ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

じじいになる日

2015-08-12 09:04:34 | 暮らし

 亡くなった父親の食事は、徹底したばっかり食だった。夜と言えばステーキ!来る日も来る日も飽きることなく、ステーキだった。年寄りには適度な肉食が必要というのが最近の高齢者栄養学の基本になりつつあるが、今から50年近くも前、そんな知識を持っていたはずもなく、ただ単に好きだから食う、美味いから続ける、考えるの面倒だから食う、を実践していただけのことだろう。

 その証拠は、もう一つのばっかり食を見ればわかる。あんパン!それも山崎製パンのあんパン!なんでだぁ?これを必ず夕食前の小腹満たしに食していた。あんパン食って、ステーキ、どう考えてもバランスの良い食事であるはずもなく、しかも、一日じっと座り続ける生活であったから、いかに高価な肉食を続けたとは言え、寿命が尽きるのは時間の問題だった。享年73歳、もう数年で僕も達する年齢だ。食に注意を払い、日々過酷な?運動に精を出すのも、反面教師の父親の存在があるのかも知れない。

 ところがだ、今や我が家も、このばっかり食に染まってしまっている。

 退職後、朝食と昼食は僕が作る決まりになっているのだが、その朝食がこれだ。チーズをのせて焼いたおにぎり、みそ汁、漬け物、そして、当然コーヒー。栄養バランスは悪くない。タンパク質もまずまずだし、野菜も漬け物かみそ汁の具には加えることが多い。のりやわかめと海草も取り入れるようにしている。みそ汁の中身は日々変えているので、親父のあんパンステーキのような純粋ばっかり食には及びもつかない。まあ、食育ミュージカル作ってきた身だからね、そうそう変な食事はするわけにゃいかんのよ。

 問題は、このパターンがもうすでに2年以上ほぼ毎朝続いているということなんだ。代わるのはみそ汁の具と漬け物くらい、チーズのせ焼きおにぎりとコーヒーは不動の3,4番コンビだ。最初は栄養バランスと好みとご飯の炊き方、とを勘案して始まったメニューだった。二人家族の我が家では夕食に2合炊いてその日の夜と翌朝で食べきる。朝は冷や飯をなんとか温めねばならないのだが、ここから焼きおにぎりという卓抜な選択が生まれ、ダントツ独走することになった。

 一度、優位を確定させると、いつの間にか、このメニューが当たり前、それ以外は朝食でない、いやいや、そうではなくて、ほとんど考えなくなってしまったというのが実のところだ。まさしく朝食メニューのルーティン化、マンネリ化なのだ。

 問題はここなんだ。工夫をしなくなる、考えなくなる、日々習慣に流されていく、これぞ老化でなくてなんぞや!新しいことが面倒になり、挑戦なんて言葉ははるか彼方に遠ざかる。知の衰退、ただただ、何となく生きていく。新鮮な出会いもなく、わくわくする好奇とも縁遠になり、一日一日がなんとなく過ぎていく。しかも、そのまったりとした日々にほぼ心地よげに浸りきっているのだ。

 いかん!いかんぞこれは。まさにじじいへの変容過程ではないか!常に、変化を望み、日々新たを願う、そんな若々しさが失われつつある。それでなくとも体細胞の更新速度は遅くなっているというのに、生活習慣が次々とお定まりを受容していく。こうやって、暮らしが、身体が、頭が固く固着しいくことになるのだろう。

 暮らしを見直せ!好奇の心を奮い立たせろ!マッタリマンネズムに妥協するな!

 とは言っても、毎朝考えるなんて面倒臭いしぃ、チーズのせ焼きおにぎり美味しいしぃぃぃ・・・・ええーいっ、じじいめ!

 

 

コメント
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