自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

ウニヒピリとは?記憶とは?の補足

2018年08月01日 | ハワイの浄化の言葉”ホ・オポノポノ”

昨日の記事をもっと具体的に・・2018 8/1

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抽象的な言葉の羅列では、真意は伝わらない。

昨日挙げたブログ記事の“記憶”という意味について、

具体的な話から補足させていただきたい。

私自身の主観的考え方を混ぜないためにも、引き続き、

引用文章を元に、進めていきたい。

 

平良アイリーンさんは、ホ・オポノポノの本を多く

翻訳しておられるし、最も、ヒューレン博士の身近に

おられるスタッフの1人と思う。

そして、最も、忠実に、記憶に対するクリーン を

日常行い続けているかたの御1人だろう。

 

その方の文章から拾ってみると、こんな、場面にアイリーンさんが、

自分の中のウニヒピリに気づかされ、クリーンをする

ということがわかる。

****

①   結婚してからはとくに、私が体験する夫に対する

気持ちをクリーニングしています。


たとえば、‘夫が会社でもっと高く評価されてほしい’と

いう気持ちが湧いた時には、‘夫に向けて’クリーニング

するのではなく、その気持ちを自分の中でクリーニング

します。

 

なんで夫を評価してもらいたいと思うのかといえば、

結局、‘正しく評価されていない’ということに対する、

‘悔しい気持ち’が私の中にあるからです。 

その気持ちは、私がもともと持っている感情で、夫のもの

ではありませんよね。


‘くやしい’という体験をウニヒピリが私にみせて

くれているからです。(以上引用)

 

ここでは‘夫’が主語であるが、‘私’に置き換えても、

‘自分の子供’に置き換えても、すべてに当てはまるケース

だろう。


“夫が会社でもっと高く評価されてほしい’という気持ち“

という感情を対象にしているが、それは、どんな感情、

良きにせよ、悪しきにせよ、湧いてくる感情に置き換える

ことができるだろう。

 

たとえば、自分とは、価値観が違うと思うことを、

家族の1人が行っているとする。

卑近な例を上げさせていただこう。息子が東京に家を借りること

になったが、給料の三分の一が、家賃に充当できれば、

生活に支障はないと、私自身のこれまでの体験から

わかっているのだが、息子はそうではなかった。

 

そのあたりの生活感覚が私と違い、給料の半分以上も

する贅沢な部屋を見つけてきた。

喉元まで、いろいろな意見が出そうになったが、こらえた。


アイリーンさんの言葉を思い出したからだ。

なぜ、私が今、そのことを息子に伝える必要があると

思っているのだろうか? 

出世する前の達人は、手塚治虫氏のように、6畳一間

のアパートの一室で、それ相応の生活を受け入れていた

ものなのに・・・

 

なぜ?という想いと、貯金するという地道な考え方が、

あまり価値観を持たない息子の金銭感覚などに、‘自分と違う’

ということだけで、不快さや心配、不安定な想いを伝えて

どうなるというのか?と考えた。


彼自身が体験しながら、それなりの生活感覚を身に

つけていくのだろうと、彼を信頼して、様子をみていても

よいのではないのか? 

 

母親という立場から、自分の考え方を教育という形で

押し付けていた時期はもう終わったのだ。 

今、心から、うだうだ湧いてくる感情は、これこそ、過去

からの彼と私の‘記憶’の中ためこまれた、意識が、

そのまま表出しているのだろうと、ヒューレン博士式に

考えた。

 

協会(自然治癒力セラピー協会)式に私なりの言葉で

置き換えれば、今の意識、感情に押し流された

ように発する言葉は、これからは控えて、瞑想している自分、

静かな自分、その心持を自覚しながら行動したいと

思ったものだ。

 

先ほどの言葉に返るが、‘良きにせよ悪しきにせよ、クリーン

する’という中の、‘良きにつけ’という意味だ。

アイリーンさんは次のように述べている:

 

“夫にたいして、この人は本当に優しい人だ~と思ったら、

そこをクリーニングするんです。

人にはいろんな面がありますよね。それを認めていない

というのか、ほんの、一面しか見ないで、‘こういう人’って

判断してことは多いと思います。


もしかしたら、私は夫に対して、‘誠実でやさしい、まじめな人で

あるべき’という呪いをかけているのかもしれません。

そうしたら、彼は本当の彼らしくいられませんよね。”

 

いかがだろう? 

呪いをかけている~というのは、少々きつい言葉に聞こえるが、

‘こうあってほしい’‘こうあるべきだ’‘そうに違いない’

という限定した思い込みや羨望が心にある限り(記憶として)、

人に対しても、今起きている事柄にたいしても、良いとみえる

ことさえ、バイアスの眼鏡をかけてみているということが

あるのだろう。

 

ヒューレン博士自身、アイリーンさんに対して、結婚する際の、

‘彼が好き’という気持ちに、こんなアドヴァイスを与えて

いる。

 

“好きと思う気持ちは、とにかく、クリーニング

してください。~ 

と(ヒューレン博士から)言われていたのです。


対象は、人でも場所でもなんでもです。

初めはそれが難しかった。

‘好きな気持ちの何をクリーニングすればいいの?’

と思いました。


でも今はすごくわかります。

私の夫はすごく誠実でまじめなところが好きだとおもって

いたのに、今は、逆にその好きな部分を‘つまらない、

まじめすぎて堅苦しい’とおもったりするんですよ、

勝手です。”

 

そう、心の感情は勝手だから、だから、どんな感情も、特に、

好きとか、良いとか、嬉しいとかいう感情に、クリーニング

をかける必要が出てくるのだろう。


私なりの言葉でいえば、‘感情とは、好きの半面が嫌い、

愛するの半面が憎い、良いの半面が嫌だ というように、

二元的、反価値的なものを常に持っているから、

中庸な気持ちでいられるためにそれ(湧き出る感情)を

浄化する(フィルターにかける)必要があるという事だ

と思う。

 

 

引用部分:”はじめてのウニヒピリ” 

イハレアカラ・ヒューレン、カマイリ・ラファエロヴィッチ

株式会社宝島 発行、2015年

 

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