。