インド旅 仏様ゆかりの地で出会った僧とアガスティアの予言 2017・3.26
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“ゴッホは良く描いた。多く悩み、苦しみ 死んでいった。
しかし彼は純粋な霊に戻り、苦しみの生で600点加点されて、
輪廻転生のサイクルを終わらせることができたのだよ。”
タナノート” ベルナール ヴェルベール、日本放送出版協会、1996
皆さんの中で、前生の存在を信じている人はどのくらい
おられるのだろうか?
上に挙げた一節は、肉体を捨ててあの世に行き、再び、
生まれ変わるとき、人は以前の人生の行いによって、
失点したり得点したりしたもののバランスをとって、
次に生きるための環境を選んでくるという話の中の下りだ。
冒頭の言葉の意味は、ゴッホはすでに輪廻転生のサイクルを
終え、人として、地球上に生まれることはないの意、双六でいえば、
上がったということだろう。
こうして何度も地上に生まれ変わることを輪廻転生というが、
これは、決して仏教用語だけではない。
原始キリスト教では、5~6世紀に行われたという
コンスタンチノープル教会会議の中で、
キリストが説いたとされる輪廻転生説は、聖書からオミット
されたという話である。
神道では、意外と、超古代史ホツマツタエを読む限りでは、
輪廻転生の考え方に遭遇する。
例えば、アマテラス大神の兄弟、ならず者で知られた
スサノオの尊は、後世、ヤマトタケ尊に生まれ変わったと出てくる。
それは、おのが業の深さを悔い、再度、正義を重んじる、
大和統一のために東国に賊を一掃するための任務を担う役目を
スサノオ尊の魂が買って出たとからである。
仏教では因果応報、この世を要領よく生きても次の生では
きちんとつけは払うことになっているわけだから、
今の境遇は結局は誰のせいでもなく、自分の過去のなした業(わざ)の
結果であるという。
3月8日に戻ってきた今回のインドの旅は、これまでと
異なる色合いだった。
もちろん、輪廻転生を含む不思議な体験があった。
今回のメインの目的は、仏様に縁のある世界遺産を含む
数カ所を訪れることだった。
インド・デリーにある国立考古学博物館を訪れた方なら
ご存じだろうが、この国は数百年前の美術品などは
ほとんど歴史物の部類に入らないかのように、何気なく、
通路から手が触れそうなところにむき出しに置かれているのだ。
三蔵法師(孫悟空に出てくる)が訪れ、教本(お経)を
与えられたという、5世紀初頭に造られたナーランダ大学は、
仏様もここでマンゴーの木立の下で説法されたという
世界最古の大学である。
広大な敷地、たぶん、ゆっくり見学したら数時間は
優にかかると思われる大学跡には、発掘された当時のレンガで
造られた部屋や教室があり、それこそ、この手でそのレンガの
一片を触り、不埒な見学者は少し削って持ってくること
だって可能なほど、警戒も保護も甘いのだ。
が、そのおかげで十分に当時の風を想像しながら、
時の流れを超えて太古の雰囲気を謳歌することができた。
さて、今日のメインテーマである、ある僧侶との遭遇は
そのあと起こった。
私にとっては大いに不思議なこと なのだが、興味のない読者
の方には しばらくお付き合いいただきたい。
少々私事の事柄である。
夕方前、当時、仏様にラージギルの大富豪が寄進しようと
した竹林精舎に足を延ばした。
日本でもありそうな小ぎれいな瀟洒で竹の多い公園風の造りである。
その一角のベンチに 黄色い衣をまとった僧が、信者と思しき
老人と話し込んでいた。
私は惹かれるように、その方のそばに行き、しばらく突っ立っていた。
すると、私の気配に僧は気が付き、ベンチから立って、私の方に
歩みを数歩すすめた。
そして、首にかけていた数珠を右手に持ち、何やら経文のような
マントラを口ずさみなら、右手の手の平を私の頭の上に掲げて、
祝福してくださった。
私は、思わず、合掌し、僧侶の足にナマスカーラ
(足にタッチする敬礼方法)すると、僧侶はその数珠を
私の首にかけてくた。
”ペンがあるか?”と聞かれたので、渡すと、何かの紙の裏に
ヒンズー語で書き始めた。
私の情報は何も知らない。
一方、僧侶は、すらすらと何かを書いていく。
途中で”一番好きなアルファベットは何か?”と、
”どの数字が一番好きか?”の 2点を質問された。
そして、書き終わった紙切れを渡されて、その内容を
読んでくれたが、私の拙いヒンディー語の範囲でわかったことは、
そこには、自分の将来にかかわる予言めいたことが書かれていた。
そうこうしているうちに、竹林精舎を一通り廻り終えた
同行の方が、私と僧とのやりとりに興味を持たれ、ことの
成り行きを簡単に話すと、自分の将来もぜひ、教えてほしいと僧侶に
頼んだ。
その方の意向を受け入れた僧侶は、同じような要領で、予言をした。
すると、その方は具体的に家族のことに関して質問をした。
それにも、間髪を入れないほど端的に早く、答えが与えられた。
こうして数日間にわたる旅の初日が過ぎた。
さて、このことを書いたわけは、旅の最後にアガスティアの葉に
書かれた予言を聞きに行くという予定が組まれていたからだ。
飛行機で4時間半かけて、古代タミール語で書かれた自分の予言
の葉っぱを探しに出かけることになっていた。
そして、意外な事実が 再び、アガスティアの館で、わかり、
再度、私たちは驚くことになったのだが、竹林精舎で出会った
僧の言葉と重なるという不思議な体験をすることになる。
~続く
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