ホ・オポノポノが最終的に求める
仏教の無我の境地 2018・9/7
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前書き)
”ウニヒピリとの対話”について、詳しく書いていると、ある
特定の精神的集団(教団?)の後押しをしていると勘違いする
方たちがいるかもしれません。
次回で、この関連最終記事は終了予定ですが、このテーマを
お届けしたいと思った理由は、自己セラピーのエッセンスを
ご紹介したいという気持ちからでもあります。
自己セラピーというのは、自分自身の本質を引き出すために、
自分自身でするセラピー、
誰の力に頼るではなく、誰の言葉に翻弄されるのでもなく・・・
‘過去のカルマにとらわれない、本来の自己の本領を発揮して、
満たされた心持で、フレッシュに今を生きよう’という積極的
であり、静謐的であり、もっとも落ち着いた自分を取り戻す
自分で自分の本質に高め上げるための、セラピーのことです。
さらに、そうしたメンタルの癒しのみならず、体の健康に
直結するという大切な要素がここにあります。
なぜなら、自己セラピーで、’もっとも落ち着いて自分らしい
自分’に近くなればなるほど、誰もが持つ、自然治癒力が発揮
しやすくなるからといえるでしょう。
そのヒントを、“ウニヒピリとの対話” の中で見つけていた
だければ幸いです。
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① ”潜在意識にある記憶のうち、どの記憶が原因になっていて、
どの記憶を消去すべきか、ウニヒピリはわかっています。”(161)
今、この場に現れている、不幸や病気の原因が記憶にあることが
理解できたとしても、過去の自分の記憶のどの時代のいつ?
どこで?の”部分”なのか?
それは、誰にもわからないだろう。
ところが、ウニヒピリはわかっているらしい。
ヴェーダ哲学でいうところの、チッタという心の部分に匹敵
するのかもしれない。
つまり、記憶を司っている心の領域であり、その記憶から
ふさわしい行動が何かを判断して、顕在意識に知らしめる働き
をもつ。
② ”顕在意識の記憶の1100万倍もある潜在意識の記憶の中で、
どれがその人に苦悩を及ぼしているのか把握するのは、不可能な
ことです。”
その潜在意識の記憶メモリー量は莫大で、今、私たちが意識
できる現在の意識の、1100万倍あるというのだが、見当が
つかない。
その記憶の中から、現在に起こっている事象と関係のある、
記憶をどのようにして見つけ出すのか?
あるいは、見つけ出して、どのようにして、クリーン、つまり、
浄化するのか?
その答えが、博士の提唱する、4つの言葉であり、(ありがとう、
ごめんなさい、赦してください、愛しています。)だ。
その中で、特に、’赦してください’ という言葉は、口にする
ことは、やや、抵抗があるものだが、その意味と、効用は以下
のように説明されている。
③ ”‘赦してください’という言葉は、自分の中のウニヒピリ
に語り掛けるのです。”(167)
これは、すべての現実に現れている事象の原因は、自分にある
という考え方、自分の過去の行為とその記憶が原因であると
いう考え方が、基礎にある。
だから、ウニヒピリに、’赦してください’ということで、今と
なっては、”記憶のない記憶の自己の行為”、”それによって、
無意識にせよ、意識的にせよ、他者を傷つけた事実”を、素直
に謝罪するということになる。
こうして、’潜在意識の倉庫の主’である、ウニヒピリに、今の
以下に続く。
④ ”自分にできるはずがないという自信のなさ、どうせ、
ダメだというあきらめ、そうした根拠のない感情を、生み
出す記憶に翻弄され、人生の迷路にはまっている人は
大勢います。
’ああしたい’とか’こうしたい’という欲望のあるうちは
ゼロの状態に至っていないということ、だから、クリー
ニングしてください” (172)
’無意識の限定’、’自分の力の限界設定’、’可能性の否定など、
いろいろな言い方ができるのだが、簡単に言えば、
”自分には、無理である“とか、”また、失敗するだろう”という
認識は、そもそも、過去の実績からくる記憶が自分の無限の
可能性に対して蓋をしてしまっているせいだと、ヒューレン
博士は言う。
そこでそうした感情にクリーニングする。
つまり、潜在意識のその(無理無理)という感情の基になって
いる”記憶”を除去する必要があると、博士は言う。
そうしていくうちに、ウニヒビリとクリーニングをして、その
記憶が排除されて心がゼロに近づいていく。
ゼロに近づいていけばいくほど、本当に必要なことや願いは、
自然と周りが動くような形で、自分のもとにやってくるよう
になる。
では、最後に、心がゼロとは?
⑥ ”心がゼロの状態というのがどんなものか、想像してみて
ください。ゼロとは、時間のない世界です。
人生を仕切る境界線などはなく、空間は無限大に広がっています。
物質やお金の概念もありません。
ゼロの状態というのは仏教でいうところの無我の境地、
完全な自由の世界なのです。”(175)
これは、”無執着の境地”と同じようだ。
すべて自分が必要なものは、意図しなくても、与えら
れているという”無限の供給の宇宙意思”に自分が、委ねられる
ようになった時の、心の状態だ。
欲せずとも必要な人やモノが集まってくる状態でもある。
時間や物質がない空間、これは無の境地というより、空(くう)
の境地ともいえるかと私は思う。
本当にないのではなくて、すべて、過去未来現在が 生み出
される点であり、物質が無いのではなく、すべて必要な物質が、
供給される原点(最大のエネルギーの最小公約数)という意味
で、そう思う。
こうして、過去に溜められた、忘れた”記憶”をウニヒピリが
掘り起こし、今の自分の表面意識で唱える、感謝と愛と赦しの
言葉が、そのクリーニング(除去)化を行い、最終的には、
ゼロの地点に到達する。
それがホ・オポノポノの最終ゴールであるとしたら、それは、
人としての生を受けた以上、ぜひ、到達したい、最終ゴール
のような気がする。
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