自分が変わることはできる 2020 10月11日
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先日、親しい友人の一人から電話をもらった。
娘とのちょっとしたやり取りを通して、
最近、違和感を感じることが多く
なったという。
それは、腹を痛めて産んだ子なのに、
自分から遠のいて、これまでのようには
理解できない人間に変っていくような
気がする、ということだった。
家族といえども、年月を重ねると
ともに、いつのまにか、どこかで、
何かがずれてきている感じがし、
不可解な感じが否めないところ
まで事態が進んでいる~と
気づくときがある。
たとえば、甘えん坊で母親の影
にすぐ隠れてしまっていた気の
弱い幼い息子が、気がついたら、
自分に対して強い自己主張を
するようになったとき、
優しかった母親が、いつの間にか
認知症がすすんで、突然、他人を
見るような目つきで自分を
睨みつけられたとき、価値観が
共通だと思っていた姉妹が
誤解がもとで、自分に反感を持っている
ような素振(そぶり)を見せるとき
::::などなど。
家族でさえこうしたことが起きる
のだから、他人の心を読んだり、
まして、変えようとすることなど、
ほぼ不可能に違いない。
幸いに私は、幼い息子の一言で
人生観が変わった体験をしている。
それは、こんな息子の一言だった。
彼がまだ、12歳前後だった
ときだろうか?
ニューデリーの自宅近くのイタリアン
レストランで、食事をしていた時の事。
未熟な子供盛りと思っていた息子から、
何気に私に懇願するように、しかも、
さりげなく、言われた。
その情景は今でも鮮明に想いだす
ことができる。
その言葉とは、
”頼むから、人に対して、ジャッジは
しないで欲しい” という懇願だった。
当時の彼は日本で教育をうけるより、
海外で教育を受けていた時間の
ほうが長かったから
”judge"という英語が口にでたが、
その適切な日本語が浮かんで
こなかったのだろう。
そう言われて、私も一瞬とまどった。
ジャッジ? 評価を下すという
意味だろうか?
そう、良いとか悪いとか、これは
こうだ、ああだとか、対象者や
対象物に、点数をつけるかのように、
自分の物差しで分析して評価を
下すことはしないでほしいと
いうことだった。
ガツンと肩をたたかれて喝を
入れられたような気分だった。
幼いと思っていた彼が、自分なり
の信念を持ち始め、鋭い感受性
とともに、母親の人間性に対して
コメントしたのだ。
それからは、人との会話で、
何かを簡単に評価するような
言葉が出そうな時に、
この言葉が脳裏をよぎる。
自分の狭い価値観を基準に判定
を下さないよう、注意すること
ができた。
冒頭の友人の電話の話を聞き
ながら、幼い息子とのそんな
体験とともに、南インドへ行き、
たびたび訪問したサイババ師
の話も想いだした。
それは、”人の心を変えること
ほど難しいことはない。
神でさえ、人の心を簡単に
変えることはできない。
人には自由意思が与えられて
いるのだから。”
という言葉だった。
毎日世界中から何千人と集まって
くる多くの信奉者に、当時、
神の化身と崇められていた
サイババ師でさえ、信者の心で
すら変えることは難しい、という。
一方、夫婦間や親子間で、
”この人を、良くしようと、私が
変えなくては誰がそうできるの?”と
いう責任感で意気込んでいるケースは
意外と、多いようだ。
たとえば、こんな事例を読んだ。(*1)
倒産寸前の夫の会社の経理を担当
している妻が、夫に熱意をもって、
いろいろな助言をする。
こうなったのも、あなたのこういう
所が災いしているのよ、
こうこうしたら、それが改善される
のではないかしら?
社員に対してどれだけ思いやり
を以て接していたの?
やる気を与えることができたのかしら?
あなたさえ、こうこうすれば、きっと、
会社の雰囲気も違って、みんなも変わる
と思う 云々・・・
善かれと思って妻は 夫を説得する
のだけれども、そうすればそうする
ほど、夫はイライラして、妻の言葉
に耳を貸すところか、口論に
発展したり、意欲をうしないがち
になるという悪循環が続いた。
或るとき、妻がふと、相手は
自分の心の影である、という
唯心緒現の法則を想いだした。
そして、そういう夫の姿の裏には
私に原因があるのかもしれない
と謙虚にこの事態を見つめて、
反省して、そして、ただひたすら
に相手の実相(本性)が完全で
円満で、素晴らしいのだと
いうことを、嘘でも良いから、
見つめてみようと逆の発想を試みた。
その時の言葉が、あのハワイの
古代の秘法といわれる、
ホ・オポノポノの言葉だった。
”~さん(夫の名前)有難うございます。
感謝しています。
愛しています。
私のいたらないところを許してください。
私が気がつかないまま、あなたを
傷つけてきていたら、ごめんなさい。
ありがとうございます。
ごめんなさい、許してくださいね、
愛しています、本当にありがとう。”
そして、相手を変えようとすること
を改め、自分の内を整えること
から始めた彼女の成果は1年
ほどで現れたと言う。
そして5年後には会社は元の
軌道に順調に乗るどころか、
数倍の利益を上げるよう
になったという。
相手を変えたければ、自分が変われ
~ということだろう。
ところで、昨日、自然治癒力セラピ
ー協会の大切なメンバーの方から
電話をいただいた。
”抗生物質はもう、私には不要に
なったみたいです。
そう聞いていても、自分で体験して
納得しないと、なかなかわからない
ものですね!”
精密検査を受けて、今の不調の原因
の一つが抗生物質の副作用にある
可能性を大病院の医師に
指摘されたという。
ご本人も自然治癒力でカバーできる
と思いつつ、過去の体験や周囲の
意見で抗生物質をとっていたが、
これからは今までのようには
とらないだろう~と語った。
ブログで”抗生物質の神話”
や ”薬の副作用”を婉曲的に
これまで何度か私も書いて
きたが、真意が人の心に
届くのは なかなか難しい
ようだ。
サイババ師が”人の心ほど思う
ようにはならない”と言われて
いるのだから、私たちはまず、
自分を変えていくことから
始めるしかないのだろう。
自分が変われば、周囲も必ず、
変わる~という信念をもって、
根気強く、結果をすぐ求める
のではなく、自分の修行のつもりで
・・・・そのために 生まれて
きたのだから・・・・
死ぬまでに結果がでなくても、
必ず、来世には結果がでる
でしょうから・・・
気を長く・・・穏やかに・・・
あきらめずに・・・
自分を見つめていきたい・・
*1心が楽になるホ・オポノポノの教え
イハレアカラ・ヒューレン、 丸山あかね著
2012年 イースト・プレス発行
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