大師たちの平均齢・数百歳 平成25年7月10日
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著者はしがきから
わたしは1894年に極東を訪れた11人の調査団の一員であった。
3年半にわたる極東滞在中、ヒマラヤの大師たちに接触した。
大師は私たちが 偉大なる法則の働きを
実証されるのを実際に見るために、大師がたの生活の中に親しく
入り込むことを許してくれた。
私のノートを今ここに、“極東における、大師たちの生活と教え”
と題して、発表するが、そこに盛られた内容を
そのまま受け入れるか、否認するかは、
読者の自由である。
聖ヨハネにご縁のあるご先祖をもつ大師とエミール大師、
そして調査隊の人々は、翌日の朝食で再び会うことを約束して、
その夜の会合をお開きにした。
翌朝、皆 早起きして、朝会に出た。
宿舎を出るとき、同じ方向に歩く大師たちは、まるで普通の
人間の当たり前のすがたで、歩き、かつ、話会っておられる。
調査隊の人たちにも 普通に挨拶を交わし、彼らをびっくり
させた。
すると、大師は答えられた:
“わたしどもはあなた方と同じ人間にすぎないんですよ。
どうして、皆さんは私たちを 強いて変わった存在だと
見たがるんですか?
わたしどもは 決して変わってはいないんです。
ただ、わたしどもは、神から与えられた力を、皆さんより余計
発達させただけなんですよ“
と答えた
すると、調査団のひとりが尋ねた。
“それでは、あなた方と同じことが 私たちにできないのは
どういうわけでしょうか?”
すると大師は、
“わたしどもと 知りあう人たちが、私どもの後にならい、
同じ業をしないのは、何故でしょうか?
私どもは自分の生き方を 人に押し付けることはできないし、
また、押し付けようとも思いません。
人間の生き方は皆自由だし、それぞれの生きたい道を行けば
いいのです。
私どもは、ただ、易しくて、簡単な道、わたしどもがこれまで
やってみて、非常に満足のいく道を示そうとしているだけです。“
ここで、食堂に入った、著者は もう一度エミール師と
その知人の大師たち(霊体で現れた5代前の祖先とその霊の子孫)
のことを観察して以下のように書いている。
“反対側のテーブルに今、4人の人が座っている。
その中には、この地上に 1千年も生き続けている人が一人いる。
自己の身体を完成し、何処へでも、望むがままに、身体を顕す
ことができるが、今まだ、35歳ぐらいの人間の身軽さと、
若さを保っている。
その隣には、前にも述べた家の5代目の 直系の子孫が座っている。
地上に700年以上も生きているが、肉体は満50歳より、
一日も老けては見えない。
この方々が常人と同じように、私たちを話をまじわされるのである。
また、500年以上も生きていて、まだ50歳そこそこしか見えない
エミール師や、ほぼ50歳で年齢相応に見えるジャストもいる。
皆がまるで兄弟のように、話し、偉ぶった様子一つとてなく、
親切で素朴、しかもその発する一語一語の筋が良く通り論理的
である。
いささかも、神秘的、あるいは奇怪な様子がなく、まったく日常の
会話をやりとりしている当たり前の人間にしか見えない。“[152]
さて、食事がすんで立ち上がると、ある同僚がたちあがり、
勘定を支払うべく店の人の前にたった。すると、エミール師が
“みなさんは私どものお客様ですから”といって、空っぽの手を
その店員に差し出している。すると、その手の中に、ちょうど、
勘定分だけの金が入っていた。
著者はエミール師が金銭を持っていないことはわかっていたし、
自分たちに必要なものは、無限供給のエーテル世界から(大師は)
いくらでも 造りだされるので、金銭は無用でもあった。
著者は ここでも、金銭でも必要とあらば、すぐに普遍原質の
中から造りだされることを目のあたりにしたのである。
こうして、食事後、大師は自分の分隊に返るからといって、
著者と握手をすると、パッとすがたが消えた。
後で確認してみると、姿が消えてから10分以内には、
自分の第五分隊に姿を現していた大師であった。
その日の著者の任務といえば、エミール師とジャスト、ヨハネ
の記録をつけていた大師とともに、村々を散策して、ヨハネの
足跡をたどった。
12年間滞在していたヨハネが、どのように生活していたかを
まるで、現実の生ける人のように、感じられるまで詳細に
関係者から話が語られた。
さて、ここから著者の言葉である。
“一日中歩き回り、一番味深い歴史上の出来事の話に耳を傾け、
数千年前の事件の現場で寄るの帳を前にしつつ、英語に翻訳
されていく、記録に聞き入ったため、すっかりくたびれて、
村に返ってきた。
しかし、同行の3人の方たちは、何の疲労の様子もない。
私たちは埃をかぶり、汗で汚れているのに、この方たちは平静で、
その衣服も朝出かけたままの白さで埃一つついていない。
尤も、散策の途中も、その衣服に汚れのつかないことに、気づき、
何度も私たちがそのことに触れたが、何の返事も聞き出せない
ままになっていたのである。
夜になって、また、その話がでたので、ヨハネの記録をつけた
大師が答えてくれた。“
此処で、大師の言葉である。
“それは、あなた方には珍しいでしょうか、
神の創造物が望まれもせぬのに、また、その所でもないのに、
同じ神の別の創造物にくっつくということの方が、私どもには
珍しいのです。
正しい考えができるようになると、そういうことは起きなくなる
ものです。
なぜなら、神の原質が そのいかなる部分にせよ、所を間違えたり、
望まれぬ所に置かれるということはできないからです。“(153)
すると、著者が驚くことが起きる。
“すると、驚くべし、一瞬のうちに、私たちの衣服や肉体から、
一切の汚れがなくなり、大師たち同様の清浄さとなったではないか。
この変身は、そこに立っている間に、三人が三人ともに起きた
のである。
すべての疲れは去り、あたかも、朝ぶろに入ったような爽快さと
なったのである。これが、私たち質問全体に対する答えであった。”
その夜は皆、この方たちと宿営することに体験するのだ。
もっとも、深い平安な気持ちを味わいながら、寝付いたことと思う。
著者は続ける:
”人類=この方たちの呼びならわしに従えば、同胞たち=の為に
かくも偉大なる働きを成しておられる この素朴、かつ、親切なる
心の持ち主たちに、私どもが寄せてきたこれまでの畏敬は、急速度で
最も深い愛に変わっていった。“
こうした、不可思議な特別な体験を、少しも自分たちの手柄と
することなく、謙虚に、神の現れ と語り、“我自ら何事も無し
能わず”と慎み深く普通の人間として接する大師たちに、著者は
感想を述べる。
“私たちはこの方たちを兄として見上げ始めた”(154)
畏敬や畏怖ではなく、家族的な愛情を持ち始めたのだった。
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