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在りし日の母(亡くなる1年前)
自然治癒力セラピーの本質・・・この言葉の裏にも
2024/12/23
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この数回、アンコール記事と称して、
ブログに、整体の神様といわれる、
野口晴哉氏の言葉を、上げてさせて
いただいた。
が、あまり魅力ある記事ではなかった
ようだ。
毎日の統計数字で、読者の興味が低い
のがわかった。
なぜだろう?
たぶん、あまり、日常生活にピンとくる
ほどのつながりが無かったためかも
しれない。
あるいは、この言葉自体の意味が、私が
本来お伝えしたかったものと、異なって、
受け止められたためかもしれない。
たとえば、
①自分の糞(kuso)は自分で気張るがよろしい。
たとえば、自分のクソは自分で気張るが
よろしい-という言葉は、私自身、一番、
好きな言葉の一つだ。
セラピーをするとき、生命力を考えるとき、
まず、”自分で気張る”ということが、
前提になるからだ。
実母が、脳梗塞の状態になって、這いずる
ようにしてトイレに行ったとき、便器の高さ
に腰をあげようと足を踏ん張り、”うーん”
と唸った。
そして、便器に腰かけた。
当たり前のことだが、当たり前のことを、
当たり前にできるはずだ、
”なにくそ!”という気概が、
この母の唸り声には、込められていた。
そして、母は、三階までの階段を 上り下り
できるようになるまで回復した。
幸い、認知症があったため、骨折したとか、
脳梗塞の症状だとか、骨折も大腿骨の左右
の関節に、ボルトを入れる手術までした
ことも、忘れていて、
下手に悩んだり考えることなく、ただただ、
”うーん”と唸って、
”なにくそ”という、負けず嫌いの母の気質で
これまで回復してきたと私は思った。
この野口氏の言葉は、その母の、”なにくそ魂”
を思い起こさせる。
だから、
②あるいは寄りかかるものが、一切無力なる
に気づいて、自分で立ち上がったかもしれない。
の野口氏の言葉は、自分は自分にしか頼れ
ない、という気持ちが、まず、病人特有の弱気さ
から脱却させてくれる、気構えにつながる言葉
だと思う。
本当に、薬もサプリも、諸々の外部の美容
器具やら、健康器具、などは、一括りに
しては申し訳ないが、
”気やすめ” だと思った方が、頼りすぎる
ことがないだけ、ましかもしれない。
もちろん、それらを、有効的に使いながら、
本質的な自分の健全さや 美容や、若さを
保つ手段とすることは可能だ。
が、ここでは、病を憂うる、病人である
よりは、自分が本気になれば、自分の思う
通りに健康を引き出せると、強気な病人で
あったほうが、
健康になる秘訣だということだろう。
頼るものは、自分の生命力しかない。
そして、自分の本来の、自分の健全さ、
健やかさ若さ、美しさ、あるがままの
自分で完全である私のことを、
常に思い起こしながら、”自分”に頼る・・
それが、健康の保持の、健康に回帰する
ための一番の処方箋のように思う。
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