相手を拝む、仕事に心を入れる 2015・5・11
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多くの精神的師の言葉を引用してきた。
”この世に存在する生き物、人、誰もが神性をもっています。
その神性に仕えるという気持ちで、言い換えれば、どんな
小さなことでも、真心から行いなさい。
それが一番の現代的修行です。”
と教えてくれたのは、南インドのカルナタカ州の小さな村に住んで
いらした故サイババ師だった。
どんな小さなことでも、神に仕える気持ちで行う…
これがカルマヨガの真髄だ。
当時、私はインドの古典芸術の理論と実践をデリー大学
大学院で学んでいた。シタールの一弦をつま弾くにも、シタールに
礼を尽くして、神の音を引き出させていただくという心持が大切だと
どの教授からも教わった。
もともと、インド古典芸能は、ダンスでも音楽でも、それは
”神への捧げも”のだったからだ。
15年間、師事した、尊師 Ustad Shjaat Khan への
弟子の義務の一つに心を籠めて できることを、お仕えさせて
いただくということがあった。
小さな雑用を頼まれて 何かを命じられても、素直に真心こめて
それにお応えすることだった。そうした小さな日常生活の一コマ一コマ
に 私は、先のサイババ師の言葉を重ねていた。
そういえば、唯心一元論で”生命の実相”を書かれた 谷口雅春師
も 浴室から上がる際に、風呂からあがるとき、”お湯”に向かって、
”合掌をしていた”と聞いた。
こうした心持、与えられているという感謝の心や真心
どんな小さな事柄にも神性な有り難さを見出し、拝む心は
日本人の”働き様”にも現れている。
カルマヨガと特定しなくても、日本人の社会生活には他国
とは違う、こうした心が生きているように思える。
それは、モノづくりの心 や はやり言葉にもなった、”おもてなしの心”
などに、それが、表現されているようだ。
ものつくりの心は、日本独特のもののようだった。
インド時代、数年間、日本に本社を置く車両関係の”IT関連会社”に
働いていた。その時、”モノづくりの心”という言葉を初めて知った。
インド人のエンジニア達は 日本の工場に送りだされ、数か月間、
現場でこの”心”を学び、インドに戻ってきた。
製品に心を込める-ことだけではなかった。機械を尊敬し、常に磨き、
清潔に働く環境回りを保ち、掃除は徹底して教えられた。
機械の工程で、最後の仕上げに、マニュアルでは描ききれない、手の
感覚を頼りに高度の技術のみならず、神技的な直観手触りで、その製品が
完全に近づくようになることも学んできた。
それは優秀なインド人エンジニアもなかなか取得できない 手ごわい
”日本の物づくりの心”だった。西洋的に言えば、製品は機械の造りだした物。
だから、数多く作れば中には優れたものも生まれるだろうから、それで良しと
するインド式とは異なり、心を籠めて一つ一つに、取り組むということが
ぴんと来ないようだった。
そして、機械はただの部品の寄せ集めではなく、機械の心があること、それを、
大切にするからこそ、メンテナンスだけではなく、掃除や清潔を保つことの意味
も習得してきた。これは、インドのカルマヨガでいうところの、現場で見られる、
日本人のカルマヨガであろうと思ったものだ。
おもてなしの心 も、日本独特の感覚かもしれない。
もともと、おもてなしの心は 日本古来の文化の中にも見られ、茶の湯
の所作立居振舞はこの心を著しているのだろう。
おもてなしの根源には、どんな相手にも尊重すべき、仏性真性が宿る、
尊い存在であるという気持ちがある。その仏性真性を、サンスクリット語で
アートマと呼ぶ。
私は、”母の介護”でそれの概念と現実の違いに、戸惑い、迷い、苦しんだ。
母の当時、記憶力をほとんどなくし、日常生活が一人で困難になった状態で
母の仏性、人間の”実相”を引き出すことの困難を感じていた。
ある一時、ほんとうに心身くたびれてしまい希望がなくなったとき、
何人もの先輩諸氏に”母を施設にいれることも勇気あること”と、御忠告
をいただいた。結果的には10年の介護生活の最後の1年は、その助言
に従い、グループホームに入ってもらうことになってしまったが、
カルマヨガの実践という意識は 9年間、私の心の中から離れることは
一日たりともなかった。