大きな愛の力を感じさせられる人 2015.5・2
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前置き)
自分の中のインナーチャイルドと呼ばれる純粋な部分と
現在意識の中の恐れの表出と、真理と宇宙意識につながる
超越的直観がバラバラに切り裂かれたような
奇妙なアンバランス感を、母の全面的介護を通じて味わった。
そしてそれがとても苦しかった。母と24時間 ひと月
向き合ってやっと、落ち着きが戻りつつある。
母の心にも、私の心にも・・
人は誰でも いろいろな”自分”の声に耳を傾け、その声のどれかを
選び、行動している。そして、或るときは ある声と相反する声との
間で、自らバランスを失う。
それは認知症の介護でも、社会生活でも、どんな場面でも起こり得る
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数日前テレビで ホリエモンさんが ”自分の失敗を通して伝えたいこと”
という主旨の授業形式のバラエティーに出演していました。
そこで、彼の言った言葉が印象的に残りました。
”人は、弱みを見せることも時には必要だ。 それで周りに協力者が
出てくる。強がりばかりで弱みを見せなければ いざというときも一人だ。”
という言葉でした。
私の中には色々な感情の波に 急変する不安定さとともに、
毎日、朝晩、揺れ動いていました。
自分の弱みをみせる きっかけは Uさんとの電話でした。
このままでは、母を施設にお願いすることになる。
しかし、まだ、手立てがあるかもしれない。
日曜日や祝日も、母を受け入れてくれるデーサービスがあれば、大丈夫
かもしれない。
そこで以前紹介された施設の責任者Uさんに思い余って電話をしたの
でした。話しているうち、不覚にも涙がでてきてしまいました。
”もう4日間、眠れないで疲れていて、取り乱していますが、すみません、
以前 お約束していただいたように、母をショートステー[泊まり]で
利用させていただきたいので、予定を教えていただけますか?”
そのお返事は、4月中旬以降になれば空きが出る予定なのでということ
でした。まだ4月に入ったばかり・・・涙を出したこと、今とてもギリギリ
なこと、そんなことも素直に出せたことが少しだけ楽になったようでした。
この電話の内容はケアマネさんにも伝えられたのでしょう。
翌日ケアマネのFさんは、私どもに会い来られました。
もちろん解決策を持って・・・
それは グループホームという 小規模の市で運営する養護施設でした。
”もう、限度ではないですか?
ご主人が冷静なご意見としてそうおっしゃるのなら、ぜひ、こちらを
見学に行かれたら?”
10人以内の認知症ばかりの人を集めて、24時間介護してくれる、
市営のグループホームのチラシを見せてくれました。
とにかく行ってみたら?~その声に促されて、見学の約束を即座に
取り付け、私たちは数日後、そのホームを見学に行きました。
ホームの所長さんは 70代になるかと思われる経験豊かな女性でした。
お話しを伺うと、介護で多くの方達が私たちと同様のプロセスを踏み、
似たような悩みを持ち、いざという時には体験のある専門職の方達に
お任せできるということを心強く思いました。
帰宅すると、改めて、
①自分がどうしたら一番満足のいく介護を母にできるのか?
②後悔しないために何ができるのか?
を自分自身に、問いました。
多くの無数の手が差し伸べられている・・・力強さを感じるとともに、
宇宙の力にも・・・守護霊様にも・・・繋がっている・・・目に見えない
エネルギーも体感しました。
”真理 という広い空間の広がりに この介護体験を通して身を置いて
ごらん・・・”とハイヤーセルフ(higher self)~アートマ意識の自分は、
声をかけます。
一方、”時間の問題よ、どちらにしても、いずれは値を上げてお手上げ
になるのはわかっている” と いう現在意識の自分が返答します。
振り子のようにこのように心は揺さぶられます。
”母と向き合おう”と左に揺られ、夜ともなれば、
”もう駄目だ。明日は グループホームへのアクションをとろう”と右にゆれ、
それが交互に不規則に次第にふり幅も大きくなっていくのを
否めませんでした。
そんなとき、天が 一枚の切り札を与えてくれました。
ダライラマ師 との 遭遇でした。
Uさんとの、涙交じりの電話から一週間後、御詠歌の先生から
メールをいただきました。
”ダライラマ師の講演があるけれど、行きますか?”
見れば、公演期日は 明後日でした。
昼間は眠気が勝ち、しかも、家の中の大掃除がまだ続いていて、
山ほど片付けることはありましたので、外出するほどの余力も
ありませんでした。
心の中で 呟きの声がしました。
”ダライラマ師はチベットのカルマ(難民としての宿命を負って)
を持ちながら世界中で心の安寧を説いているのだから、お前の葛藤
など小さなものだ。”
ダライラマ師のオーラを感じたいと想いました。
そのオーラは、重い十字架を背負いながら、奉仕の生活を続けている人
しか放たれないものかもしれません。
人が癒されるのは 慰め、励ましの言葉だけではありません。
結局 愛 によるのです。
癒されたい・・・ 言葉はもう不要、・・・癒された、今の私に
必要な大きな愛の力、それは いったい、なんなのだろう?
感じたい・・・
こうして ”ぜひ、伺いたいです。” と お返事をメールで送信しました。
続く