自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

母の認知を癒せないない-セラピストとして苦悩

2015年05月09日 | 介護と自然治癒力

介護の苦しさの原~~私の場合       2015・5・9

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今現在(2015年5月)、この数週間を振り返って、この

投稿記事を書かせていただいている。

 

自分の体験、介護を通して個人的な情報や想いを書こうとしているが、

そういう意味で、人様に聞いてもらう話以前の話題のような気がする。

介護を通して、私の最もドロドロした部分を見た話は、介護に縁の

ない方にとってはつまらない話と思う、が、自分の蓋をしている部分

を覗いてみようと思う人にはお付き合い願いたい。

 

私より介護に関しては、もっと大変な想いを長年にわたって、かかわり、

苦労されている方たちは 多くいらっしゃる。

私が一番 介護中で負担に思う部分は、理想と現実の違いからだった。

 

”誰もが持つ神性や仏性はどう引き出されるのか?”

これは私がセラピストとして考えてきた最大のテーマだった

そして 母と同居介護が始まり、真正面に真摯に向き合っているという

自覚を持って母に接している現在、母の魂の神性、アートマをどのように、

現実に引き出していけるのかが、重要な課題になっていた。

 

自然治癒力セラピー協会のテーマであると同時にそれは日常生活の

個人的に、今、もっとも卑近のテーマであり、足元から解決すべき

大きな問題だ。目の前に倒れている人に手を差し伸べ得無い人が、

困っている人に手を差し伸べようと提唱しても、誰も聞く耳は

もたないからだ。

 

同時に アートマセラピーを-自分でできるセラピーとご紹介して

きても、自分の母親のアートマを引き出すことのできない

アートマ・セラピストは 失格 の烙印を押される~と思っている。

 

一緒に住み始めて、ひと月半たった。母はお陰様でとても落ち着いた。

言葉づかいも荒れることはほとんどなくなった。

 

反面、認知症特有の理性のない行動、たとえば、トイレの便器で

洗濯したり、昼夜とわず、何食でも食べたい欲望、真夜中に

台所に立つ癖、洗濯機の回し方を忘れても、真夜中に紙の介護用

パンツを洗おうとすること、過去と現在の記憶の入れ替わりから

錯乱して暴言を吐く、などなど、そうした夜中の緊張を引き出す

行動は相変わらず、繰り返されている。

 

一方、私の心にも変化がおきている。

そうした行動にさほど、げんなりすることが少なくなったことだ。

喜んでもらおうという気持ちが私の心の主体になり、それに

応えようという優しさも母の心に生まれているかのようだ。

 

少しずつ、母の顔には平和が戻ってきた。

 

今年2月、顛倒、大腿骨骨折し手術入院、退院直後は、

デーケア施設のスタッフのコメント帳に

 

とても不安げで落ち着かない行動が目立った。

すぐ帰りたいと口に出す。

という記述が多く、それを読むたびに、不安を覚えた日々。

 

このままでは彦田さんをお預かりすることは難しい・・・

この状態が続けば、スタッフが母にかかりきりになってしまい、

通所はお断りせざる得なくなるだろう”というコメントを 

ケアマネさんを通して聞いたのもその頃だった。

 

家で母を介護する私自身、もし、母がデーケア施設で

受け入れられなくなったら、24時間の介護はまず、無理だろうと

考えた。

 

そうなれば、結局 母を老人ホームなどの施設に入れなければ

眠れない夜が毎日、睡眠不足で血圧が上がり、限”度を超えることが

分かっていた。それは、ジレンマだった。 

 

アートマセラピーの主唱者が、母を癒すができず施設に入れること

ほど、矛盾がある行為はないと思った。

 

ところで、大腿骨骨折からの、母の体力的には執刀医も驚くほどの

回復ぶりだ。昨年に引き続き、大腿骨を折り、これで左右の腰にボルトが

入れられたことになる。 病院のリハビリだけでは 帰宅後は寝たきりの

生活を余儀なくさせられる母の世代の高齢者は多いと聞いていた。

 

しかも、デーケアに行くためには毎日、三階の階段を上り下りしなければ

ならない。看護婦長のMさんは私に、はっきりと、まず、不可能だと、

退院前の家族会議で断定した。

 

しかし、母の生命力と、セラピーをしながら、順気を整えて、血液循環や

血管を柔軟にすることで、筋肉を柔らかく動きやすくなり、

退院後翌日から時間をかけて行えば、階段の上り下りに差し支えはない

ど、回復した。

 

術後の初回の検診では執刀医から 母の回復が予想以上だったので、

驚きましたという言葉とともに、 今後の通院は必要ないということ

で、私の希望どおり、痛み止めやそのほかの薬も出されることはなく、

夜間歩き回るという認知症特有の症状を持ちながらも、自然治癒力での

全面回復を待つということで、自宅療養に踏み切ったのだった。

 

娘が本腰を入れて母と向き合おう~と決心してからは 次第に母の心

も変わっていった。これも修行だ。

 

理屈はわからないが いつか娘がいなくなるかもしれないという

母の、恐怖心が少なくなったようなのだ。

 

それに伴い、穏やかに、日中は過ごすようになった。

とても落ち着いて、日中の行事を楽しんでます。カラオケで

歌も歌ってました そんな言葉をケアースタッフの方達から 

やっと、最近伺えるようになってきた。

 

家での母はいつの間にか、幼女のようになってきた。

着替えから おむつの取り替えまで 一つ一つが親の手を借りる

幼女のように、 私にすべてお任せだ。

 

朝起きて、一緒に、仏壇と神棚にも 母は手を合わせるようになった。

古い過去帳を毎朝開いて、今日は~さんの御命日よ、と私が言えば、

”その人は、~さんのお兄さんだとか叔母さんだとか、母の古い

記憶が鮮明によみがえる。

 

時には 涙して、私も罪つくりな人間よなどと、何を思い出して

いるのか大げさに、反省していることもある。

 

こうして一日のはじめがスタートして、デーケアのお迎えがきて、

しばしの私にとっての、家事の合間の休息時間となる。

午後4時、帰宅する母をお迎えに出て、三階までゆっくり足を運ぶ。

そして、夕食をとり、風呂に入ってもらい、就寝。

 

そこからが一番の その日の緊張する時間帯となる。母は一晩中、

テレビをつけて、起きているからだ。

 

そのうちに、ふらふらと立ち上がって、トイレに行く。

お茶を所望する。 風呂場に行って洗濯を始めようとする。

 

真夜中にかかわらず、テラスで裸同然になって、汚れた下着を

着替えようとしている。目が離せない。私もほとんど一睡もできない。

 

が、地球のどこかを見渡せば、難民の人たち、不安に震えながら

不足の生活に、耐えている人達はたくさんいる。

その人たちの事を考えれば たとえ眠れなくても、生きている実感を

持てる生活がある。 ありがたい状況だと努めて、思うことにした。

 

母がうとうとしたら、少しでも、足を延ばせて横になれるだけでも

十分ではないか・・・昼寝すれば寝不足も解消されるのだから。

 

 

 

愛せる対象のいる間は、人は生きがいを持てるのだろう。

 愛せる対象がいなくなっても、十分に愛し抜いた思い出があれば、

その想い出が次の愛する対象と繋がるのだろう。

 

 

 

 

 

 

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