インド独立の”無抵抗主義”の覇者、ガンジー翁の場合
**************************2023 6月16日
解脱をモクシャ と サンスクリット語でいう。
生まれ変わりの輪からはずれ、、カルマを超越した状態をいう。
この状態に到達すると、人は、カルマ解消のためには、
人間に生まれる必要性がなくなる。
特別な使命を持ち、救いのために、あえて人間の肉体を
持って、生まれる場合もある。
いわゆる、精神的指導者として、人類に光明をもたらすためだ。
インド在住時代、ガンジー記念館を訪れたとき、
ガンジー翁は モクシャを人生の最終ゴールに置いていた
ことを彼の書簡から知った。
同時に、ガンジーは、欲望を客観的に見ながら、
執着をたちきり、モクシャの実現の最終目標である、
’自我の超越’を試みていたことも知った。
この欲望は 人の三大欲望の一つで、生存と種の撲滅
を避けるために、天から授けられた、欲望でもある。
が、これによって、葛藤や苦しみを産みだすことも
事実だ。
ガンジーは、自ら、それを昇華するために、人生最期まで、
自己人生の最終目的である、解脱のために、その欲望と
真正面に取り組んでいた。
これも、一つの、タントラ的修行でもある。
タントラ修行について、次のような ラジニーシ氏の
一節が、興味深い。
”タントラの究極のゴールは、
精神的・霊的な明瞭性、自分のエゴを、より大きな意識の中に
消滅させること、
全体性、永遠、空性、至福の存在状態の中への、自己の消滅
である。”
という。
ガンジー翁は、晩年は、信奉者の女性などを、密接的に
傍に置いていたようだが、彼の親近者、ボース氏への
手紙には、彼らと夜も共にすることを認めたうえで、
次のように書かれていた:
”……実験(須田注:ガンジーの試み)の前提に、女性の
劣等性があると、お考えになるとは驚かざるを得ない。
もし私が、色情を持ち、あるいは相手の同意なく女性
を見れば、そのとき女性は、劣等者であろう。
私の妻は、私の欲望の対象だったとき、劣等者であった。
私の隣に、裸で妹として寝るようになってからは、
彼女はもはや劣等者ではなかった。”
(1)”ヒュー・ミルン 『ラジニーシ――堕ちた神』第三書館)1991年 P・42~43)
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